【オリパラ】世界最速の男を生んだジャマイカの歴史と秘密

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短距離王国ジャマイカの国旗。(写真:photoAC/studiographic)
「世界最速の男」にジュニアが誕生した。陸上男子の元ジャマイカ代表で、100メートルと200メートルの世界記録を持つウサイン・ボルトに、20年5月、女児が誕生していたことが世界のニュースとなった。リオ五輪からすでに4年が経つが、いまだボルトを超える陸上界のスターが出てきていない。ジュニアも快足なのだろうかと妄想しながら、超人の快足を生んだジャマイカの強さの秘密を探った。
 
 

西アフリカ部族の末裔

人口約300万人のカリブの小国だが、ジャマイカには“アフリカの血”が脈々と受け継がれている。同国では、すでに先住民は絶滅したとされ、16世紀以降に、西アフリカから労働力として移入された黒人奴隷の末裔が、現在の国民のほとんど。細身で持久力のあるケニアやエチオピアなど東アフリカの民族とは違い、西アフリカ諸部族はもともと筋力、スピードに恵まれた屈強なスプリンター体質とみられる。1900年代は世界の陸上界を席巻してきた米国黒人選手とルーツは同じなのだ。

48年ロンドン大会で初の金メダル

生まれ持った素質が開花し、ジャマイカ勢が初めて五輪の陸上競技で脚光を浴びたのは、当時の宗主国でもあった英国で開かれた1948年ロンドン大会。アーサー・ウィントが男子400mで金メダルを獲得し、同国初の五輪金メダリストに輝いた。なお、同種目の銀メダリストもジャマイカ代表だった。

続く52年ヘルシンキ大会でも同種目で1、2位を独占した。同大会では男子100mでも銀メダル。男子4×400mリレーでは世界記録を大幅に更新する金メダルで米国やドイツ勢を破り、世界を驚がくさせた。

あのジョンソンもベーリーも…実はジャマイカ育ち

しかし、62年に独立してからも国内に満足な練習環境はなく、金の卵は高校卒業後に海外留学するものの欧米流になじめず伸び悩んだ。2000年代に入ってボルトらが出現するまで、目立った成績を残したのは76年モントリオール大会で金メダルを獲得したドン・クオーリーくらい。マーリーン・オッティは「銅メダルコレクター」とありがたくない異名で呼ばれた。  

とはいえ、移民先の欧米で才能を磨かれた選手も多い。五輪男子100mでは、88年ソウル大会でベン・ジョンソン(カナダ)、92年バルセロナ大会でリンフォード・クリスティー(イギリス)、96年アトランタ大会でドノバン・ベーリー(カナダ)が優勝。ベン・ジョンソンは薬物違反が判明してメダルをはく奪されたが、実は、いずれも同国出身者であり、3大会連続ジャマイカ育ちが1着でゴールしたことになる。女子400mのサンヤ・リチャーズも才能を生かすため12歳でアメリカへ移住し、09年の世界陸上ベルリンでついに女王の座に就いた。

かけっこと坂道ダッシュが原点

ジャマイカでは、旧宗主国・イギリスの影響でサッカー、クリケットと並んで陸上人気は高く、学校の授業でも「かけっこ」は必須科目。同国には、この筋肉を鍛えて、この動きを習得すれば、足は速くなる、という絶対的な理論が存在しているという。

また、起伏に富んだ地形の島内にはいたるところに坂道がある。「坂道ダッシュ」は子供たちにとっては日常の、真剣な遊び。ボルトは幼少時代から坂道ダッシュで鍛えられ、大人になってからも練習に取り入れた。元サッカー選手だったパウエルも兄たちと日が暮れるまでダッシュを繰り返していた。

ジャマイカ勢は他国と比べ、特にボルトやパウエルは、身長190センチ超の体格でスタートからゴールまでスピードが衰えないことが特徴。08年に来日した元世界王者アサファ・パウエルを日本のナショナルトレーニングセンターで測定したところ、脚の高速回転の原動力、腰の深部にある大腰筋が非常に発達していることが明らかになった。子ども時代からの「坂道ダッシュ」の成果が、強さの秘密ではないかと考えられている。

チャンプスと国内クラブがハングリー精神を磨く

ジャマイカには、「チャンプス」と呼ばれると19歳以下の学校対抗の陸上競技大会が毎年3月に開催されている。ボルトも過去にこの大会の400mで新記録を出して優勝した経験がある。地域、ブロック予選を経て全国の俊足ランナーが集う同大会には100年以上の歴史があり、才能は漏れなく発掘される。  

また、現在のジャマイカにはボルトを輩出した「レーサーズ・トラッククラブ」と「MVP」と2つの陸上トップクラブがある。欧米留学しなかった、もしくは希望していたのにできなかった国内残留組のハングリー精神は半端ないとされ、両クラブとも暑さを避けて早朝は6時前後からと夕刻の2回、激しいトレーニングに明け暮れている。
(mimiyori編集部)