【連載「生きる理由」31】柔道金メダリスト・内柴正人氏 東京2020大会後編①~柔道日本代表を応援した理由とは

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内柴正人氏は、現在勤務する熊本県内で陰ながら柔道日本代表を応援していた(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働き、21年7月の寝技による格闘技大会「QUINTET」(後楽園ホール)では軽量級の団体優勝を果たした。

 

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「東京2020大会」後編①。柔道日本代表の活躍を陰ながら応援していた思いについて。 

「見たくない」としていたオリンピックだったが、いざ始まってみると連日テレビで応援していた内柴氏。その理由とは。

 

 

見たくないはずだったオリンピック

オリンピック。僕は自分の出ない大会に興味がありませんでした。

(※編集部注 前編参照)

 

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今の選手と関わりがないから知らないのです。

また、選手は知らないけれど、柔道には詳しいものだから、見ているとつまらなく感じるのです。これは、例えば芸人さんがお笑いのネタを審査する時は懸命に評価しているように、楽しく観戦するには柔道をあまり知らない方がいいのです。

 

 

思いがけないダイレクトメッセージ

そんな僕はオリンピックも もうそろそろかなあ、という6月。優勝してしまったクインテット(2021年7月13日後楽園ホール大会)の準備として、神奈川県の小見川道場へ週1、1泊で通っていました。そんな頃にTwitterのダイレクトメッセージに連絡がありました。 

「いつまでこっちにいますか?」

 

今大会、初日に金メダル第1号となった柔道男子60kg級の高藤直寿選手からでした。 

「もう帰る。でも、来週も来るよ」

「相談があります」

そんな感じでした。 

一流のアスリートはえてして適当な人が多いので、たいして気にもせず、会いに来ても、どう対応すればいいのか。自分の時間に合わなかったら、まあいいか!の精神で、来ないと思っていたのでした。

 

 

柔道着持参で格闘技の練習へ

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2020年秋にはQUINTET初参戦に向けて、同じ道場で練習していた(撮影:丸井 乙生)

期待はしてないけれど、その週の神奈川行きのスーツケースにはメーンのグラップリングのウエア、その前の柔術クラスの柔術着、プラス高藤くんが来た時のために柔道着でパンパンにして行きました。 

どんな人なんだろう? 

僕の練習が夜7時から柔術、8~10時がグラップリング。もし、話をするならその後でしかできないけれど、彼が相手をしてくれるなら乱取りくらい軽くやってからでないと何の話もできないよな。 

そんな本能タイプな考えでいました。彼も夕方に練習があるから、それから来るとのこと。

(乱取りは出来ないだろうなあ)

何の話ができるだろう。

僕の願いは一つだけ。グラップリングの時間だけは練習に集中したかった。

そうしたら、グラップリングが始まる頃にひょっこり現れた彼はとっても恐縮していて、道場の隅っこにちょこんと座っていました。

(内柴正人=この項目つづく)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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