初舞台で結果を残す人々の強さを思い知る。
1968年メキシコシティー五輪・体操男子団体で、日本は金メダルを獲得した。
1964年東京五輪で金メダルを獲得し、日本のお家芸と世界に知らしめてから4年。
東京大会の主将・遠藤幸雄と、初出場の5選手で挑んだ大舞台だった。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
今も昔も新戦力が輝く「体操ニッポン」
6人の勇者がいる。
1968年メキシコシティー五輪体操男子団体のメンバーは、遠藤幸雄・加藤武司、中山彰規、加藤澤男、塚原光男、監物(けんもつ)永三の6人。
東京2020オリンピックで見事銀メダルを獲得した体操男子団体チームは4人。
年を経るにつれ、一人一人に総合力が求められるようになっているのかもしれない。
ただ、68年メキシコ大会も東京2020大会も、初出場の選手たちの底力が輝いた大会だった。
団体3連覇!圧倒的強さの秘訣はチーム力
68年メキシコ大会、体操王国ニッポンは新たな歴史を作った。
64年大会で日本中のヒーローとなった遠藤を主将とし、ほか初出場の若武者5人が力を結集。金メダルを争うライバルは、強豪のソビエト連邦だった。
既定演技を終えた時点で、日本はソ連に1.25点リード。
続く自由演技。最初の種目はあん馬では、塚原が落下するも、監物が9.65点、加藤が9.55点と高得点を叩き出し、チーム力を見せつけた。苦手種目の跳馬を乗り越えると、つり輪・平行棒・鉄棒・ゆか運動では、一人一人が本領を発揮し、高得点を連発。
ソ連に3.55点差をつけて、団体3連覇、世界選手権を含めると5連勝の偉業を成し遂げた。
初めて尽くしの20歳 最年少金メダリストに
6人で勝ち取ったメダルだが、中でも監物は、日本の苦手種目・あん馬を得意としていた。
当時の監物は初めての飛行機・初めての海外遠征・初めての日本代表と初めて尽くしの20歳8カ月だったが、役割をまっとうし、当時の日本体操競技史上最年少金メダリストとなった(のちに16年リオ大会で白井健三が更新)。
この金メダルを含めて、五輪・世界選手権では計24個ものメダルを獲得。これは内村航平に次ぐ、体操競技日本人歴代2位のメダル数だ。さらに70年の世界選手権では、日本男子初の個人総合優勝を果たしている。
引退後は、徳洲会体操クラブなどで後輩の指導に励んだ。東京2020大会で体操男子団体を銀メダルに導いた監督・水鳥寿思も、教え子の1人だ。
監物のDNAは、今も体操ニッポンに根付いている。
(mimiyori編集部)