【連載「生きる理由」99】柔道金メダリスト・内柴正人氏 「1度目の金メダル後に勝てなくなった話」④~ゾーンは努力の詰まったまぐれ

内柴正人氏は熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。

これまで、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、今回は「04年アテネ五輪で金メダル獲得後に、数年間勝てなくなった話」について最終編。

連覇した08年北京五輪にたどり着くまで、国際大会優勝なし。
その理由が「初めて勝った時の練習メニューさえしていればまた、勝てる」と思い込んでいたことに気がついた。

すでに、全体練習のほかにハードな個人トレーニングを長年続けていたが、
さらに厳しい練習を自分に課すことを誓う。

そこに至るまでの思考について。

 

 

 

祈る気持ちで練習をし続けた先に

2022年は、弟子入り希望者が内柴氏のもとに数多く訪れた年だった(写真:本人提供)

相手の才能と自分の才能を比べるのが柔道か?
短時間で効率的に勝つ方法を見つけたものがえらいのか?

いやいや、
それまでの人生において勝たなきゃいけない者が
へたくそに
拝むように、祈るように不器用に
トレーニングをし続けた先に落ちているんですね。

勝ちが。

それを拾うために何をしなきゃならない、
それを見つけるために
僕は死に物ぐるいでやってきたことを人にアドバイスする時にはやらせないのだけど
知っておいて欲しいとは思います。

 

「覚悟を決めた出力」を続けた先に連覇

仕事では何でも修理できるようになった。左は修理前のポンプ、右は修理後。修理した部品には色を塗るようにしている(写真:本人提供)

この、
「覚悟を決めた出力」。
これを求め直したのは
2回目のオリンピックまで
10カ月を切っていました。

ギリギリ間に合った。

結果は優勝したんです。
優勝した瞬間、相手を押さえ込んで関節を決めながらでも
「まだあきらめない。まだ戦える」
思ってました。
もう、勝ちきってるのに。

 

それで分かった「努力は少し余るくらいがちょうどいい」

2022年は、大阪から柔道一家が熊本まで〝入門〟に訪れた(写真:本人提供)

大切な勝負の日までに突き抜けるには
努力は少し余るくらいがちょうどいい。

そう、
これは初めて日本一になった中学3年の夏
あれ、もう少しサボれたな。
高校でのインターハイで勝った時も。

節目節目の勝負事の後に必ず思うのです。

もう少しサボれたな。

努力は少し余るくらいがちょうどいい。

何回も経験していることから学んだものでした。

 

「ゾーン」は努力の詰まったまぐれ

2022年は愛知、東京、大阪で柔道セミナーを初開催した。写真は大阪でのセミナー(撮影:丸井 乙生)

そう。
それで常に120超えて毎日過ごしていると
当たった時に200出るんです。

僕はこの200に合わせていました。
100は日本一とか何かの国際大会
今やっているグランドスラムとかですね。
それで勝てていたんですけど
勝てなくなりました。

「ゾーン」みたいな努力の詰まったまぐれじゃないです。
努力の詰まったまぐれは何度も経験ありますもん。

確実に
最高の筋出力と技の角度の正確さ。
絶対のタイミングと相手の気持ちすら分かります。
ただ、ここで調子に乗らずに自分をコントロールすることが重要です。

 

「1」の出力が強く鋭くなる

2018年秋、第二の人生を模索していた頃の内柴氏(撮影:丸井 乙生)

この作文は
ある選手に送るLINEの内容です。
理にかなったトレーニングはやるべきだけど、自分に理不尽に嘘をついて鍛える。
「大丈夫、大丈夫」
「まだやれる」って。
もうやれないのに。

動けないのに。
折れても折れても動き続けていると
大切な日に
1回1回の「1」の出力が、求めている何倍も強く鋭くなるんです。

大切な日に間に合うんですね。

頑張れよ。

 

(内柴正人=この項おわり)

 

◆内柴正人氏による柔道指導の動画配信      

内柴氏が現在、熊本・八代市で小学生から大学生を対象に開催している練習会を中心に、指導内容を盛り込んだ動画配信を22年4月から開始している。
より詳しい内容について、メンバーシップ配信も開始した。
詳細は下記YouTubeのコミュニティ欄へ。

 

www.youtube.com

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うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

 

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