【連載「生きる理由」14】柔道金メダリスト・内柴正人氏 仕事と柔道の共通点

内柴正人

2020年秋、格闘技大会「QUINTET」出場に向けて練習していた頃の内柴正人氏

(撮影:丸井 乙生)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇した内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーを務めている。18年からキルギス共和国の柔道総監督に就任し、19年秋に帰国した後は柔術と柔道の練習をしながら働く、いち社会人となった。 

17年9月の出所から現在の仕事に就くまでの数年間、彼はどんな日々を過ごしてきたのか。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、仕事に悪戦苦闘する中で考えた「慣れない仕事に立ち向かう心構え」後編。

 

 

心を込めて答えを探していく

はかどらない仕事、過ぎる時間。これを目標もなしにただ過ごしているだけなら、辞めた方がいい。心を込めて繋がりを考えて、たぐって答えを探していく。気持ちを込めて、当たり前の単調な仕事に感動する。

終わらない作業を夜中のうちに終わらせることが出来た朝には、何だか大人になった日のことのように自信が出てくる。

何でもできるじゃん。簡単、簡単。この1年、それがたくさんあった。 

 

斉藤仁先生の言葉「きょうの課題は何が何でも」

斉藤仁先生が頑張れない学生に対して、「きょうの課題は何が何でも、きょう中に終わらせること」と長々と話して、学生の“嘘のやる気”と勝負していた時の言葉を思い出します。

今の社長も、営業後にいろいろ終わらせてから電話で話している時に、僕から修理箇所を報告する事があります。すると時には2時間にも及ぶ長い説明を受けて、今からやって来い、となる。 

僕、徹夜はいいんだけど、誰もいない広い店内や機械室に1人でいるのが怖かった。やる気がないわけではなく、怖いんです。お化けが! 

嘘はつけないから、正直に「本気で夜中は無理です」と怒るように言ったこともありました。だけど、社長も折れない。今となっては懐かしいです。 

  

仕事と柔道の共通点

内柴正人

柔道着を握る手から「働く手」に(写真:本人提供)

そんな時に斉藤仁先生の言葉を思い出します。僕は当時、自分の練習が止められることが嫌で、先生の気持ちはよく分かっていました。でも、この頃になってようやく、当時の学生の気持ちが分かったような気がしています。 

現在の僕は、1人でも朝まで平気になりました。途中で切り上げて飲む酒もうまいのだけど、朝までかかって直した機械が明け方に順番に作動し始め、その日の温泉の準備をし始めてくれた時には、日本一になったあの頃のようにさっぱりとした気分になり、酒もそこそこに泥沼に顔から突っ込むように眠る睡眠の深さは心地がいい。 

起きたらみんな優しい。柔道と一緒だ。 

 

社宅も自作で増築中 

そんな僕がこの先、何年も仕事に追われて休みが取れないなんてことがあるはずがない。今回は久しぶりの休みを取るために、残る人とヘルプで店に来てくれる方々に少しでも負担がないように、あらゆることを終わらせていました。

加えて、別の作業もあったんです。社長が社宅としてプレハブを用意してくれて、建物の基礎を作ったり、母屋と繋いだりする作業は僕と僕の仕事の先生に任されている。手作りです。

休みまでに風呂の修理などを直す方に時間を使いたくて、仕事の先生には「本業を教えてください」とお願いしていました。よって、休みまでに社宅の増築は間に合わないのだが……。

 

絶対に間に合わないので、大丈夫。諦めたスッキリ感を持っている。諦めも大事。優先順位で諦められない方から片付ける。そんな感じでやっと休みが取れそうです。

親戚のお祝い事だから。それに1日間。いつも僕と一緒に働いてくれる妻、相手をしてやれない子どもに何かいいことしてあげたい。そう思う内柴正人でした。

(この項おわり)

  

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。 

 

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