【行ったつもりシリーズ】常磐線サイクルトレインで行く筑波山とあじさいの名所(3)筑波山神社と雨引観音

茨城のあじさいの名所「雨引観音」。境内に向かう途中でも、きれいにあじさいが咲いていた(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

自転車を解体することなく、鉄道の車内にそのまま持ち込むことができるサイクルトレイン。2024年6月からJR常磐線の上野~土浦間で通年運航が始まったため、梅雨の晴れ間にさっそく利用して筑波山やあじさい鑑賞に出かけてみた。第3回は、筑波山神社やあじさい寺の雨引観音をめぐり、再びサイクルトレインで帰路につくまでをレポート。

 

 

筑波山神社で「ガマの油売り口上」

筑波山神社の随神門。門の前には、古来から疫病が流行る夏の前に無病息災を祈願する茅の輪くぐりが置かれていた(撮影:光石 達哉)

6月下旬の梅雨の晴れ間、自転車をそのまま載せられる常磐線サイクルトレインに乗って茨城県の土浦へ。そこから廃線跡の「つくば霞ヶ浦りんりんロード」を走り、途中で筑波山へヒルクライムした。

 

上りのゴールであるつつじヶ丘駐車場を出て、風返し峠の交差点を右折。来たときとは違う道で山を下り、途中にある「筑波山神社」を目指す。

 

この日は、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」のHPに掲載されていたコースデータをダウンロードしてナビに使っていたのだが、その通りに進むと途中で脇道に誘導された。民家の間の細い道を走ることになり、さらに進んでいくと下り階段もあり、立ち往生する。周りを見るとすでに筑波山神社の真横に来ているようだったため、見つけた入り口から境内に入ってみる。

 

「筑波山神社」ではガマの油売り口上が見られた。実際にガマの油を売っているわけではなく、口上を楽しむ大道芸として披露されている(撮影:光石 達哉)

境内では「ガマの油売り口上」を開催していた。先ほどのつつじが丘駐車場にも「ガマランド」という施設があり、筑波山は「ガマ(ヒキガエル)の油」が有名。ガマの分泌物を原料にしたもので、江戸時代に傷薬の軟膏として使われていたそうだ。

 

このガマの油を筑波出身の大道商人が江戸で売り出そうと、独特の売り口上を考案したところ、たいへんな人気を博したという。現在ガマの油は売られていないが、筑波山などでその口上が伝統的な大道芸として披露されており、つくば市の無形文化財にも登録されている。

 

筑波山神社の拝殿は、中央の大鈴が特徴。山頂の神々を遠くから拝む遥拝所でもある。このあたりの標高は約270m(撮影:光石 達哉)

僕が見ていたガマの油売り口上はもう終わるところだったため、筑波山神社を参拝。この神社は筑波山そのものを御神体と仰ぎ、男体山はイザナギノミコト、女体山はイザナミノミコトと日本誕生神話の主役となる神様を祀っている。本来の境内は、拝殿から山頂を含む約370ヘクタールにおよぶそうだ。拝殿の近くからは、男体山山頂付近まで筑波山ケーブルカーも出ている。

 

筑波山を下り切ったところに、りんりんロードの「筑波休憩所」がある。双峰の姿もよく見える(撮影:光石 達哉)

境内を出て、並んでいるお土産屋さんを横目に自転車を担いで階段を降りると、参道の入り口に出た。車道に出てしばらく坂を下ると、久しぶりに「つくば霞ヶ浦りんりんロード」に合流。ちょうど旧筑波鉄道の駅だった「筑波休憩所」がある。ここから再びりんりんロードを北上していく。

 

あじさい寺の石段にビビる

約35km地点の「雨引休憩所」。両側が高くなっていて、もともと駅のホームだったのがわかる(撮影:光石 達哉)

約10km走り「真壁休憩所」、さらに5km走って「雨引(あまびき)休憩所」を通過。その先でりんりんロードを右にそれ、茨城県のあじさいの名所「雨引観音」を目指す。小さな山の中にあるお寺で、近づくにつれて勾配が厳しくなってくる。りんりんロードから3km弱、勾配15%ぐらいまで跳ね上がってこれ以上は無理だと思った時、ようやく山門が見えてきた。

 

山門の前に駐車場があったが、やはりこの時期は人気なのかクルマでいっぱいだった。その片隅に自転車をとめる。

 

この雨引観音は、自生しているものも含めて100種5000株のあじさいが栽培されているそうだ。毎年6月10日~7月20日にはあじさい祭が開催されていて、ライトアップされる期間もある。

 

厳しい坂の先にあるあじさいの名所「雨引観音」。黒門をカラフルな和傘が彩っていた。春は桜の名所でもあるそうだ(撮影:光石 達哉)

門をくぐると、あじさいに囲まれた145段の石段。尻込みして、登るのを諦めてしまった(撮影:光石 達哉)

黒門と呼ばれる山門はカラフルな和傘が飾られていて、写真映えするようになっていた。くぐると磴道(とうどう)と呼ばれえる石段が145段あり、その左右には10種3000株のあじさいが植えられている。ただ疲れた脚で登る気力がなく、時間の余裕もなかったためここで写真を撮って引き返した。

 

江戸時代にタイムスリップ「真壁の町並み」

「つくば霞ヶ浦りんりんロード」旧筑波鉄道方面(全長約40km)の終点「岩瀬休憩所」に到着(撮影:光石 達哉)

雨引観音から下って、りんりんロードまで戻らず、ちょっと近道になりそうな県道を走り、約6kmで終点の「岩瀬休憩所」に到着した。ここには今もJR水戸線の岩瀬駅があり、かつては乗り換えの駅だったのだろう。休憩所の周りは何もなくて、ひっそりしている。

 

ここまでかなり時間は経っており、すでに午後3時10分過ぎ。常磐線サイクルトレインの帰りの便は午後5時25分発を予約しているため、約2時間で40km走り、土浦まで戻らないといけない。僕の脚だと油断していると、乗り遅れかねない。

 

土浦から約30km地点の「真壁休憩所」。サイクルラックには旧筑波鉄道の車両が描かれている(撮影:光石 達哉)

復路は、りんりんロードを使って急いで戻る。岩瀬から、約10kmの真壁休憩所に再び到着。順調に走ってきて時間的にも少し余裕ができたため、来る時にスルーした「真壁の町並み」へ寄ってみる。

 

真壁休憩所のすぐ近くにある「真壁の町並み」。江戸末期~昭和初期に建てられた商家などが今も数多く残っている(撮影:光石 達哉)

りんりんロードからわずか数100mのところにある真壁の町並みは、戦国末期から江戸初期までに町割りが完成し、江戸末期から昭和前期にかけて商業・産業が栄えたところ。現在も約300棟以上の見世蔵(みせぐら=店舗兼住宅)や土蔵・門などの歴史的建造物が、当時の町割りとともに残されている。

 

休憩所として整備されていないが、駅のホーム跡が残っているところもいくつかあった(撮影:光石 達哉)

こんな感じのフォトスポットが、僕が気づいただけで2カ所あった。ここは雨引休憩所と真壁休憩所の間(撮影:光石 達哉)

古い建物をいくつか眺めて、再びりんりんロードを走る。コース上、旧駅を再利用した休憩所は6カ所設置されているが、それ以外にも昔のホームの名残りを感じさせる場所がいくつかあることに気づいた。後で調べると筑波鉄道は全18駅あったそうで、そのすべてを確認することはできなかった。

 

ギリギリでも間に合う「サイクルトレイン」

サイクルトレイン発車10分ちょっと前に、土浦駅に到着。駅前にはこんなモニュメントがあった。「C」は自転車の車輪のイメージかな?(撮影:光石 達哉)

途中まではいいペースで走っていたものの、後半は向かい風が少し吹いてきてスピードダウン。また車道を横断するところも何カ所かあるのだけれど、こちらが止まって待っていると、茨城のドライバーさんはほとんど一時停止して渡らせてくれるのでありがたかった。

 

なんとか、発車時間10分ちょっと前に土浦駅に到着。こんなギリギリでも間に合うのは、サイクルトレインのありがたいところだ。土浦からサイクルトレインに乗る時は、有人改札で予約メールを見せて、自転車と一緒に通過。ホームの端っこの15号車に乗り込んだのは、発車ベルが鳴る寸前だった。

 

行き同様、帰りも自転車をむき出しのまま電車に載せる(撮影:光石 達哉)

車内は朝より少し混んでいたけれど、座席にはまだ余裕はある。ただボックス席は埋まっていたので、普通の横向きのシートに座り、無事に上野駅へ到着した。

 

自分のルート選びや脚力のせいでもあるけれど、朝にクーポン券をもらったりしたのに、今回は飲食店に寄ったり買い物する時間がほぼなかった。現在は上り下り各2本だが、もう少し本数を増やしてくれたら、時間的な余裕もできるかもしれない。

 

常磐線サイクルトレインはまだ始まったばかりで、今後、多くのサイクリストが利用することでより使いやすくなるように進化することを期待したい。何より輪行や車載移動(自分で運転するときは大変)と比べて少ない手間で、いつもとは違う土地を走れるのは楽しいことなので、興味ある人は出かけてみては。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①筑波山神社―②筑波休憩所―③真壁休憩所―④雨引休憩所―⑤雨引観音―⑥岩瀬休憩所―⑦真壁の町並み

 

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【行ったつもりシリーズ】常磐線サイクルトレインで行く筑波山とあじさいの名所(2)筑波山目指してヒルクライム

筑波山の中腹にある「つつじが丘駐車場」。あじさいが少し咲いていた(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

自転車を解体することなく、鉄道の車内にそのまま持ち込むことができるサイクルトレイン。2024年6月からJR常磐線の上野~土浦間で通年運行が始まったため、梅雨の晴れ間にさっそく利用して筑波山やあじさい鑑賞に出かけてみた。第2回は、廃線跡のサイクリングロードから筑波山へ向かう。

 

「元・線路」をサイクリングできる

土浦駅西口を出て右へ。路面のペイントとブルーラインに従って横断歩道を2つ渡ると、廃線跡の「つくば霞ケ浦りんりんロード」に入る(撮影:光石 達哉)

6月下旬の梅雨の晴れ間、自転車をそのまま載せられる常磐線サイクルトレインに乗って、茨城・土浦に到着。輪行とは違い、自転車を組み立てる手間がないため、すぐに駅から出発できる。

 

土浦はサイクリング・ウエルカムな街で、駅直結の自転車ショップやシャワールーム、サイクリスト向けのホテルなどの施設が充実。さらに土浦駅を起点の一つとする「つくば霞ヶ浦りんりんロード」は、日本を代表し世界に誇れるサイクリングルートとして国が指定する「ナショナルサイクルルート」にも選ばれている。

 

「つくば霞ヶ浦りんりんロード」は霞ヶ浦方面と筑波山方面に分かれており、合計176km。霞ヶ浦方面は以前、約90kmのショートコースを走ったことがあるため、今回は筑波山方面を目指す。

 

筑波山方面は、1987年まで運行していた筑波鉄道の線路跡を再利用したコース。土浦駅からJR水戸線の岩瀬駅まで片道40kmある。線路跡でほぼ平坦な道なので普通に往復するだけじゃおもしろくないと、途中で筑波山にも寄ったりしつつ、この時期が見ごろのあじさいの名所も回っていく。

 

サイクリングロードと言っても、一般道と交わる箇所は多いので注意。広い幹線道路から農道のような細い道までたくさんあり、そのたびに止まったり、減速したりする(撮影:光石 達哉)

土浦駅西口に出てロータリーを歩いて右方向に進むと、「つくば霞ヶ浦りんりんロード」の標識が見えてくる。ここも右へ。路面の青いラインに沿って進むと、幅の広い歩道のような道に出た。ここが、線路跡に作られたサイクリングロードのようだ。ただ、途中で交差する道が多く注意が必要で、ほぼノンストップで走れる霞ヶ浦一周とは異なる。

 

スタートから4.1km地点、旧筑波鉄道・虫掛駅跡のホーム跡を利用している「虫掛休憩所」。新しくきれいなトイレもある(撮影:光石 達哉)

街中を抜けると、左右には田んぼやレンコン畑が広がる景色が目に入ってきた。のんびりサイクリングを楽しんでいる人もチラホラ。4kmちょっと走ったところで、虫掛(むしかけ)休憩所がある。旧筑波鉄道の虫掛駅跡で、駅のホームのようなつくりになっており、このコースにはこういった休憩所が何カ所かあるようだ。

 

超穴場スポット~〇〇が静かに咲き誇る

7.8km地点の「藤沢休憩所」。ここも駅のホームを再利用している。コース上には各ポイントまでの距離を表示した標識がたくさん設置されていて、わかりやすい(撮影:光石 達哉)

7.8km地点には、同じく昔は駅だった藤沢休憩所がある。そのちょっと先でりんりんロードを右にそれる。500mほど走ると「新治(にいはり)ふるさとの森」という小高い丘に造られた小さな公園がある。県のスポーツ推進課が作成している「サイクリングいばらき」というサイトで、あじさいの穴場として紹介されていたので寄ってみた。

 

穴場のあじさいスポット「新治ふるさとの森」。写真のガクアジサイだけでなく、よく見かけるアジサイも咲いていた(撮影:光石 達哉)

園内は木々が生い茂って薄暗く、人の気配はなくひっそりしている。鹿嶋神社という小さな神社もある。その中でガクアジサイや、おなじみのアジサイが静かに咲いていた。

 

約13km地点にある「小田休憩所」。近くに小田城の城跡があったが、土塁等しか残っていないので写真は割愛(撮影:光石 達哉)

公園を出て、りんりんロードに戻る。約13km地点には戦国時代までこの地域を支配した小田氏の小田城跡があり、そのそばには小田休憩所がある。

 

16km地点過ぎで、再びりんりんロードを右に外れ、筑波山へのヒルクライムに向かう。

 

サイクリングロードを少し離れたところにある「サイクルパークつくば」。BMXのコースで、高いスタート台が迫力。このときは親子が練習していた(撮影:光石 達哉)

その途中に「サイクルパークつくば」という施設があった。ここも休憩所的なところかと思って寄ってみたら、かなり本格的なBMXのコースだった。高いスタート台やバンクのついたコーナー、コブが連続するセクションなどがあって迫力がある。廃校の校舎とグラウンドを利用して作られているようだ。

 

細マッチョな若者と勝負できる不動峠

大池公園から筑波山を望む。このあたりから不動峠の上りが始まる(撮影:光石 達哉)

その先、大池公園という池を通り過ぎたところから、筑波山の南にある不動峠への上りが始まる。ヒルクライムの練習コースとしてサイクリストも多い峠だ。道幅は狭く薄暗い道が続くが、道端にカーブの番号や距離を示す標識が立っており、ゴールまであとどれくらいあるのかわかりやすい。

 

不動峠の上り、走りながら撮ったのでちょっとブレているけど、コーナーごとに標識が立っていて、ふもとからのコーナー数や距離がわかる(撮影:光石 達哉)

サイクリストとも何人かすれ違った結果、平坦な廃線跡を走っていた人たちよりも若くて体が引き締まっている人が多いようだ。この上りは距離3.8km、標高差270m、平均勾配7.1%。全体的に6~8%ぐらいの勾配が続くが、最後だけ10%強の厳しめの坂になる。普段は上りをサボり気味なので無事に走れるかなと思ったものの、なんとか峠の頂上にたどり着いた。

 

標高299mの「不動峠」に到達。石碑は令和4年3月と、わずか2年前に造られたもの。左に進むと、表筑波スカイラインに合流する(撮影:光石 達哉)

三叉路に、不動峠の大きな石碑がある。写真を撮るなどして少し休憩。ただ、このあたりが上りの終点ではなく、石碑の左側の道を上っていくと、表筑波スカイラインという道に出る。アップダウンを繰り返す道で、道幅は広くなり、景色も多少開けている。こちらにもコーナー数や距離の標識がある。

 

筑波山の麓から激坂を駆ける

アップダウンの続く表筑波スカイラインを走り、「風返し峠」へ。筑波山の双峰もさっきより近くに見えてきた。左が男体山、右が女体山(撮影:光石 達哉)

北へ約5,7km走ると、四方から道が集まる「風返し峠」に到着。標高は約410m。男体山、女体山と筑波山の2つの峰もよく見える。

 

標高530mの「つつじが丘駐車場」に到着。クルマやロードバイクで上れるのはここまで。筑波山ロープウェイのつつじが丘駅もある(撮影:光石 達哉)

ここも北へ直進すると、さらに上り坂が続く。クネクネと曲がっているややきつめの坂で、視界が開けるところでは筑波山もよく見える。約1.7km走り、標高約530mの「つつじヶ丘駐車場」に到着。ここが筑波山の舗装路で上がれる最も高いポイントと思われる。

登山道の起点のひとつで、女体山の山頂近くまで行けるロープウェイの駅もある。不動峠~風返し峠~つつじヶ丘駐車場まで続く上りは、数年前まで開催されていた「ツール・ド・つくば」というヒルクライムイベントのコースだったようだ。

蒸し暑くなってきて、ボトルも空になっていたので喉はカラカラ。山なので値段高めの自販機のコーラをがぶ飲みして、ひと休みする。

何度も触れてきたが、筑波山は女体山(標高877m)、男体山(同871m)の2つの峰があり、名前のイメージとは逆に女体山の方が少し高いようだ。広い平野にポンとそびえているので、800mを超える高い山だとは見えなかった、それでも、日本百名山の中では最も低い山だそう。

 

筑波山でガマガエルと遭遇

駐車場の一角にある「ガマランド・三井谷観光」。昭和のB級観光地っぽさがあふれている(撮影:光石 達哉)

駐車場の左奥を見ると、巨大なカエルの像が立っている不思議な建物がある。筑波山がガマの油が有名なのは聞いたことはあるし、この建物もTVか雑誌で見たことがあった気がするが、ここにあったのかと発見。これはガマランド・三井谷観光という観光客向けの施設で、食堂やお土産屋、ゲームセンターなどが入っている。ガマ洞窟なんてものもあるらしい。残念ながら、この日は閉まっていた。

 

展望台のそばにも巨大ガマ。鳥居もあって、お参りできるようになっている(撮影:光石 達哉)

展望台からの眺め。遠くに土浦の街並みや霞ヶ浦も見える(撮影:光石 達哉)

ちょっとした展望台もあるようで、せっかくここまで来たので景色も楽しみたいと登ってみる。ビンディングシューズで階段が歩きにくかったが、展望台からは筑波山の周囲が一望でき、遠くに霞ヶ浦も見えた。

次回は筑波山を下って再びりんりんロードを走り、あじさいで有名な雨引観音を目指す。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①虫掛休憩所―②藤沢休憩所―③新治ふるさとの森―④小田休憩所―⑤サイクルパークつくば―⑥不動峠―⑦風返し峠―⑧つつじが丘駐車場

 

自転車ライター

 

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【行ったつもりシリーズ】常磐線サイクルトレインで行く筑波山とあじさいの名所(1)自転車と一緒に電車に乗ろう

JR常磐線で自転車をそのまま載せられるサイクルトレインが運航開始。さっそく乗ってみた(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

自転車を解体することなく、鉄道の車内にそのまま持ち込むことができるサイクルトレイン。6月からJR常磐線の上野~土浦間で通年運行が始まったため、梅雨の晴れ間にさっそく利用して筑波山やあじさい鑑賞に出かけてみた。第1回は、常磐線サイクルトレインの乗車体験記をお届け。

 

サイクルトレイン拡大中

車内は普通の電車と一緒。ガラガラだったため、ボックスシートに座ってみた(撮影:光石 達哉)

自転車を電車内に持ち込んで運ぶには、「輪行」と呼ばれる方法が一般的。車輪などを外して解体し、輪行袋と呼ばれる専用の袋に入れて、抱えて運ぶことになる。ただ、ロードバイクなどを傷つけないように輪行袋に収納する作業は、慣れていても10~20分かかることもある。自転車の入った輪行袋を駅の構内で抱えて運ぶのも、ちょっと大変だ。

 

その点、サイクルトレインは自転車をそのまま電車内に持ち込めるサービスなので、ハードルが低い。もちろん、すべての鉄道がサイクルトレインとして利用できるわけではなく、2022年度時点では71社141路線(国土交通省ホームページより)で実施されている。

 

国交省から補助金も

改札を出たところにはサイクルトレインをPRする展示も。土浦はサイクリスト
ウエルカムな街だ(撮影:光石 達哉)

サイクルトレインは乗客の少ない路線や時間帯を有効活用することで、観光促進やローカル線活性化といった経済効果もあり、国土交通省も補助金を出すなど支援していて、今後も増えていくことが期待されている。

 

ただ、サイクルトレインは地方の町と町の間の路線で運行されている場合が多い。都内に住んでいると東京から地方への移動手段として利用したいが、そういう路線はまだ数が少ない。

 

これまではJR東日本千葉支社の専用列車B.B,BASE(両国~館山、銚子など千葉県各地、運航日により変更)、西武鉄道(石神井公園~飯能・西武秩父)ぐらいだったが、JR東日本水戸支社の常磐線で2023年10~12月の期間限定実施に続き、2024年6月から通年運行を開始。新たな選択肢が増えたわけだ。

 

サイクルトレインによっては運行日や運行時間の制限、事前予約の要不要、自転車持込料金の要不要があって、さらにそれぞれルールや確認事項があるので、利用するには鉄道会社HPで確認しておく必要がある。

 

ちなみに2023年秋、御岳山ケーブルカーでサイクルトレインを利用したが、事前予約は必要なく、券売機で追加の切符(片道大人600円+自転車260円)を買えば、基本どの便にも乗ることができた。

 

旅立つ前に要チェック

サイクルトレインは上野駅から出発。公園口から乗り込む(撮影:光石 達哉)

常磐線サイクルトレインは、土日のみ1日上下2本ずつ普通列車で運行。発車時刻は上野発土浦行きの下りが午前7時2分発、午前7時53分発、土浦発上野行きの上りが午後5時発、午後5時28分発となっている。土曜の朝に出て1泊して日曜の夕方に帰ってくる計画も立てられるが、今回は6月下旬の梅雨の晴れ間に1日で往復することにした。

 

ネットでの事前予約が必要。追加料金はなく普通運賃(Suikaで1166円)のみで乗れる。ただ1便につき10台しか乗せられず、サービス開始間もないため直前だと予約が埋まっている場合がある。キャンセルは発車直前まで可能であり、天気が悪かったり、体調がよくない時も安心。キャンセル待ちも可能だ。

 

プリントアウトした予約・利用証を自転車につけて目印にする(撮影:光石 達哉)

その他、注意すべき点がいくつかある。予約したらホームページから利用証(PDF)をプリントアウトし、必要事項を記入。これを駅構内や電車内ではフレームなど見えるところに掲げておく。ちょっとアナログな手順だ。

 

また、混雑時は専用の袋に入れなければならない場合もあるため、念のため輪行袋を持って行かないといけない。土浦以外の途中の駅で下車したり、他の路線に乗り換えたりする場合も輪行袋に収納する必要がある。

 

上野駅での”歩き方”

いつもと同じようにSuikaをタッチして、自転車をそのまま自動改札を通す。今までない不思議な感覚(撮影:光石 達哉)

以上を確認して、時間的に余裕のある上野発午前7時53分、土浦発午後5時28分の便を予約。当日、上野駅に向かった。上野まで輪行したら、その後でサイクルトレインに乗るありがたみがないため、世田谷区の自宅から約17kmを自走。乗り遅れないようにと早めに出て急いだら、発車時刻の30~40分前に着いてしまった。

 

上野駅では、サイクルトレインの利用者は公園口改札しか使えないことになっている。駅前広場に着くと、すでにサイクリストが数人待っていた。駅に入るには特に駅員のチェックはなく、自転車を裸のまま自動改札を通す。ちょっと不思議な感じだ。

 

構内には自転車置き場が1カ所ある。売店やトイレに寄りたいときは、ここを利用(撮影:光石 達哉)

常磐線のホーム(9・10番線)に降りる階段の横に、自転車の一時置きスペースがある。ここに停めて構内のコンビニで少し買い物した後、自転車を担いで階段を降りる。

 

自転車を載せられるのは、端っこの14、15号車(撮影:光石 達哉)

サイクルトレインとして利用できるのは15両編成の14、15号車のみ。15号車を予約していたので、ホームの端っこまで移動する。自転車は各車両5台、1便あたり10台が定員(?)だ。車内は普通の車両とまったく同じで、自転車固定用の器具などはない。ドアの前や車いすスペースを避けて、自転車を置くことになる。

 

興味津々の乗客から質問される

土浦駅は改札の中と外にもサイクルラックがあるので、便利(撮影:光石 達哉)

乗ったのはボックス席のある車両だった。ほかの乗客はお父さんと小学生ぐらいの男の子の2人組を含むサイクリストに加え、一般の乗客は2、3人ほどで車内は余裕がある。座席は自由なので、せっかくだからボックス席に座った。混んできたら移動しようかなと思っていたが、途中の駅でも乗客が数人乗り降りしたぐらいだった。

 

土浦駅に到着。他のサイクリストと一緒にホームを歩いて改札を目指す(撮影:光石 達哉)

1時間15分の電車の旅で、土浦駅に到着。降車時、近くに座っていたおじさんから「自転車を載せるのにいくらかかるんですか?」と聞かれたりした。やはり始まったばかりのサイクルトレインが珍しいようだ。

 

期間限定でもらえるサイクルトレインのノベルティ。ポーチやステッカー、駅の施設で使えるクーポンなど(撮影:光石 達哉)

ノベルティの引き換えは駅直結の「星野リゾート BEB5 土浦」のフロントで。自転車を客室内に持ち込めるサイクリストフレンドリーなホテルだ(撮影:光石 達哉)

土浦駅で改札を出るときは有人改札を通り、スマホで予約メールを見せる。期間限定のノベルティ引き換え券をもらったので、駅直結のホテルで交換する。使わない荷物をコインロッカーに預け、さあ出発だ。

 

(光石 達哉)

 

 

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【行ったつもりシリーズ】小江戸・川越をめぐるサイクリング②~徳川家ゆかりの寺社と「通りゃんせ」

徳川家光ゆかりのお寺「喜多院」。家光「誕生の間」や538体の羅漢像が並ぶ「五百羅漢」は見学できる。拝観料:大人400円(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

今回は小江戸とも呼ばれる埼玉県川越市へ。蔵造りの町並みを始めとするレトロな雰囲気で人気急上昇中の観光地を自転車でさくっと回ってみた。後半は寺社めぐり。

 

 

 徳川家ゆかりの寺社

喜多院には駐輪場があった。訪れた当時は初詣が近いからなのか、出店の準備が始まっている(撮影:光石 達哉)

日が短い時期はあまり遠出したくないなと思い、川越へ。前半は観光客でにぎわう蔵造りの町並みを中心に見て回ったが、後半は周辺に興味深いお寺や神社がいくつかあるので、立ち寄ってみた。

大正浪漫通りを南に抜けて、東へ約1km。「成田山川越別院」、「喜多院」などの寺社がある一角にやってきた。駐輪場のあった喜多院の方から散策。約1週間後の初詣の準備なのか、順路を示す看板なども出ていたりしている。

ここは平安時代の830年に無量寿寺として開かれたが、江戸時代になった1612年、徳川家康に仕えた天海僧正により喜多院とあらためられたという。1638年の大火で建物のほとんどが焼けたが、3代将軍・徳川家光が江戸城から客殿、書院などを移築。それら「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられる部屋が、今でも残されているという。

 

 自転車用のお守りゲット

徳川家康を祀る「仙波東照宮」。日本三大東照宮のひとつとされるが、人影もなくこじんまり。石段の下には新しいカフェがオープンしていた(撮影:光石 達哉)

境内を南側に進むと、日本三大東照宮のひとつ「仙波東照宮」がある。残る2つは栃木の日光東照宮と静岡の久能山東照宮で、実は3番目を名乗っている東照宮はほかにもいくつかある。

ここは三大と呼ぶには小さな東照宮だが、それなりの根拠があるようだ。家康の遺骨を久能山から日光に運ぶ途中、天海僧正が喜多院で4日間法要を執り行い、のちに東照宮が造られたとのことだ。

 

「成田山川越別院」。本堂の中に入ってお参りできた。毎月28日は蚤の市(骨董市)でにぎわうそうだ(撮影:光石 達哉)

喜多院を離れ、歩いて成田山川越別院へ。千葉の成田山新勝寺の別院は全国にあるが、ここが最初のひとつのようだ。成田山と言えば、交通安全。祈祷で訪れる自動車のための駐車場が広くとられている。僕も自転車用のお守りを買った。

 

成田山は、交通安全にご利益があることでも有名。自転車用のお守りをゲット(撮影:光石 達哉)

 

 童謡「通りゃんせ」 発祥の地

「三芳野神社」の参道。かつては「天神様の細道」の一部だったようだ(撮影:光石 達哉)

再び自転車に乗って、北へ。ちょっと道に迷って遠回りしつつ約1kmほどで「三芳野神社」に到着。約1200年前の平安時代初めに創建された神社で、童謡「通りゃんせ」の発祥の地と言われている。

「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの細道じゃ 天神さまの細道じゃ」

 

三芳野神社は、天神様、学問の神様で知られる菅原道真を祀る。提灯や賽銭箱に梅鉢紋が見える(撮影:光石 達哉)

なんでも江戸時代、この神社は川越城の城内にあり、普段は領民が入ることができなかった。参拝できたのは年一度の大祭か、七五三のときだけ。そのときも侍が警護する城内の通路をおそるおそる通ってお参りしたそうで、その様子が唄になったということのようだ。さらに当時、川越は水運で江戸との行き来が盛んだったので、この唄も江戸から日本中に広まっていったとされる。

 

境内にある「通りゃんせ」のわらべ唄発祥の歌碑。ちなみに他の地域が発祥という説もあり、諸説ありといったところ(撮影:光石 達哉)

神社が城内にあったことの証として、すぐ裏手には「川越城本丸御殿」がある。江戸時代は16棟、1025坪からなる大きな御殿だったそうだが、現在は玄関部分と大広間・家老詰所を残すのみ。

 

「川越城本丸御殿」。今も残る建物は江戸後期の1848年に建てられたもの。入館料:一般100円(撮影:光石 達哉)

 

 縁結びの「川越氷川神社」

 

「川越氷川神社」。東参道の大鳥居は高さ15mで、木製としては日本最大級。よく見えないけど、鳥居中央の扁額は勝海舟の直筆(撮影:光石 達哉)

再び自転車に乗って数百m北へ走ると、「川越氷川神社」がある。平成2年に建てられた大鳥居は、高さ15mで木製の鳥居としては国内最大級だそうだ。

境内に入ると、大勢の参拝客でにぎわっていた。これまで訪れた寺社は割とひっそりしていたけど、ここは若者も多い。なんても「縁結びの神様」として有名で、特に恋愛運のおみくじの周りに多くの人が集まっている。

 

さほど広くない境内に、多くの参拝客が訪れていた。右側が拝殿で、左奥が神楽を奉納する舞殿(撮影:光石 達哉)

この神社の創建は、古墳時代の6世紀。主祭神はヤマタノオロチを退治したスサノオノミコトで、このとき助けられて妻となったクシナダヒメやその両親らも祀られていることから、夫婦円満、家族円満、縁結びなどにご利益があると伝えられている。

 

特に参拝客に人気だった「あい鯛みくじ」。鯛の中に良縁祈願のおみくじが入っている(撮影:光石 達哉)

少し市街地を離れようと、東へ。国道254号沿いにあるJA直売所「あぐれっしゅ川越」に出ていた「埼玉名物・武州うどん」の看板にひかれてランチタイム。人気で混んでいたけど、お腹を満たすことができた。

 

JA直売所「あぐれっしゅ川越」の中にあった「埼玉名物・武州うどん」、一番人気の「もり肉汁うどん(790円)」にちくわ天をプラスしていただく。コシがつよくてツルツルしている(撮影:光石 達哉)

さらに約2㎞東へ。この日、最後に訪れたのは川越市の東に広がる伊佐沼。季節によっては沼の周りに桜、ハス、ヒマワリなど花が咲くようだが、真冬だと訪れる人もほとんどなくひっそりしている。

 

川越市街地の東にある伊佐沼。バードウォッチングしている人もちらほらいたが、冬場はひっそり(撮影:光石 達哉)

まだ午後2時半だが、早くも少し日が傾いてきた。帰りは荒川沿いを走ったが、いろいろ観光していたらそれなりに時間を使ったようで、結局、帰宅途中で日は暮れてしまった。

川越は駐輪場探しに苦労したところが何カ所かあったけど、見どころが狭いエリアに集中しているのが利点。レンタサイクルやシェアサイクルもいくつかあるので、電車で行って自転車を借りても楽しめるかもしれない。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①喜多院―②仙波東照宮―③成田山川越別院―④三芳野神社―⑤川越城本丸御殿―⑥川越氷川神社―⑦あぐれっしゅ川越―⑧伊佐沼

 

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【行ったつもりシリーズ】小江戸・川越をめぐるサイクリング①~おさえておきたいポイントとは?

川越のシンボル「時の鐘」。よく見ると、自動鐘打機の鐘をつく棒がある。環境庁の「残したい“日本の音風景100選”」に選出されている(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

今回は小江戸とも呼ばれる埼玉県川越市へ。蔵造りの町並みを始めとするレトロな雰囲気で人気急上昇中の観光地を自転車でさくっと回ってみた。

 

 

 川越のシンボル「時の鐘」と「蔵造りの町並み」

「時の鐘」の前は鐘つき通りと呼ばれ、観光客が多い。右に見えるスターバックスも古民家風の造りになっている(撮影:光石 達哉)

日照時間が短い時期はあまり遠出したくないなと思い、今回の行き先は川越。何度か行ったことはあるけれど、じっくり見て回ったことはない。というわけで、冬の寒さが本格的になってきた2023年12月下旬に出かけてみた。

遠出したくないと言いつつも、都内の自宅から川越までは約40kmあったのであまり普段とは変わらないサイクリングになってしまった。西武新宿線・本川越駅前に到着し、そのまま北に数百m進むと、小江戸・川越を代表する「蔵造りの町並み」に入っていく。

 

「時の鐘」の下をくぐった奥にある「薬師神社」。右奥には稲荷神社がある。ひとけがなく、表通りとは別世界の静けさ(撮影:光石 達哉)

沿道には古民家や蔵をリフォームしたようなオシャレなお店が並んでいる。実はこの日はクリスマスイブで、それなりに観光客も多かった。食べ歩きの街といった感じで、人気の飲食店などは長い行列ができている。車も多くて、自転車で走るのも一苦労だ。

通りを半分ほど進んで右に曲がると、川越のシンボル「時の鐘」が高々とそびえている。もともとは江戸時代初期に川越城主・酒井忠勝が建てたと言われ、その名の通り当時から住民に時刻を知らせる役割をしていた。

 

「時の鐘」のすぐ近くのお店で買ったお菓子「いも恋」。中にホクホクのさつまいものあんが入っている。川越周辺はさつまいもの産地としても有名(撮影:光石 達哉)

現在の鐘楼は1893年(明治26)に起きた川越大火の翌年に再建されたもので、3層構造で高さ約16mある。現在は1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)、機械により自動で鐘が鳴るようになっている。

鐘楼の下はくぐれるようになっていて、その先は小さな神社の境内だった。薬師如来立像をご本尊とする薬師神社だそうだ。本来、薬師如来は仏教の仏様だが、ここはもともとお寺だったのが明治に神社となったという。病気平癒、特に眼病にご利益があるといわれている。

 

「蔵造りの町並み」。江戸・明治にタイプススリップしたような建物が並ぶ(撮影:光石 達哉)

ところで現在の「蔵造りの町並み」は、先ほど触れた明治期の大火がひとつの起源となっている。江戸時代、川越は隅田川の支流である新河岸川の水運で江戸との行き来が盛んで、川越から農産物を運ぶ一方、江戸の文化も多く入ってきたという。

 

1792年(寛政4)に建てられたとの記録があり、明治の大火でも焼け残った国指定重要文化財「大沢家住宅」。土蔵造り建築の防火性を証明し、川越に土蔵造りの建物が普及するきっかけとなったそうだ。現在は民芸品のお店(撮影:光石 達哉)

しかし、明治大火により1300戸以上、街の3分の1が焼失。その中で蔵造りの建物が多く焼け残ったので、当時最高の防火建築である蔵造りの商家が多く建てられ、現在まで残っているわけだ。

 

 菓子屋横丁を散策

「菓子屋横丁」の入口にある駄菓子とお面のお店。「ここより~」とあるけど、もう1本先の道が横丁のメインのようだった(撮影:光石 達哉)

人通りが多いので、自転車をとめてちょっと散策。埼玉県や川越市はサイクリングマップをHP上で公開しているのでそれを参考にしつつ、結局、現地で手に入れた観光マップが一番役に立った。

蔵造りの町並みの西側にある「菓子屋横丁」へ。もともと川越では明治初期から菓子を製造していたが、関東大震災で被害を受けた東京に代わって多くの駄菓子を製造供給するようになり、昭和初期には70軒ほどの業者が軒を連ねていたそうだ。

現在も20数軒のお店が営業している。人気のお店には人が並んでいるけど、蔵造りの町並みの喧騒からは少し逃れたような感じがあり、落ち着いて散策できる感じだ。

 

 昭和初期の洋風建築と「大正浪漫通り」

塔がある洋風建築で、国の登録有形文化財でもある「埼玉りそな銀行 旧川越支店」は現在改修中。今年春に複合施設「りそなコエドテラス」として再オープンする予定(撮影:光石 達哉)

蔵だけでなく洋風建築も川越の見どころということで、「蔵造りの町並み」を南に歩く。「埼玉りそな銀行 旧川越支店」は、前身銀行のひとつである旧「第八十五銀行本店」として1918年に建てられたもの。塔屋を備えた雰囲気ある建築だが、現在は老朽化のための改修工事中でシートに覆われている。残念ながら写真をお見せできなかったので、かつての姿が気になる人は検索してみてほしい。

 

大正浪漫通りの北端に立つ「川越商工会議所(旧武州銀行川越支店)」。昭和初期の1928年に建てられた当時の銀行建築を代表する建物のひとつ(撮影:光石 達哉)

ここは、2024年春に「りそな コエドテラス」としてリニューアルオープンするそうで、地元の食材を使ったカフェやレストラン、市民や観光客が楽しめる多目的イベントスペース、さらには地元の新規事業創出のためのコワーキングスペースなどが入る複合施設となるという。

 

川越のもうひとつの目抜き通り「大正浪漫通り」。一昔前まではアーケードのある商店街だったそうだ(撮影:光石 達哉)

再び自転車に乗って、さらに南にある「大正浪漫通り」へ。大正時代を思わせる古い商店が並ぶ石畳の道で、オシャレなカフェなどもある。こちらも蔵造りの町並みと比べると、人通りも少なくて大人の街といった雰囲気だ。

さて、次回は周辺の寺院などをめぐっていこうと思う。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①時の鐘―②蔵造りの町並み―③菓子屋横丁―④埼玉りそな銀行 旧川越支店―⑤大正浪漫通り

 

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【行ったつもりシリーズ】「多摩東京移管130周年デジタルスタンプラリー」に自転車で挑戦!(11) スポーツゆかりの地をめぐる

6日目後半は、府中市からスタート。市のランドマーク、大國魂神社周辺でもスタンプをゲットした(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

東京都多摩地域の30市町村に散らばる130カ所のデジタルスタンプを集める「多摩東京移管130周年デジタルスタンプラリー」に自転車で挑戦中。第11回は府中市、調布市、三鷹市を走って集めていく。

 

 

 大國魂神社からスポーツバーへ

多摩川サイクリングロードからも近い府中市の「郷土の森観光物産館」。館内にある「ことみ食堂」のカレーパンが人気(撮影:光石 達哉)

2023年は1893(明治26)年に西多摩・南多摩・北多摩の3郡が神奈川県から東京府(現在の東京都)に移管されて、130周年。それを記念して多摩地域のおすすめスポット130カ所をめぐるデジタルスタンプラリーが、10月29日まで開催されていた。10月中旬の挑戦6日目、前半は日野市の多摩動物公園と国立市で4つのスタンプをゲットし、計97個に。後半は国道20号周辺を東へ進み、府中市へと向かっていく。

国立市の「城山さとのいえ」から、中央自動車道の側道を走ったりしながら南東へ約5km、府中市の「郷土の森観光物産館」に到着。ポスターのQRコードをスマホカメラで読み込んで、デジタルスタンプをゲットする。

以前にも紹介したことがあるが、ここは多摩川サイクリングロードからも近い物産館。地元農産物や特産品・観光関連グッズを販売しているほか、地元食材を使ったレストラン「ことみ食堂」や観光案内所もある。

大國魂神社の参道沿いにある「ふるさと府中歴史館」。武蔵国府の歴史を紹介し、中には図書館などもある。入館無料(撮影:光石 達哉)

続いて2kmちょっと北へ進み、府中市のシンボルである大國魂神社の参道沿いにある「ふるさと府中歴史館」へ。この神社周辺は古代の武蔵国府の跡でもあり、ここではそうした市の歴史や文化を紹介している。

 

境内にある随神門。この奥に拝殿や本殿がある。参道は自転車押し歩き
(撮影:光石 達哉)

大鳥居の向かって左側にある「府中市観光情報センター」。観光スポットやイベントの情報などを発信(撮影:光石 達哉)

ここから200mほど北に進んで、大鳥居のすぐそばにある「府中市観光情報センター」で続けてスタンプをゲットする。

 

京王線・府中駅北口改札の目の前にある「183 FUCHU FAN ZONE」。スポーツ中継の観戦ができるほか、音楽ライブやトークショーなども開催される。183は府中市の郵便番号が由来とのこと(撮影:光石 達哉)

次のスポットは、数百m北の京王線・府中駅の駅ビル2階にあるようだ。違法駐輪を取り締まっている係の人に駐輪場の場所を教えてもらって、駅の中へ。大きな駅なので少し探したけど、QRコードが設置してある「183 FUCHU FAN ZONE」は2階の北口改札の目の前にあった。

ここはスポーツバーのようなお店で、店内の大型モニターでは府中を本拠地とするラグビーチーム「東芝ブレイブルーパス東京」「東京サントリーサンゴリアス」の試合のほか、サッカー、野球、バスケットボールなどのスポーツ中継を観戦できるそうだ。「中央フリーウェイ」の歌詞にも出てくるサントリー工場の新鮮なビールも味わえる。これで府中市のスポット4カ所をコンプリートだ。

 

 スタジアムと天文台

調布市の「味の素スタジアム」。スタンド席は都内屈指の約4.8万人収容。実は日本初のネーミングライツ公共施設で、現在の名称になって今年でちょうど20年
(撮影:光石 達哉)

府中駅から甲州街道を東へ約5km走ると、調布市の「味の素スタジアム」が見えてきた。

 

スタジアムそばの歩道沿いには、1964東京五輪・マラソン折り返し地点のモニュメントと、2020東京五輪のサッカー、7人制ラグビー、近代5種の競技会場だったことを示すボードがあった(撮影:光石 達哉)

 

ここはJリーグ「FC東京」、「東京ヴェルディ」などのホームスタジアムで、2019年ラグビーW杯、2020東京五輪をはじめ、様々なスポーツやコンサートなどの会場としてお馴染みだ。QRコードのポスターは管理事務所の入口的なところにあったので、ちょっと探すことになった。

 

三鷹市の「国立天文台」の正門。個人であれば見学は予約なしでも対応してくれるそうだ。入場無料(撮影:光石 達哉)

だいぶあたりが暗くなってきたけど、続いては2kmちょっと北東へ。三鷹市に入って、「国立天文台」正門に午後4時50分ごろ到着。見学受付は午後4時30分までだったが、守衛さんに声をかけてスタンプ取得のために敷地内に入らせてもらった。

国立天文台は、1924年(大正13年)に現在の港区・飯倉からこの地へ移転。ここは国内に何カ所かある国立天文台の施設をまとめる本部であり、三鷹キャンパスと呼ばれている。

自転車を降りて、徒歩で敷地内に入る。僕が歩いたルートからはドーム状の建物から大きな望遠鏡がのぞいているような天文台は見えず、大学のようにいくつかの建物が並んでいた。そのうちのひとつにQRコード入りのポスターが貼ってあった。

 

 緑を感じるスポットへ

国立天文台の敷地内にある「三鷹市星と森と絵本の家」。左奥の建物はかつて官舎だった日本家屋。内部も当時の雰囲気を残しているという。入館無料
(撮影:光石 達哉)

次は、数百m北にある「三鷹市星と森と絵本の家」を目指す。ここも天文台の敷地内にある。いったん正門を出てしまったが、北側にある裏門からも入ることができた。

ここは絵本の図書館といったところ。また大正・昭和に使われていた天文台職員の官舎を一部利用していて、当時の日本家屋の様子を見学できるそうだ。こちらも閉館時間ギリギリだったのでQRコードを読み込んで、次へ向かう。

 

調布市に戻り「神代植物公園」へ。園内は、ばら園、つつじ園、うめ園、はぎ園など種類ごとに30ブロックに分けられている。入園料(一般・大人)500円
(撮影:光石 達哉)

約1km南東に走って調布市に戻り、「神代植物公園」へ。1961(昭和36)年に都内唯一の植物公園として開園し、現在は約50万平米の敷地内に約4,800種類、10万本・株の植物が植えられているという。午後5時の閉園時間は過ぎていたが、外の掲示板でQRコードを読み込むことができた。

 

「調布のやさい畑 農産物直売所」。「深大にぎわいの里・調布卸売センター」(旧武蔵野市場)という市場内にある。17時半ごろには閉まっていて、あたりは真っ暗
(撮影:光石 達哉)

次のスポットはすでに閉まっていたので、約2㎞南へ走って団地の下にある「調布のやさい畑 農産物直売所」へ。ここは調布市内外の農家と自社農園から年間300種以上の農産物を入荷している直売所。とはいえ、こちらもすでに閉まっていて真っ暗だったが、外に出してあったQRコードでスタンプゲットした。

多摩動物公園から始まったこの日は13個のスタンプをゲットし、合計106個に。あと2週間あまりで130個制覇のゴールが見えてきたようだ。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①郷土の森観光物産館―②ふるさと府中歴史館―③府中市観光情報センター―④183 FUCHU FAN ZONE―⑤味の素スタジアム―⑥国立天文台―⑦三鷹市星と森と絵本の家―⑧神代植物公園―⑨調布のやさい畑 農産物直売所

 

 

【行ったつもりシリーズ】埼玉にひそかな桜の名所あり~城と桜のコラボレーション

寄居町の「鉢形城公園」。氏邦桜と名付けられた早咲きのエドヒガンが満開だった(撮影:光石 達哉)

読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。

桜(ソメイヨシノ)の開花が全国的に遅れた2024年春、3月末のこの日もまたまた早咲き桜を求めてサイクリングへ。この時期に満開になっていた埼玉県寄居町のエドヒガンを目指した。

 

 

早咲き桜「エドヒガン」

「氏邦桜」と名付けられた鉢形城のシンボル的エドヒガン。歴史館の裏手にあり、自転車だと遠回りになるが、未舗装の坂道を通れば近い(撮影:光石 達哉)

2024年は3月の気温が低かったからか、お花見のメインの桜であるソメイヨシノのつぼみがなかなか開かず、東京ではようやく3月29日の開花となった。これは平年より5日遅く、2023年より15日も遅いそうだ。

そんなわけで3月最後の週末でも満開はまだ数日先ということで、この時期に見ごろの桜はないかと調べていたところ、埼玉県寄居(よりい)町の「鉢形城(はちがたじょう)公園」にエドヒガンという早咲き桜があるという。

最近訪れた越生(おごせ)梅林の越生町や安行寒桜(あんぎょう・かんざくら)の坂戸市と近いエリアなので、まとめて一緒に行ければよかったが、花盛りの時期はそれぞれ微妙に違うので、途中までは同じような道を走ることになった。

 

左奥に見えるのが鉢形城歴史館(入館料:一般200円)。日本100名城のスタンプはここで押せる(撮影:光石 達哉)

この日は一気に気温が上がり、最高25℃前後と初夏並みの陽気。とはいえ、朝夕は少し冷えるので、どこまで薄着にしていいか悩みどころ。ドリンクの消費も多くなってきた。

また、3月末の週末はもともと各地で桜まつりが予定されていて、道中、桜は咲いていないもののお祭りだけが開催されて屋台に人が集まっているという光景もいくつか見かけた。

そんなこんなで自宅から片道約75kmといつもよりちょっと遠出して、鉢形城歴史館の駐車場に到着。この駐車場の右側、お城の土塁の上にエドヒガンらしき大きな桜の木が数本、ちょうど満開になっていた。

エドヒガンはソメイヨシノより開花が1週間ほど早く、例年であれば関東地方で春の彼岸ごろ(3月20日ごろ)に咲くので、その名がつけられている。別名ウバヒガン(姥彼岸)、アズマヒガン(東彼岸)とも呼ばれている。花はソメイヨシノによく似た薄ピンクだが一回りほど小さく、花びらもちょっとシャープな形に見える。

土塁のエドヒガン。この日は天気がよく、青空に映えていた(撮影:光石 達哉)

 

戦国武将の名を冠した「氏邦桜」

鉢形城の三の曲輪と呼ばれるエリア。四脚門(左)と石積み土塁(右)が復元されている(撮影:光石 達哉)

近くには「氏邦桜」という矢印看板もある。鉢形城のエドヒガンは、戦国時代の城主・北条氏邦(うじくに)の名にちなみ、氏邦桜と名付けられたそうだ。この土塁の上の桜がその氏邦桜かなと思ったが、そうでないことに後で気づくことになる。

せっかくなので、お城の中をいろいろ見てみようと自転車で回ってみる。この鉢形城は、「日本100名城」にも選ばれている。戦国時代のお城なので、天守閣のような派手な建物はないが、城塞のような複雑な作りをしているようだ。

歴史をさかのぼると、1476年(文明8)に長尾景春(ながお・かげはる)が築城。その約100年後の1560年ごろ、小田原北条氏の北条氏邦が城主となって現在の規模に拡充。関東有数の城として、北条氏の北関東支配の拠点となったそうだ。しかし、1590年(天正18)の豊臣秀吉の小田原攻めの際に鉢形城も前田利家らに攻められ、氏邦は籠城戦の末に降伏して城を明け渡したという。

自転車で西の方に回り、JR八高線の踏切あたりで右折して、城内に入る。土塁や堀が入り組んでいて、堅固な城塞だったことを感じさせる。お城を思わせる建物はほとんどなく、四脚門、四阿(あずまや)、石積み土塁などが復元されている。

 

堀や土塁が複雑に入り組んでいて、戦国時代の城塞の面影が色濃い(撮影:光石 達哉)

さらに先に進むと、桜の大木が青空に向かって伸びていた。これがこの鉢形城公園メインのエドヒガン「氏邦桜」で、樹高18mもある。推定樹齢は150年を超え、寄居町指定天然記念物にも指定されている。その枝ぶりは笠鉾(かさほこ)状と形容される。笠鉾とは何ぞやと思ったら祭りなどで使う笠状の飾り物で、つまり逆U字型というか、どんぶりを逆さにしたような形をしているということらしい。

 

「氏邦桜」と名付けられた鉢形城のシンボル的エドヒガン。歴史館の裏手にあり、自転車だと遠回りになるが、未舗装の坂道を通れば近い(撮影:光石 達哉)

こっちに来なかったら、あやうくこの氏邦桜を見逃していたところだった。この日はひしめきあうほどではないが多くの人が見物に訪れていて、写真を撮ったりお弁当を広げたりと思い思いに過ごしている。夜はライトアップされるようで、近くには大きな照明も設置されている。

 

文化人に愛された絶景

鉢形城の三の曲輪と呼ばれるエリア。四脚門(左)と石積み土塁(右)が復元されている(撮影:光石 達哉)

 

「玉淀河原」から荒川を挟んだ崖の上に鉢形城がある。かつては難攻不落の城だったのだろう(撮影:光石 達哉)

この鉢形城は荒川に面していて、断崖絶壁の上に作られている。対岸の「玉淀河原(たまよどかわら)」からその様子がよく見えるらしいので、橋を渡って行ってみた。

玉淀とは、荒川が秩父の山地から平野部へ移り変わるこの辺りの流域沿岸約3kmの地域の総称。幅の広い渓谷のようになっていて、奇岩・絶景の景勝地として1935年(昭和10)に県指定の名勝となったという。近くには老舗の料亭やうなぎ屋などもあって古くからの観光地だったらしく、文豪・田山花袋らもこのあたりの景色を好んだそうだ。崖に作られたスロープ状の通路を降りると、荒川の向こうに鉢形城の岸壁がそびえていた。

七代目松本幸四郎の別邸跡地「雀宮公園」。崖の上から荒川を眺められる。この日は水量も多そうだった。玉淀河原から河原沿いを歩いて来ることもできる(撮影:光石 達哉)

さらにこの玉淀河原のすぐ近くにある「雀宮(すずめのみや)公園」は、歌舞伎の七代目松本幸四郎(1870~1949)の別邸「武州寄居町雀亭」の跡地だったところ。ちなみに七代目松本幸四郎は明治から昭和にかけて活躍し、当代の十代目松本幸四郎、俳優の松たか子、そして当代の十一代目市川海老蔵のひいおじいさんにあたる。

その七代目幸四郎がここの景色を気に入り、1913年(大正2)に別邸を建てたそうだ。現在は紅葉の名所ということだが、この時期も緑がきれいで崖上から荒川の流れや鉢形城の断崖が一望できる。園内には当時の別邸を模した東屋や、十代目松本幸四郎の座右の銘「守破離」が刻まれた石碑もある。

 

雀宮公園の東屋は、当時の別邸を模した形になっているという(撮影:光石 達哉)

 

なんと24.2m⁉日本一の巨大水車

続いては4kmほど東の「埼玉県立 川の博物館(かわはく)」へ。ここには日本最大の直径24.2mの大水車がある。水車をそばで見るには博物館の入館料(一般410円)が必要だが、帰りの距離やお財布事情を考えるとゆっくり見ていられないなと心の中で言い訳して、中には入らず外から眺めただけで帰路についた。

 

日本一の巨大水車がある「埼玉県立 川の博物館(かわはく)」。子どもたちが水遊びするスペースもあり、人気のようだ(撮影:光石 達哉)

今の時期は菜の花も見ごろ。帰り道、関越・鶴ヶ島IC付近で広い菜の花畑に遭遇した(撮影:光石 達哉)

2024年は早咲き桜をいろいろ見て回り、桜にもいろいろな種類があるなとあらためて知ることができた。次回はそろそろソメイヨシノのお花見サイクリングができるかな。

 

(光石 達哉)

 

今回のルート:①鉢形城公園―②玉淀河原―③雀宮公園―④埼玉県立 川の博物館

 

 

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