「体操は美しくないといけない」ーー。
遠藤幸雄。その信念と、1964年の東京五輪で残した輝かしい功績が、今なお続く「体操王国・日本」を支えているといっても過言ではない。
そして、2021年の東京。彼は再び帰ってくる。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
金メダル3つ獲得の快挙
日の丸はゆっくりと、中央の最も高いところまで掲げられた。それを表彰台から誇らしげに見つめた遠藤は、金メダルを首にかけれると大きく手を挙げて観客の歓声に答えた。
前回会の60年ローマ五輪で日本初の団体総合優勝に貢献した遠藤。
彼は日本のエースとして母国開催のオリンピックの舞台に帰ってきたのだ。
筋骨隆々な肉体が、柔らかくしなやかに宙を舞う姿は見ている者を魅了。そして115.95点を記録し、日本史上初の個人総合での金メダルを獲得した。
さらに、団体連覇、種目別の平行棒でも金メダルを獲得する偉業を達成した。
特に、平行棒で華麗な宙返りから決めた、微動だにしない着地はまさに「美しい体操」を体現したものだった。
快挙までの道のり
中学生で体操を始めた遠藤は当時、鉄棒の蹴上がりさえできなかったという。
工業高校進学後、同じ秋田県出身の小野喬の演技に刺激を受けて練習を重ねた。そして3年時の高校総体では個人2位の成績を収めるなど急成長を見せる。
1956年のメルボルン大会の最終選考会では下から数えたほうが早い順位に終わったが、60年のローマ五輪で国際大会初出場を果たすと、憧れの小野とともに団体Vに貢献した。
「エンド―」は生き続ける
引退後は、かつて助手として在学した日大で後進の指導に注力。
「五輪の名花」とうたわれ、東京五輪で3つの金メダルを獲得したチェコ代表のチャスラフスカものちに遠藤から指導を受けていたことを明かした。
指導者としても日本、そして世界の体操界に貢献し続けた遠藤であったが、2009年3月に食道がんにより死去。
しかし、「エンド―」は鉄棒の「前方開脚浮腰回転倒立」の技名として今日も体操の世界で生き続けている。
この夏、半世紀以上の時を経て、東京で再び「エンドー」の名を聞くことができるに違いない。
(mimiyori編集部)