復活を期す体操の内村航平が、鉄棒に絞って2021年開催の東京五輪出場を目指すことになった。
体操は日本のお家芸だ。五輪における日本の各競技メダル獲得総数では、柔道の84を上回るトップの98個。金メダルは柔道39、レスリング32に次ぐ31個だが、その金メダルには体操の歴史を語る上で、欠かすことのできない種目がある。
内村は専念する鉄棒は、1956年メルボルン五輪で日本の体操に初めて金メダルをもたらしたレジェンド・小野喬も無類の強さを誇っていた。
新技「ひねり飛び越し」 1年かけて完成
1956年メルボルン五輪、体操の種目別・鉄棒で会場を騒然とさせた高難度の「ひねり飛び越し」。2回連続の背面車輪、逆手背面車輪から左右の手をひねり、L字に伸ばした体ごと鉄棒を越す。優勝の決め手となった新技は、完成までに約1年の時間を費やした。「柳に飛びつくカエル」のような苦労を重ね、本番では大観衆のどよめきを生んだ。規定演技が終了し、点差があまりなかった状況で大技を入れようか迷っていたところ、当時のチームリーダーで日本体操協会会長も務めた故近藤天(たかし)氏に励まされて大技挑戦を決断。9.85点と満点に近い得点を獲得した。
ローマで悲願の団体金
日本体操界の歴史を大きく動かした金メダル獲得の裏で悔しさも味わった。悲願の金メダルを目指した団体総合はソビエト連邦(現ロシア)に1.85点及ばず銀。60年ローマ五輪は、団体金にかける思いが強かった。団体の前に行われた個人総合は、大技を回避して結果は銀メダル。最大目標の団体競技に照準を合わせ、見事に金メダルを勝ち取った。五輪・世界選手権の団体10連勝の始まりとなった。
「鬼に金棒、小野に鉄棒」
団体金の後は種目別の戦いが始まった。連覇がかかった鉄棒は他を圧倒。背面車輪から方向転換し、得意のひねり飛び越しから最後は四肢を伸ばす「伸身飛び越し降り」で着地を決めた。得点は9.800。もはや鉄棒では敵なしの状況で、ある名言が生まれた。「鬼に金棒、小野に鉄棒」。鉄棒は、地元の秋田・能代市で小学生の頃から触れてきた。最強の武器は、長い間、磨きをかけて手に入れたものだった。
地元に銅像が立った
地元、秋田・能代市での期待は大きく、64年東京五輪を待たずして当時の市民体育館前に銅像が建立された。58年には体操女子日本代表、清子夫人と結婚。夫婦二人三脚で五輪のメダルを目指した。引退後もスポーツ普及クラブを設立するなど、競技普及に尽力した。
(mimiyori編集部)