新たな舞台はギリシャ!
21年1月27日、 香川はギリシャスーパーリーグ・PAOKへ移籍した。3月3日には、ギリシャカップ準々決勝で初先発出場・初アシストもマークし、チームの準決勝進出に貢献した。なぜ新天地にギリシャを選んだのだろうか。
「クラブや監督が自分のことをしっかりと評価してくれていました。それが一番大きな決め手です」
10月にサラゴサ(スペイン)を退団しフリーになってから、自分の中で期限を1月と決めていたという。
「そのタイミングで決まったチーム が自分にとって運命のチームであり、自分がチャレンジするチームだと決めていたので、何の迷いもなかったです」
ギリシャ1部リーグで過去3度の優勝を誇るPAOKでの挑戦をとても前向きに受け入れている。
「ここでまた自分のキャリアを築いていくだけだな という気持ちです」
ドルトムントでの出会いは一生もの
10年7月にセレッソ大阪からドイツのドルトムントに移籍し、その後マンチェスターユナイテッドでもプレーした。
「若い時はとりあえず行けるところにチャレンジし、常にその時のベストなチャレンジをしてきました」
ドルトムント、そしてユルゲン・クロップ監督との出会いは、本当に幸せなことだったと感じている。
「あの監督について行けば恐れることは何もないと思わせてくれる、そういう存在でした。 ヨーロッパに出て、1年目にブンデスリーガで優勝、2年目でまた優勝。サッカーではまだまだ評価の低い アジアの国から、ヨーロッパというトップレベルでプレーし、優勝を勝ち取ることができたというのは、今振り返ると運命的な出会いだなと感じます」
それでも香川は満足してはいなかった。
「もっとやれるという自信しかなかったです。次のステップに行きたいという気持ちしかなかったです」
マンU・“サー・アレックス”の下で過ごした濃い1年間
名将“サー・アレックス・ファーガソン”の下、マンチェスターユナイテッドでプレーできるチャンスがあると聞いた時に迷いはなかったという。
「ユナイテッドに入って一番誰とプレーしたいかと言われたら、ウェイン・ルーニーでした」
「ただ、すごくやんちゃでクレイジーなイメージがあったので、最初はどういう人なのか分からなかったです。でも、ピッチで一緒に練習していくなかで、誰よりも戦っていたし、誰よりもチームメイトを大事にしていて、まさにチームプレイヤーみたいなものを彼からは感じました。ユナイテッドでたくさんの素晴らしいプレイヤーとプレーしましたが、ウェイン・ルーニーはベストな選手であったと今でも感じます。一緒にプレーできたことは自分のキャリアにとって、素晴らしい経験でした」
その頃共にプレーしていた選手たちは、次のステップ・監督への道を歩んでいる。
「ルーニー氏はもちろん、現役時代に一緒にプレーをしたスティーヴン・ ジェラードやフランク・ランパード、ライアン・ギグスなど、彼らが今後プレミアリーグのチームの監督として見られる日が近付いているということは非常に楽しみです」
32歳 自分の信念を大切に
まもなく32歳。ヨーロッパでは 30 歳を超えると評価がシビアになるという現実もある。無所属の期間には、古巣のセレッソ大阪をはじめ、中東・アメリカ・ブラジルのクラブからオファーが舞い込んだとされているが、ヨーロッパで戦い続けることにした。
「本当に色々なチャレンジを求められると思います。だからこそ大事にしなくてはならないのは、周りではなく、自分自身の信念や自分がどうなっていきたいのかであると感じています」
「結果というのは二の次、三の次。もちろん、結果を高めるためのプロセスにすべてを注ぎますが、そんな簡単に結果が得られるほど甘くない世界です。結果はコントロールできないので、そのプロセスやどうやって向き合っていくかがすごく大事だと思います。その上で、自分がオープンになり、日々前向きにこのチャレンジと向き合いながらやっていきたいと思っています」
環境が変わっても、自分がやるべきことは変わらない。
「毎日ベストを尽くすだけです。もちろん夢や目標もありますが、一旦それらは脇に置き、ここでの日々にすべての意識を持っていくことが何よりも大事だと思います。それは簡単ではなく、非常に難しいことで す。色々な自分が現れてしまうので、そういった時にでも、常に自分の意識をここでの日々に持っていけるように戦い続けていきたいと思います」