熱戦が繰り広げられた東京パラリンピック。花形競技の陸上競技では、多くのメダリストが誕生した。大会前から金メダルの大きな期待が懸かっていた佐藤友祈は2冠を達成。マラソンでは道下美里がリオで届かなかった金メダルを手にした。
さまざまな人たちの思いを背負って挑んだ選手たち。メダルを獲得したアスリートたちの名場面を振り返る。
- 佐藤友祈:ライバル撃破でトラック2冠も「悔しい」
- 道下美里:マラソンで仲間とつかんだ初の金メダル
- 上与那原寛和:トラック銅2 ライバルの思い背負って
- 唐澤剣也・和田伸也:トラック長距離エースがW表彰台
佐藤友祈:ライバル撃破でトラック2冠も「悔しい」
日本勢最初の金メダルは、男子400メートル(T52)の佐藤友祈だった。
ゴール目前まで、2016年リオ大会で敗れたライバル、レイモンド・マーティン(米国)が先行。マーティンが逃げ切りを図ろうとするゴール手前で追い抜き、先頭でフィニッシュ。悲願の金メダルを手にした。自身の世界記録更新はならなかったが、パラリンピック記録の好タイムを叩き出しての勝利だった。
同29日には、1500メートル(T52)で2個目の金メダルを獲得。400メートルとは対照的に、佐藤が先行し、マーティンが2番手で追走。先頭を譲ることなく、金メダルまで一直線に走り抜けた。
リオ大会で届かなかった金メダルを獲得、それも今大会日本選手団ただ1人のマルチ金メダルを獲得したが、本人の第一声は「悔しい」という言葉だった。
今大会の目標は「世界記録の更新と金メダル獲得」。目標は半分しか達成できなかった、ととらえていたのだ。
「400メートルも1500メートルも競り合って勝ち取った金メダル。これは非常に価値がある。次はそこ(世界記録更新)を達成できるように、より自分自身に力をつけていきたい」
24年パリ大会へ、すでに戦いは始まっている。
道下美里:マラソンで仲間とつかんだ初の金メダル
道下美里は5年前の悔しさを胸に、初の金メダルを獲得した。
T12(視覚障がい)の世界記録保持者として迎えた勝負の日。30キロ過ぎにスパートをかけて、競っていたロシア・パラリンピック委員会(RPC)の選手をに引き離すと、後は独走状態に。フィニッシュ直前、レース中の雨から一転、道下のゴールに合わせるかのように雲間から太陽の光が降り注いだ。
16年リオ大会では、初出場ながら銀メダル。しかし、表彰台でスペイン国歌を聞くと悔しさが込み上げた。地元開催のパラリンピックへ、1カ月700キロの走り込みなど自分を追い込み続け、17年には世界新記録を樹立。20年2月には自らが持つ世界記録を1分52秒も更新した。
半年後の東京大会に向けて順調な仕上がりを見せた矢先、新型コロナウイルスの影響でパラリンピックは1年の延期。5、6人の市民ランナーと共に行っていた普段の練習もままならなくなった。
そこで大きな支えたとなったのが、レースを共にした2人の伴走者はもちろん、「チーム道下」の仲間たちだ。毎日、人が少ない早朝に迎えにきてもらい、2、3人と一緒に走り続けたという。
20年12月に再び世界記録を更新。仲間と共につけた自信と7000通を超える応援メッセージを力に変え、チームで勝利をつかみ取った。
上与那原寛和:トラック銅2 ライバルの思い背負って
上与那原寛和は、男子400メートル、1500メートル(いずれもT52)で銅メダルを獲得。佐藤友祈と共に表彰台に立った。
4度目のパラリンピックで、08年北京大会マラソン銀以来、13年ぶりトラック種目初のメダル。だが、個人的な思いよりも共に戦ってきた仲間への思いがあふれ出た。
「日本勢表彰台独占」を目指して、合宿などで切磋琢磨してきた盟友の伊藤智也(バイエル薬品)が、直前のクラス変更でT52のレースに出場できなくなった。
「最初はショックで泣きました」
それでも伊藤と考えたレースプランで勝負に挑み、見事表彰台に日の丸2つを掲げた。選手村に帰ると、同部屋の伊藤とハグで喜びを分かち合った。
伊藤もT53の予選には出場することができた。今季の自己記録を上回り、T52クラス決勝の銅メダル相当の記録を叩き出す意地を見せた。
唐澤剣也・和田伸也:トラック長距離エースがW表彰台
男子5000メートル(T11)は、唐澤剣也(群馬県社会福祉事業団)が銀、和田伸也(長瀬産業)が銅メダルを獲得した。
1500メートル(T11)では、和田がアジア記録を更新する4分5秒27で銀メダル、唐澤は4位だった。唐澤は1500メートルであと一歩メダルには及ばなかったが、視覚障がいトラック長距離の新エースとして、今後の飛躍が期待される。
3大会連続出場のベテランの和田は東京大会後はマラソンに専念する。
(mimiyori編集部)