【連載「生きる理由」76】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「斉藤仁先生から学んだこと」①~意地になった単独トレ

チャリティー柔道セミナー開催時に、一昼夜かけて熊本から愛知、東京へ車で移動していた内柴正人氏。道中では朝日を見た。着用しているTシャツはそのチャリティーTシャツ(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「斉藤仁先生の教え」①。

 

大学時代は、尊敬する野村忠宏先輩を同じ60キロ級で倒して五輪出場、そして金メダル獲得を目指していた。

その夢をかなえるために必要なことを考えていくと、大学の練習だけでは足りないことに気が付いた。

葛藤する時期に出会った故・斉藤仁先生とのやり取りを振り返る。

 

 

「でも、斉藤仁先生がいる」

キルギス共和国で総監督を務めていた時期の教え子が、職業研修で来日中。空き時間を使っての稽古で背負い投げに入る手本を見せる内柴氏(右手前の青道衣)。ここから身を反転させて一歩で背負いに入る(写真:本人提供)

前回まで書いたように、

大学に入学してみると正直、僕の夢をかなえる何かがある場所ではありませんでした。

 

何かがある訳ではない。

でも、斉藤仁先生がいる。

これだけでした。

 

この何かを誰かに教えてもらえる世界ではないけれど、誰かがそこにいるから感じられる場所ではありました。

 

感じる場所であること自体はみんな同じで、そこから何を考えてどう動くか。

それは人によってさまざま。

 

 

目標をかなえるために独りで動く

一歩の間に体を反転させる内柴氏。10年ブランクがある44歳とは思えない動き
(写真:本人提供)

高校生の時もそうなのですが、
僕は進学した高校、大学が守っている成績や目標と、
生徒が持つ意識とのズレを素直に受け入れられなかったので、
高2の途中から朝のトレーニングは、先生にお願いしてチームとは別に自分でやるようにしました。


午後の練習もとにかく後輩にお願いして、打ち込みをひたすらやって、自分の実力と高校の持つ指導方針と欲しいタイトルの誤差を埋めていました。

 

これが高校では許されたけれど、大学では許されませんでした。

 

大学でも単独トレ開始

背負いの体勢。肘に痛みがあるため少しずらしているが、大きな動きからの早業
(写真:本人提供)

でも、大学の練習の中だけで柔道をしていると進化できない。
進化し続けなきゃ、夢なんて到底かなわない。

 

でも、大学の練習はキツイ。
進化しないキツさ。


俺、何やってんだろう。

 

思い切って大学の練習は誰よりも追い込み、進化したい部分のトレーニングは別に自分でやるようにしました。

これが先生は気に入らない。
否、
僕の体力がなく、
自主トレした後に大学の練習なんて体力がもつわけもなく。
メインの練習で力尽き果てることもあったのです。

 

先生との〝戦い〟

見事な動きに思わず拍手を送る教え子たち。内柴氏(右手前)とはざっくばらんな関係。すべてを知っている上で、キルギスから内柴氏を慕って追いかけてきた
(写真:本人提供)

力尽き果てる。

文字通り、そのまんま。

 

斉藤仁先生がそういう時に限ってアドバイスをくれる。

できない。

怒られる。

「意味がないトレーニングなんかやめろ」

 

忘れられない言葉をもらう。

 

練習後に意地になってトレーニングをする。

当時、大学のある多摩校舎から寮は電車で1時間少し、車で50分ほど。

自転車で1時間切るくらい。距離は32キロくらいだったかな。

 

怒られた日の練習終わりに斉藤仁先生が帰る。

遅れて僕も帰る。

 

(意味のない自主トレなんかするな)

イライラも最高潮で、自転車で先生と同じ方向へ進む。

 

ちょうど甲州街道に入って30分ほど進むと給田四丁目に寮があり、その近くに先生は住んでいる。

 

無駄に追いかける。車は調布から世田谷に入るところくらいが一番混む。

そこで先生の車を見つけ、真横をすり抜ける。

 

スッキリ。

 

 

認めてもらえない日々

キルギス共和国から職業訓練で来日中の教え子たち。彼らの柔道衣購入や活動費を集めるチャリティーTシャツを販売中。希望者は事務局メールアドレス(piiita6u6@gmail.com)へ申し込み
(写真:本人提供)

大学の練習前後に、まあまあ距離のある道を往復する無駄とも言える毎日。
山を走り、筋トレをする。
打ち込みは練習でもするのに、その前にひたすらやる。

それが認められなかった日。

自分勝手だと怒られて、ほんの少ししか時間は経ってないのに、へこみながらも決めたことはやりきる。
そんな意地は僕にもあった。

 

誰にも認められなくても。

 

書けばいくらでもある、認められなかった話。

 

(内柴 正人=この項つづく)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信開始

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に週1回開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。

より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。

詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

 

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

#MasatoUchishiba