【五輪金メダリスト連載】打倒ヘーシンクはついに叶わず 失意の金メダリスト~1964年東京五輪柔道重量級・猪熊功

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

柔道は日本を勇気づける。

 

1964年東京五輪・柔道重量級、猪熊功は金メダルを獲得した。

88キロの猪熊が100キロ以上ある大男たちを次々と倒す姿に、日本中が熱狂した。

ただ、どうしても対戦したかった無差別級の王者・ヘーシンクとの対戦は叶わず。柔道漫画「YAWARA!」の登場人物、猪熊滋悟郎のモデルともなった国民的ヒーローの半生に迫る。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

 

柔道初開催の1964年東京五輪

猪熊の金メダルは軽量級の中谷雄英、中量級の岡野功に続いて、3個目だった。

記憶に新しい東京2020大会で、日本は五輪柔道史上最多となる9つの金メダルを獲得したことと比較すると、数は少なく見えるかもしれない。

しかし、1964年東京五輪において、柔道は初めて正式競技に採用された。それも、実施された階級は男子4階級のみという中で、3階級を日本勢が制覇、無差別級でも神永昭夫が銀メダルを獲得したのだ。

 

この4人がいなければ、東京2020大会での輝かしい成績やあの興奮の数々は見られなかったかもしれない。

  

ともに一時代を築いた神永 伝説のライバル関係

本来、猪熊は無差別級での東京五輪出場を目指していた。なぜなら、当時無類の強さを誇っていた無差別級選手・ヘーシンクを倒したかったから。

 

その前に立ちはだかったのは因縁のライバル・神永昭夫だった。

1959~61年の3年間、全日本選手権の決勝戦は全て猪熊-神永の顔合わせ。猪熊が59年は優勝するも、60、61年は神永に王座を明け渡した。

”神猪時代”とも称される時代を築き上げた2人だが、猪熊は64年全日本選手権で3位に終わり、日本柔道強化委員会の選考の結果、神永が無差別級、猪熊が重量級で東京五輪に出場することが決まった。

ヘーシンクへの挑戦権をゲットしたのは神永。その後の柔道人生を大きく分ける分岐点となった。

 

体格が二回り大きな相手との決勝 激闘制し金メダル

迎えた64年東京五輪。

猪熊は、ヘーシンクを避けた猛者たちが集まる激戦区で、決勝までコマを進めた。

相手は身長190cm、体重120キロの巨漢、カナダ代表のロジャース。

60年に来日し、英語を教える仕事をしながら講道館で柔道を学び、東京五輪後には伝説の柔道家・木村政彦の愛弟子となる生粋の柔道家だ。

 

しかし、身長173cm体重88キロの猪熊は、中学時代から米兵にウエイトトレーニングを教わり、プロテインにも着目するなど、当時では革新的な練習をこなしてきた。

講道館で切磋琢磨し、互いの手のうちは知り尽くしているということで、試合は長期戦となったが、猪熊が優勢勝ちで金メダルを獲得した。

 

ちなみにロジャースは、来日当初は6カ月間の滞在予定だったが、東京五輪での悔しさを胸に木村の下で猛特訓。65年全日本学生柔道優勝大会で拓殖大の初優勝に大きく貢献して帰国した。

その後、68年には日本で稽古を共にしていた中村浩之氏を講師としてカナダに招へいするなど、柔道文化の発展に寄与した。

 

ヘーシンクとの対戦はかなわず 失意のうちに引退

金メダルを獲得した猪熊とは対照的に、64年東京五輪に無差別級で出場した神永は、直前の大けがもあり、ヘーシンクになすすべなく敗北した。4階級制覇を期待していた日本中からは、“日本柔道の敗北”という批判が浴びせられることになる。

 

翌65年に神永は引退。いよいよ猪熊にヘーシンクへの挑戦権が回ってきた。

勝負の65年世界選手権・無差別級を迎えたが、まさかのヘーシンクが大会途中で引退を表明。対戦はかなわなかった。

猪熊は世界選手権優勝を飾り、、全日本選手権を含めた史上初の〝柔道3冠〟を達成したが「戦う相手がいない」。猪熊も引退を決めた。

 

五輪・世界選手権で金メダルを獲得した猪熊と、五輪・世界選手権で銀メダルに終わったがヘーシンクと対戦できた神永。

日本中・世界中から賞賛されても、「打倒ヘーシンク」がかなうことはなかった。

 

指導者・社長として~割腹自殺で生涯を終える

 引退後は東海大学を母体とする東海建設に入社し、東京2020大会を運営した日本オリンピック委員会会長・山下泰裕をスカウトするなど、同大学柔道部を日本屈指の強豪校に育て上げた。

しかし社長を任されていた2001年、東海建設が業績不振に陥り、社長室で割腹自殺した。63歳だった。葬儀は密葬だったが、1000人近い友人や関係者らが参列。

国民的ヒーローの壮絶で悲しい最期だった。

 (mimiyori編集部)

 

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