【オリパラ】オリンピック開会式の名珍場面②~聖火編

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1998年長野五輪で使用された聖火台(写真:photoAC/月舟)
オリンピック(五輪)の開会式は、大会の開始を宣言するだけでなく、「平和の祭典」という側面を表現することが大きな役割となっている。五輪の象徴ともいえる聖火の採火、リレー、そしてスタジアムでの点火の瞬間は、世界が固唾をのむ最大の見どころ。100年を超える歴史の中で、多くの人の心までを熱くした聖火に注目した。
 
 

 


アムステルダムで初点火

五輪に聖火は欠かせないが、1924年のパリ大会まで聖火はなかった。初めて聖火が灯されたのは、1928年の第9回アムステルダム大会でのこと。スタジアムの外に塔を設置し、そこに火を灯し続けるという案が採用されたことで実現した。

初めての聖火台となった塔の上部には大釜が置かれ、火は大会期間中、その中で灯され続けた。起源となっているのは、古代オリンピック。火は神聖なものであるとする神話に基づき、神々をあがめる祭典だった古代オリンピックの開催地オリンピアでは、やはり開催中に火が灯されていたという。

4年後の1932年ロサンゼルス大会では、初めて聖火台がスタジアム内に設置された。

OLYMPIC CHANNEL公式=1928年アムステルダム五輪開会式の当該VTR 

世界に衝撃を与えた弓矢の点火式

1992年バルセロナ大会では点火の演出が世界に衝撃を与えた。パラリンピックのアーチェリー選手、アントニオ・レボージョ(スペイン)が聖火の灯った矢を、高さ約90メートルの聖火台に放って点火させたシーンは、歴代開会式の名シーンの1つに数えられている。

開会式の1年前から極秘で練習していたというレボージョは、パラリンピックにスペイン代表として84年から3大会連続出場。84、92年に銀メダル、88年に銅メダルを獲得した。パラリンピック公式サイトの取材に対し、「どのメダルよりも、あの1射が私を有名にしてくれた。スペインでのパラスポーツ普及に貢献できたことがうれしい」と話している。

OLYMPIC CHANNEL公式=92年バルセロナ五輪開会式の当該VTR 

シドニーでは水面に点火

2000年シドニー大会は壮大で幻想的な聖火点灯だった。最後に聖火台の前に立ったのは、アトランタ大会陸上400mの銀メダリストだったキャシー・フリーマン(豪州)。 北側のスタンドの上から水が流れ落ち、スタンド中央に滝ができると、フリーマンはブーメランを模した聖火を手に階段を上がり、体を中心に円を描くように、水に覆われた床に火を灯した。フリーマンの回りを取り囲んだ炎の輪は自動的に上昇し、そのまま聖火台としてスタンド最上段におさまった。  

フリーマンは、豪州の先住民であるアポリジニ出身。多くの先住民族が抱えてきた問題を浮かび上がらせ、相互理解や融合への祈りを象徴する存在となった。同大会の開会式では、他にも韓国と北朝鮮が統一旗の下で合同入場を行い、インドネシアから独立したばかりだった東ティモールの選手も参加した。

OLYMPIC CHANNEL公式=00年シドニー五輪開会式の当該VTR 

軍服を脱いだ聖火リレー

ギリシャ・オリンピア遺跡のヘラ神殿で採火された炎が、初めて開催地までリレーで運ばれたのは1936年のベルリン大会。考案したのはカール・ディームというスポーツ教育学、スポーツ史を専門とする学者で、同大会の事務総長でもあった。

考案した理由を、古代との関連を強める、各国を通過するので青少年の教育につながる、見た目に美しく芸術的である、などとしていたが、実際はナチスドイツの宣伝に使われてしまった。ナチスドイツのシンボルマークである鉤十字の旗と共にドイツ国内で聖火リレーが行われた。

第2次世界大戦後初めてのオリンピックとなる1948年ロンドン大会では、ギリシャの第1走者だった軍人がトーチを手にする前に軍服を脱ぎ、その後にトーチを持って走った。戦争が終わり、平和になったことを示した演出には世界が感動した。51年のIOC総会で聖火リレーは「オリンピック憲章」に正式に加えられている。

選手の実家暖炉から採火

冬季大会で初めて聖火リレーが行われたのは1952年オスロ大会。すでに夏季大会ではギリシャのオリンピアで採火された聖火が開催国まで運ばれ、さらに国内をリレーすることが慣例化していたが、冬季大会では行われていなかった。冬季も五輪ムードを盛り上げようと、リレーすることになった。

ところが、採火式はオリンピアでなく、「近代スキーの父」といわれるソンドレ・ノルハイムの生まれ故郷、ノルウェーのモルゲダールで実施された。しかも、採火したのは、そのノルハイムの生家の暖炉。夏季と同じくオリンピアで採火されるようになるのは1964年のインスブルック大会以降となる。


OLYMPIC CHANNEL公式=52年オスロ五輪フィギュアスケートのVTR 

日本初の最終ランナーは8月6日生まれ

日本初開催の五輪でも、聖火に平和への祈りを込めた。1964年東京大会の国内での聖火リレーは、当時、米国の統治下にあった沖縄からスタート。10万人以上の走者を経て、東京に到着した。  

最終ランナーは、当時19歳の学生で陸上選手だった坂井義則氏。広島県三次市出身で、広島への原爆投下当日(1945年8月6日)に生まれたことから、戦後復興と平和の象徴とされた。坂井氏は大学卒業後にフジテレビに入社。スポーツや五輪の報道に携わり、2014年に69歳で亡くなった。
(mimiyori編集部)

OLYMPIC CHANNEL公式=64年東京五輪開会式のVTR