【連載「生きる理由」58】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「泥だらけの畳」後編~そして道場は出来上がった

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手づくり道場にようやく畳を敷いた内柴氏(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「手づくりの道場」後編。

柔道を習いたいという子どもたちに教えるために、職場の片隅にあるミニ道場用に中古の畳を入手した。「面倒くさい」と言いながらも、結局はやってしまう性分。泥だらけの畳を何度も洗浄しては干し、やっとのことで「柔道場」は出来上がった。

 

 

 

 

父の教え「やりかけた仕事は遅くなっても最後までやる」

子どもの頃に、自宅のバルコニーの屋根を自分で張ったんです。その時に、夕方までに終わらなくて、晩ご飯の時間を過ぎてもやっていたんです。

終わって席に着くと、褒められた。

「終わったか、そう、途中で辞めないで最後までやることが大事」

そう言われたことをよく覚えています。

 

柔道は覚えることだらけ

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「子ども弟子」を教える内柴氏(右=写真:本人提供)

「経験とアドバイスを合わせて覚える」。
これは僕の癖。知られているだろうけど、あんまり僕は賢くないんです。

勉強は意味を感じない。使う時に使う分の学びをすればいい。宿題したこともない――それは、前にここに書いたことがある気がします。

 

でも、柔道は、覚えることだらけ。
釣り手を開く時は釣り手側の足を動かす(動かせる)。
僕の柔道だと動かさないといけない。
「一」の踏み込みの足ですね。


この足を動かすために重心の移動があり、重心を軸足側に置くのだけど、軸は真ん中。
この予備動作があるから、釣り手を開いて「一の足」が踏み込める。
普通は足を踏み込むだけなんだけどね。

 

「攻めろ」と言われて「行けない」理由とは

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内柴氏が現役時代に行っていたトレーニング「タイヤ曳き」を行う「学生弟子」
(写真:本人提供)

なぜ、こう考えるようになったのか。

 

柔道を教えられている時、教えている時、見ている時、よくあるのが「攻めろ」「返されてもいいから技を掛けろ」「行けって言ってんだろ」

行けない中学生、掛けられない高校生、使えない大学生のほとんどが軸と重心のコントロールができていないから、行きたい時に固まっているんですね。

僕もそう。滑らかになるまで反復練習していないと動けない。

反復の中で、基本の中におかしな点があって改善していったら出来上がったのが今のスタイル。もう、20年くらい変わらないからたぶん、正しい。

これに釣り手引き手の関係を足のステップに合わせると動ける。

 

天才はこれがいらないけど、僕はここまで考えて毎日終わらない反復練習をして覚えていきました。

 

柔道の勉強は五感で覚えた

いろんな場面を覚える。とても必要だから覚えるけれど忘れる。
だからノートに書く。
書く時には、その動きを覚えようとしている時に先生にしばかれた話や、季節の暑さ寒さや時間帯、その時の練習パートナーとのこと。いろんなモノをその技や動きと一緒に覚える。においでさえも一緒に覚える。
そうすることで忘れない、という経験があるから、今でもそうあります。

 

中古の畳を何度も洗浄

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何度も洗っている途中の畳。干すのも一苦労
(写真:本人提供)

で、ドロドロな畳。面倒くさかったなあ。

今は店を空けて練習に行ける時間もないけれど、空き時間はあるんです。時間を見つけては畳を駐車場に敷いて洗浄、ゴシゴシ、漂白、ゴシゴシ、乾燥。

 

相方のナカガワ弟子に言う。

「こういう環境を作ってる時の試合は負けるからね」

これも経験。勝ちたかったら練習。環境を作っている暇なんてないんです。

簡単な話。

 

環境を作る。

その環境が気になっている時ってやつは、今ある状況に納得してないということ。本当なら何も疑わずに出来ることをやるだけの方が強くなれるんだけど、自分がしてきたことを一つでも多く経験させてあげたい。

それだけです。

 

最終的には弟子と夫人の手を借りた

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1人でやろうとしたが、仕事でさすがに手が回らず、弟子と夫人の力を借りて仕上げた手づくり道場
(写真:本人提供)

畳は古いけれど、何とか敷きました。
こういう時に人を使いたくない。人件費がもったいない。
柔道をやっている者として練習に来ている弟子にやらせてもいいのだけど、それはそれで自分が「こうしたい」って思う作業で人を使いたくない。

 

そんなこと言いながら、最後は弟子以外に妻も巻き込んで完成させたんですけどね。

「立派な道場が欲しいなあ」と思うことについて、という話でした。

(内柴正人=この項終わり)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

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