【連載「生きる理由」48】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「めんどくさい話」最終話~「めんどくさい」は続けていけば「簡単」になる

f:id:mimiyori_media:20211209203713j:plain

温浴施設の片隅にある練習場。一緒に練習する仲間が日々、増えている(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「めんどくさい話」最終話。「人に優しくありたい」「人の役に立ちたい」という思いの原点は、小学校時代に出会った先生たちにあるという。

当時から寮のある小学校に通い、柔道一直線。「めんどくさい」を続けることで今、仕事で得た喜びとは。

 

 

 

居眠りするほど疲れていた小学校時代

僕が「人に優しくありたい」「人の役に立ちたい」と思うことに喜びを感じるのは、これが小学校の頃の先生たちが、

「勉強しなくてもいいから、道徳の授業だけは聞いてくれ」

――差別などの話、原爆の話。人権だとか、そういう話の時は「絶対に聞いてくれ」と願うように言ってくれていたからです。

 

僕は学校で居眠りする子どもとして有名であり、違う女性の先生が「こんな子どもらしくない、疲れている状態は良くない」と、柔道を辞めされてくれようとした先生との出会いもありました。

 

辞められないなら 誰よりも頑張りたい

f:id:mimiyori_media:20211209204834j:plain

近年の柔道選手がいそしむ階段トレーニングも、長年習慣として行っていた
(写真:本人提供)

柔道、辞めたかったんですけどね。

人生で一番つらかった時代は、小学校時代でもあります。

そうまでして、何で柔道をしていたか。

あの頃は逃げ場がなかったんだろうと思います。

 

でも、やるからには頑張りたい。

めんどくさい。

いや、やるんなら頑張りたい。

 

辞められないなら誰よりも頑張りたい。

そう思っていたのは覚えています。

今も同じ精神論です。

 

子どもの頃は「めちゃくちゃ弱かった」

f:id:mimiyori_media:20211209205144j:plain

思い出の地・阿蘇を訪れた内柴氏(写真:本人提供)

子どもの頃はめちゃくちゃ弱かったし、試合でもビビって何もできなくなる。

怖くて動けないんです。

それで負けていました。

身体も小さく、太らない。

 

だから、ずっと辞めたかった。

でも、逃げる方法が分からなかった。

 

ある日、テレビを見ていたらオリンピックをやっていて、柔道で金メダルを取っている人がいて。

それを見て、

「今は何にも勝てないけれど、この努力を続けていく先にオリンピックを目標にしよう」

「大人になる頃には身体も大きくなるだろうし、体力差も埋められるだろう。

だから、弱い今、誰よりも練習をして、オリンピックで勝とう」

と決めたことを思い出しました。

 

仕事で成長を実感

f:id:mimiyori_media:20211209204121j:plain

勤務先では機械の修理も行う(写真:本人提供)

今ね、働いてるんです。

しかも、トレーニングをやりながら。

試合にも呼ばれたら出ちゃうくらい。

仕事でも、他店舗に作業で呼ばれるんです。

風呂屋の社長や仕事の先生方にかわいがられながら、勉強しつつ仕事をしています。

 

この仕事を始めた頃は、

「うわ、この仕事、これから一生やんなきゃなんないのか。めんどくさい」

と思っていたことがめちゃめちゃあったのですが、この間、仕事をしている時にふと、

「あれ、この作業は昔めんどくさいと思ってたやつだな。こんな簡単なのに。俺、成長してるや」

とうれしくなった日がありました。

 

「めんどくさい」は続けていけば簡単になる

f:id:mimiyori_media:20211209203859j:plain

腕ひしぎ十字固めのコツについて伝える内柴氏(右=撮影:丸井 乙生)

めんどくさい。

僕がめんどくさがりな選手に

「打ち込みしろ!」だとか言っても、彼らは聞かない。

自分もめんどくさかったから分かるのだけど。

 

「めんどくさい」は続けていけば、「簡単」になる仕事となる。

スポーツなら「技」になるのでしょうね。

 

めんどくさいを面白く。

 

仕事で学んだ感覚でした。

(内柴正人=この項終わり)

………………………………………………

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

#MasatoUchishiba

 

mimi-yori.com

 


mimi-yori.com