【連載「生きる理由」98】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「1度目の金メダル後に勝てなくなった話」③~同じメニューをこなせば勝てると思っていた

夫人主導で「内柴道場」を熊本県内に準備中。今までの”プチ道場”とは異なり、広々とした本格的な道場だ(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「04年アテネ五輪で金メダル獲得後に、数年間勝てなくなった話」について後編。
連覇した08年北京五輪にたどり着くまで、国際大会優勝なし。
内柴氏は七転八倒の日々を送っていた。
勝てなくなった理由に思い当たった思考とは。

 

 

 

出力が落ちていることに気づく

このほど、熊本県内で道場にぴったりの場所を貸してもらえることになった。柔道経験者の夫人が主導して準備中(写真:本人提供)

そう。

僕は1度、
オリンピックチャンピオンになり

オリンピックを初めて勝った時の練習メニューさえしていればまた、勝てる。
そんな甘い人間になっていたんですね。

 

質と量さえこなしていれば勝てる。

技もある。
練習量は誰よりも多いことは自分でも分かっている。

 

でもね。

出力が落ちていたんです。

一つ一つのトレーニング種目をなぞってやっているだけで

やっているだけで、勝つために心を込めてやっていなかったんです。

 

心を込めて量をこなし 量の中から質を生み出す

先ほどのスペースに大量の古タイヤを敷き詰めていく。「内柴道場」の立ち上げ作業を手伝ってくれる人たちがいる(写真:本人提供)

そう思えば

オリンピックなんかに出られるかどうかも分からない。
2003年まで僕は60キロ級でオリンピックを目指し、ダメでも世界一を目指し、
その過程で野村先輩にも2回も勝ち。

何がなんでも野村先輩には3回目のオリンピックは行かせない。
俺が行く。

 

そんな若かりし僕の練習はというと、
質と量で言えば
心を込めて量をこなし、量の中から質を生み出す。
その質となったものを量こなす。
心を込めて。

 

1回1回の「1」で世界一の出力を

古タイヤの上に板を敷き、その上に畳を敷く。そうするとスプリングが利き、安全に受け身をとれる柔道場ができるのだとか(写真:本人提供)

1日の中で、自分で決めたトレーニングをやりこなせない。
「俺って弱いなあ」
1日に何度も心が折れていました。
それを立て直してトレーニングを進める。


1回1回の「1」に全力で。
この1回1回の「1」で世界一の出力を出す。
なかなか難しいものです。

だから、数をこなす。

そう、
この感覚を知らず知らずに忘れていたのかもしれません。
無駄な努力をしていました。

 

あきらめることをあきらめる

仕事が休みの日は、内柴氏自ら工具を手に作業を手伝う(写真:本人提供)

その「禁煙をやめた」日に
心からこの数年間を反省した僕は覚悟を決めました。

 

「禁煙はやめる」
「あきらめることをあきらめる」
あきらめ、ないんです。

あきらめたって、あきらめないんだから、もう、あきらめない方がいいんです。

ただ、心は何度も折れる。

山を走る時は
全力の中の全力で坂をかけ登り、
登りきった山の上の続く道でもスピードを落とさず上げ続け。

人をかついで階段を走る時も
これまでの本数を増やし、増やすけどトレーニングの時間は短くする。

ロープ引きも同じ。
ただ、引くのではなくタイムを計る。
より早くより強く。

 

欲しい世界に必要だったものは「覚悟を持った出力」

2020年1月から仕事を始めた熊本・八代市で知り合った人たち、そして柔術で新たに巡り合った人たちが自由に練習できる場所を作りたいと考えるようになった。夫人が準備に奮闘している「内柴道場」は現在、仕上げの真っ最中(写真:本人提供)

トレーニングの時間は変わらないか、それまでより短くなりました。
ただ、めっちゃ疲れてるので
柔道の練習をする時にはぐったりで
練習後には、みんな帰るまで座り込んで動けなくなっていました。

1日が終わると
練習後に打ち込みをする者、研究をする者。
帰る者、掃除する者、みんながみんな、すべてのやることを終えて帰り支度をし終わったくらいにようやく着替え始められる。

そう、
ここまで長々と書いてきて
何を言いたいのか。
そう、「覚悟を持った出力」です。

理にかなったトレーニングはね。
もう、十分やれてるんです。

肺が破れるくらいの全力と肉離れを起こすくらいの追い込み。

それがあって始めて
いや、初めて、僕の欲しい世界に踏み込めるんです。


(内柴正人=この項つづく)

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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