【五輪金メダリスト連載】2日前のメンバー変更で金~1932年ロス五輪競泳800mリレー:宮崎・遊佐・豊田・横山

 

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三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

米国の追随を許さなかった力強い競泳ニッポンに、日本中が酔いしれた。 

1932年ロサンゼルス五輪競泳800メートルリレーで、日本は五輪新・世界新記録を更新し優勝を果たした。

代役で出場した宮崎康二、研究熱心な日大水泳部の遊佐正憲と豊田久吉、そして横山隆志。4人のパワーで大差をつけてつかみ取った金メダルは、日本中に希望をもたらした。

 

金メダルの数だけ、超人たちのドラマがある。

 

 

代役の宮崎 中長距離の才能が開花

1932年ロサンゼルス五輪。競泳の会場に800mリレーの選手たちが現れた。日本男子チームは、現在のようなスイミングパンツではなく、今なら女性が着るようなワンピースタイプの水着で登場。当時は国際的にも、それがスタンダードだった。

 

まずは第一泳者・宮崎が猛烈なスピードで外国勢を圧倒し、2位・米国に5メートル近い差をつけた。その宮崎は、なんと本番2日前のメンバー変更で急きょ指名された代役。本来の主戦場は100メートルであり、当初の予定では中長距離が得意な大横田勉が出場するはずだったが、病み上がりだったため、出場種目を400メートル自由形に限定した。その結果、100メートル自由形で金メダルを獲得した宮崎に白羽の矢が立った。

100メートルで身につけた爆発力で挑んだトップバッターの勝負強さは、海外の中長距離専門のスイマーにも引けを取らなかった。

 

日大水泳部で研究重ねて急成長

トップでバトンを受け取った第2泳者・遊佐も序盤からハイペースで飛ばし、宮崎と互角のタイムを叩き出した。第3泳者の豊田も後輩がつけた勢いに乗り、米国との差を20メートルにまで広げ、アンカーの横山に繋いだ時点ですでに米国は意気消沈。最後は大差で、勝利を決めた。 

遊佐と豊田は、日大水泳部に入部した時は理想的なフォームからほど遠い泳ぎをしていたとか。だが地道な研究を重ね、切磋琢磨した厳しい練習の果てに、ようやく自信をつけて五輪に挑んだという。

 

実は日本人向き⁈東京五輪800mリレーで真価

「研究熱心・努力家・団結力の強さ」という三拍子が試される800メートルリレー。

2016年リオ五輪では、日本男子チームが1964年東京五輪以来のメダルを獲得し、日本中を沸かせた。「松田(丈志)さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」という名言が生まれた瞬間でもある。さかのぼれば、12年ロンドンでも、無冠に終わった北島康介を「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」と400メートルメドレーリレーで銀を勝ち取っていた。

21年夏の東京五輪でも、日本は800メートルリレーに出場する見通し。日本人の強みとも言うべき三拍子で、表彰台の頂点を目指して欲しい。

 

(mimiyori編集部)

 

 

 

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