世界10チームが団体戦で争う競泳国際リーグ(ISL)に初参戦した北島康介氏率いる「東京フロッグキングス」。初陣となった予選リーグ第3戦では、4チーム中2位。2016年リオ五輪金メダリストの萩野公介は、200、400mの個人メドレーを制し、日本の“カエル軍団”を上位に押し上げる原動力となった。かつては「怪物」と呼ばれ、高校生メダリストから日本代表のエースへ成長。リオ後の不振を抜け出し、1年延期された東京五輪へ上昇カーブを描けるか。
高3で五輪メダリスト
小学生の頃から“怪物”と呼ばれ、中学時代は計29回も中学記録を樹立した。高3時に出場したロンドン五輪では400m個人メドレーで銅メダル。さらに14年アジア大会では4種目で優勝し、最優秀選手に選ばれた。
幼い頃からの評判に違わぬ活躍で、順調な競技生活を歩んでいた。しかし、15年6月、フランスでの合宿中に自転車で転倒。右ひじを骨折した。リオ五輪まで約1年のタイミングでのアクシデント。プール外での故障による長期休養で「情けない」と悔いたが、泳げなかった半年間は水泳人生のためと前向きに捉えていた。
恩師に贈る金メダル
高校生メダリストとなったロンドンから4年。16年リオ五輪は400m個人メドレーの世界ランキング1位で迎えた。最初のバタフライでは他の選手にリードを許したものの、得意の背泳ぎで逆転。そのままリードを保ち、当時の日本記録を更新するタイムで優勝した。
4年前とは異なる立場で挑んだ五輪。金メダルを含む3個のメダルを手にした。レース後には恩師への感謝を口にした。「本当にいろいろあったが、もう平井(伯昌)先生に金メダルをかけてあげたい一心で泳いだ」
東京五輪崖っぷちも 延期で復調の兆し
次の五輪の舞台は東京。地元開催の大舞台でさらなる活躍を期待されたが、リオ五輪後は度重なる不調で思うような泳ぎができていなかった。五輪延期が決定する前の段階で、長水路で400mの個人メドレーを泳いだのは、わずかに1回。五輪出場へ崖っぷちの状況に変わりなかった。
五輪出場が危ぶまれる中、1年の延期が決まった。時間ができたことをプラスにとらえて復活を目指している。国際リーグ参戦前の日本短水路選手権では個人メドレー2冠。勢いそのままに国際舞台での快泳につなげた。国際リーグの200m個人メドレー制覇は、日本人選手チーム初の1位。復調の兆しは見えている。
私生活では19年末に第1子が誕生。守るべき家族のためにも、このままでは終われない。まずは五輪への切符を獲得する必要がある。栄光も挫折も味わった日本のエースは、苦境を乗り越えるため前進し続ける。
(mimiyori編集部)