「平成の三四郎」と呼ばれた柔道家・古賀稔彦。代名詞の一本背負いを武器に、オリンピックでは92年バルセロナ大会で71キロ級金メダル、96年アトランタ大会では78キロ級で銀メダルを獲得した。
豪快な背負い投げで一本を取りに行く、90年代を代表する大スター。身長170センチに満たない体でも、重量級の選手相手に立ち向かった。
2021年3月24日、がんのため他界。53歳。あまりにも早すぎる別れは、日本のみならず、世界にも衝撃が広がった。
彼が遺した魂を揺さぶる言葉。
4月21日発売の名言集「強く、優しく 古賀稔彦の言葉」には、教え子たちの人生を照らし続けた熱血漢の哲学が詰まっている。
古賀稔彦とは
柔道選手として世界の頂点を極め、柔道家としても後進の育成にも終生、尽力した。
生まれは1967年、福岡県出身。柔道は小1の時、2歳上の兄とともに始めた。すると、数年後には「強い兄弟がいる」と評判に。小学校卒業と同時に上京し、東京・世田谷区の私塾「講道学舎」に入門した。
高校時代は国内で無双。日体大3年時には、1988年ソウルオリンピック男子71キロ級に初出場。この頃には、かつての娯楽小説『姿三四郎』になぞらえ「昭和の三四郎」、元号が変わると「平成の三四郎」と呼ばれた。
ソウルでは結果を出せなかったが、90年には階級無差別の全日本選手権に出場し、決勝で重量級の当時世界最強だった小川直也と激闘を演じた。
92年バルセロナオリンピックは、スペイン入り後に左膝内側側副靱帯を損傷するも、試合ではケガの素振りも見せずに金メダルまで駆け上がった。
決勝の判定勝ちで金メダルが決まった瞬間、天を仰いで雄叫びを上げた姿は、日本のスポーツ史に残る名場面となった。
谷本歩実を連覇に導く/03年「古賀塾」開設
以後、オリンピックは96年アトランタ大会まで3大会出場。00年シドニー大会出場を目指したが、国内予選で敗れ、32歳で現役生活を終えた。
引退後は指導者として後進を育成。全日本女子コーチ時代には、谷本歩実を女子63キロ級で04年アテネオリンピック、08年北京オリンピック連覇に導いた。03年には町道場「古賀塾」を開設し、金メダリストが未来を担う子どもたちにも一流の技を伝授した。
08年には弘前大学大学院に入学し、スポーツ医学で医学博士号を取得。自身の経験に医学の知識を取り入れ、日本のトップ選手を育て上げた。
柔道への巨大な熱量を失うことなく走り続けた名選手、そして名指導者だった。
心に刻みたい人生の指針
古賀の功績は国際柔道連盟のYouTubeでも紹介されている
本書は、幼少時代から晩年まで時系列に沿って名言をピックアップ。当時の思いが凝縮された金言とともに、その背景や活躍ぶりも説明文で解説している。
全5章からなり、少年時代から92年バルセロナオリンピックまでをまとめた前3章のタイトルが武道用語の「一意専心」「明鏡止水」「心技体」。後2章は柔道の創始者・嘉納治五郎が残した指針「精力善用」「自他共栄」。
現役時代は「強さ」を養うためのフレーズが並び、年齢を重ねるにしたがって、「優しさ」を追求するような哲学が増えていく。
人生の始まりから自分自身で人格を練り上げ、柔道の経験を通して言葉の選び方、物事の考え方が進化していく様子がうかがえる。
珠玉の言葉の一部を紹介
最後に、本書の一部を紹介。
100近い金言の中から、人生の道標となる古賀の言葉に出合えるはずだ。
第1章 「一意専心」
『一流の技の上には超一流の技がある』
『努力には「やらされる努力」と「望む努力」の2種類がある』
第2章 「明鏡止水」
『諦めからは、決して何も生まれません』
第3章 「心技体」
『勝負の鉄則とは、まず己に打ち克つことである』
第4章 「自他共栄」
『基本さえしっかりしていれば、応用はいくらでも利く』
第5章 「精力善用」
『人として生まれて来たからには人の役に立ちなさい』
『未知の自分と出会うためには何かを始めなければ何も起こらない』
(mimiyori編集部)
【出版概要】
タイトル:強く、優しく 古賀稔彦の言葉
著者:産業編集センター
判型:四六判、200ページ
発売日:2022年4月21日
定価:本体1,600円+税
販売場所:書店、ネット書店
産業編集センター https://www.shc.co.jp/book/16718
Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4863113277
楽天ブックス https://books.rakuten.co.jp/rb/17032112/