【五輪金メダリスト連載】世界が尊敬した新スポーツ庁長官・室伏広治のハンマー道

日本国旗

三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

20年10月1日、スポーツ庁の第2代長官に室伏広治氏が就任した。就任内定の記者会見では、その重責を現役時代に究めたハンマー投げの重さ7キロある鉄球になぞらえて「はるかに重い」と発言。1年延期となった20年東京五輪・パラリンピックの成功にとどまらず、さらなるスポーツの地位向上を抱負として掲げた。そのための大前提として強調した「健全、フェア、アンチドーピング」の重要性は、現役時代からスポーツに取り組む姿勢で訴え続けてきたことでもある。

 

 

アテネで繰り上げ金メダル

一度は銀メダルを手にしていた。2004年アテネ五輪。陸上男子ハンマー投げの決勝に出場した室伏は、最終6投目が会心の一投となり、82メートル91のシーズン自己ベストを記録した。しかし、ライバルであり、よき友人でもあったアドリアン・アヌシュ(ハンガリー)が、83メートル19をマークしたため、28センチ及ばず。室伏は銀メダリストとして表彰台に上がり、アヌシュと互いの健闘をたたえ合った。

 

その7日後になって事態は急変、アヌシュにドーピング疑惑が浮上する。アヌシュ本人が再検査を拒否した上に、競技前後に提出した尿検体がすり替えられていたことまで発覚したため、失格処分となった。繰り上げ優勝で、日本勢、さらにアジア初となる投てき種目の五輪制覇が決まったのは、競技から1週間後の大会最終日。室伏は多くを語ろうとはしなかったが、複雑すぎる心境での金メダリストになった。

 

 

「アジアの鉄人」のDNAを引き継ぐ男

1974年、静岡県生まれ。ハンマー投げで「アジアの鉄人」と呼ばれた室伏重信氏の長男で、高校1年からハンマー投げを始め、尊敬する父の英才教育を受けた。体格では劣る欧米勢に勝つため、父子で高速4回転投法を磨き上げた。00年シドニーから4大会連続で五輪に出場し、12年ロンドンでも銅メダルを獲得。14年の日本選手権では前人未踏の20連覇を達成し、16年に第一線から退いた。

 

現役時代はその実力に加え、ストイックに自身の“ハンマー道”を追求し続ける侍のような姿と、反ドーピングへの断固とした室伏の姿勢は海外選手からもリスペクトされていた。英語が堪能で、国際スポーツ界での知名度もあることから、14年には、20年東京五輪・パラリンピック大会組織委員会のスポーツディレクターに就任。競技運営計画の策定に関わり、外部との調整や情報発信を担ってきた。

 

 

健全こそがスポーツ最大の価値

アテネでの金メダルはクリーンで健全な競技人生が報われた証明でもあったが、当時29歳だった室伏は「メダルは直接表彰台で受け取りたかった」と本音も漏らしている。約1カ月後に横浜で行われた陸上大会では改めてメダル授与式を開催。約5万人の観衆の前で金メダルとオリーブの冠を贈られた室伏は「皆さんの応援によるエネルギーがもたらした、真実の金メダルです」と笑顔で胸を張った。

 

ドーピングに翻ろうされながらも、自分の信念を貫き、一点の曇りのない金メダルで日本中を感動させた男だからこそ、スポーツ長官という新たな職務での活躍に期待したい。

(mimiyori編集部)