メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
いつの時代も、世界一の称号を目指す選手の情熱は変わらない。五輪を制した勇者たちの姿から人生の醍醐味が見える。
ヒトラーの敬礼に「小気味よかった」
独裁者と呼ばれた“あの男”が自分のために敬礼をした。
会場に流れる君が代演奏に合わせ、ドイツの元首相アドルフ・ヒトラーが起立して右手を前方に掲げた光景を、葉室鐵夫は生涯、鮮明に覚えていた。
当時、日大に通う好奇心旺盛な18歳。宝島社新書『日本の金メダリスト142の物語』によれば、「ヒトラーが出席した最終日に、優勝候補のドイツ選手を退けて優勝したのはなんとも小気味よかった」と無邪気に話していたという。
激闘の日独戦を制す
1936年ベルリン五輪。日本代表はすでに女子200メートル平泳ぎで前畑秀子、1500メートル自由形で寺田登が金メダルを獲得していた水泳最終日の男子200メートル平泳ぎ決勝で、葉室は快挙を成し遂げた。序盤から一気に飛び出し、レースを牽引。180メートル地点でスパートをかけてきた地元ドイツの優勝候補ジータスに並ばれたが、タッチの差で2分41秒5を記録して優勝した。このし烈な日独戦を、ヒトラーはプールサイドで最後まで見届けていた。
引退後は新聞記者
1917年、福岡市生まれ。父親は柔道五段の豪傑だったが、その意に反して葉室は水泳を始めた。水泳の強豪だった日大に進学するため上京し、五輪はベルリン大会に出場。東京五輪が幻となった40年に現役を退くまで、平泳ぎ200メートルの第一人者だった。
引退後は毎日新聞社に入社し、運動部記者として活躍。アメリカンフットボールの甲子園ボール創設などにも携わった。
長寿の愛妻も“金メダリスト”
2005年に88歳で亡くなった葉室だが、実は妻・三千子さんも“世界一”の称号を誇る。17年に97歳で他界した三千子さんは、マスターズ水泳の世界記録保持者。13年にイタリア・トリノで開催されたワールドマスターズゲームズに90歳を過ぎてからも出場し、金メダルを獲得した。
夫婦そろって長寿で、水泳で世界の頂点に立ったバイタリティーは、人生100年時代を生きる私たちの手本でもある。
(mimiyori編集部)