1964年東京五輪に出場できなかった無念を晴らした。
1968年メキシコシティー五輪で初出場した中山彰規は、体操の種目別つり輪・平行棒・鉄棒で金メダルを獲得した。団体で勝ち取った金メダルと合わせて金メダルだけで4個を数え、さらに個人総合の銅メダルと合わせて、メダル5個を獲得。64年東京五輪は代表選考会で8位に終わり、代表の座を逃した男の努力が実った瞬間だった。
金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。
持ち点制の旧ルール
あまりの強さに、ざわめきが起きた。
1968年メキシコシティー五輪体操競技最終日、種目別のつり輪決勝。
団体総合で高得点を挙げた上位6人によるハイレベルな争いが繰り広げられていた。
当時は決勝に臨むにあたって、持ち点が与えられていた。団体総合の規定演技と自由演技の合計得点の半分を持ち点とし、決勝の得点を加算していく形だった。
現在の体操競技と比較すると、規定演技が96年アトランタ大会を最後に廃止され、採点方法も10点満点制が廃止されて、上限のない採点方式となっている。
また、種目別決勝は予選を勝ち抜いた上位8名による戦いとなり、予選の得点は加味されない。東京2020大会からは種目別のみに出場する個人枠が新設されるなど、大きな変化を遂げている。
持ち点2位からの逆転勝利
では53年前の話に戻ろう。
中山は、持ち点9.750で2位。1位は9.775で加藤澤男、3位は中山とわずか0.025点差でボロニン(当時ソビエト連邦)と、上位3人が0.05点の間にひしめき合っていた。
いざ決勝。
中山は乱れのない十字懸垂などを華麗にこなし、次々と技を決めた。最後はスイング技から1回ひねりを決めて着地し、9.70点を叩き出した。
加藤の決勝の得点は9.45、合計得点は19.225。
ボロニンの合計得点は、持ち点の9.725に、決勝の9.60を加え、19.325。
いずれも中山の合計得点19.450には及ばず、チームメイトやライバルを押しのけて堂々の金メダルを獲得したのだ。
1日に3個の金メダルを獲得
つり輪で金メダルを獲得した日には、平行棒と鉄棒の決勝も行われていた。
平行棒では持ち点のリードを守り切り、ボロニンに0.05点差で勝利し、金メダルを獲得。鉄棒では、19.550点でボロニンと同点優勝となった。
1日で3個もの金メダルを獲得した中山だったが、大会直前はスランプなどの懸案事項を抱えていた。しかし、始まってみると団体総合の金メダルに貢献し、個人総合でも加藤、ボロニンに次ぐ銅メダルを獲得するなど、大活躍だった。
その圧倒的強さの根底には、64年東京五輪の代表選考会でメンバー入りを逃した悔しさがあったのだろう。
72年ミュンヘン大会では、30歳のキャプテンとして日本代表を牽引するのだが、今回はここまで。物語は続く。
(mimiyori編集部)