【連載「生きる理由」②】名声と汚名ー柔道金メダリスト・内柴正人氏が生き直す理由とは 後編

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故郷・熊本県内で働く内柴正人氏=左(写真:本人提供)

2004年アテネ、08年北京五輪柔道男子66キロ級を連覇し、14年に実刑判決を受けた内柴正人氏は現在、熊本県内の温浴施設でマネジャーとして勤務している。

出所後は数年間の模索期間を経て18年からキルギス共和国の柔道総監督に。19年秋に帰国した後は、柔術と柔道の練習をしながら社会人として働き始めた。 

名声と汚名、両方を知る金メダリストはすべてを失った。彼は今、いかに再び生き直そうとしているのか。

20年10月にはグラップリングのみの格闘技イベント「QUINTET(クインテット)」に出場した一方、本業の仕事にも悪戦苦闘しながら邁進している。

内柴氏本人がつづる心象風景のコラム連載、第1回「柔道選手になった理由、働く理由」について後編。 

 

 

人を幸せにする最高の仕事とは

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浴槽の修理も習得中(写真:本人提供)

今、熊本県の風呂屋で働いてから1年が経ちました。小銭でする商売。毎日の売り上げを数え、銀行に預ける時に一番苦しむのが小銭であることが苦しみのもとでもあるけれど、たった数百円で人が満足する商売はとても素晴らしいことです。

焼肉だったら何千円でしょ。マッサージでも3000円から高ければ1万、2万。旅行へ行ったら数万円。風呂屋は何時間いても何百円。最高じゃないですか。 

過去の栄光を使ってからかわれながら接待をする必要もなく、柔道関係者と接する必要もない。人様から高い金額を頂くこともないんです。最高なんです。

 

そして、2つめの理由はこの風呂屋の社長は、いい意味で“ケチ”なんです。僕がこの会社に入るまでに食事なんて一度も誘われもしてない。毎回、会うたびに食堂のテーブルでお菓子とコーヒーで世間話をしていました。話の内容は、風呂で使う部品の話。風呂の栓の直し方。掃除で使うジェットの直し方。いろんな修理のやり方をものすごく丁寧に説明してくれるのが面白かったのです。正規の品物を買うと値段がめちゃ高い。工夫して直せばタダだって、毎回習ってました。

  

お金を大切に使う姿に心をつかまれた

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悪戦苦闘中の修理。器具の名前を覚えることから(写真:本人提供)

接待がないってことは、会社のお金を無駄にしないってこと。新しいものを買えば済むのに、どうにかこうにか古い壊れたものを直そうとしているその様に、魅力しか感じなかったのです。

風呂の料金が400円。1日に500名来れば20万円、ひと月600万円。1年で7200万円。風呂だけで、です。これが3店舗あって、3店舗ともにホテルもあり、2店舗に家族風呂もあり。小銭商売がバカにできないことはハッキリしているし、稼いだお金を大切に使う姿に心をつかまれました。

昨日の社長は、ボイラーが壊れたので一晩かけて修理して、直せなくて朝から業者さんを呼んで直したそうです。「一晩の苦労なんてなんとも思わない社長なら人生を預けてもいいかな」なんて思いました。 

 

今年の目標は「ポンプの分解、掃除、ベアリング交換」

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新型コロナウイルス感染拡大の中、癒される空間を目指して温浴施設のレセプションに花を飾った(写真:本人提供)

3つ目の理由は、この「つる乃湯」のために頑張った先に、社長から言われていることがあるからです。「お前は将来、やっぱり柔道に帰らないといけない。柔道に恩返しをしなさい。講道館のようなドでかいものではないけれど、立派な柔道場を作ってやる」という約束をしているんです。

だから、10年は柔道禁止。仕事に専念してくれ。そんな約束をしているのです。

 

10年経てば僕も50代。そこから道場を作って人を集めてなんてやれないけれど、僕の柔道スタイルを愛している奥さんがいますから。その手伝いくらいは許されるのではないか。

今は、柔術もできます。今、茶帯なのであと1つ上がって黒帯になれば柔道、柔術を一本の帯でできる。2020年秋、柔道禁止の約束を破って出た「QUINTET」でグラップリングのプロデビューもした形になっているので、いろんなクラスを作れますから想像はふくらみます。夢があれば、遠回りでも真っ直ぐに突っ走れます。

 

もし、社長がこの先道場を建ててくれなくても感謝。今の僕に仕事を教えてくれています。僕を夢の中へ連れて行ってくれて、夢中にさせてくれたのは社長です。将来、道場が出来なくても、ここで世間で生きて行く力が養われればそれでいいと思うのです。

 

今まで、僕の10年計画はだいたい結果を生んできました。今年の目標は、壊れた温泉ポンプを分解して掃除して、ベアリングを変えるまでを自分でやる。節約のために掃除、洗濯、接客、いろんなことをパートさん、バイトくんと一緒にやっているのですが、すべての業務を覚えてしまったならば、パートさんのシフトを少し増やして自分の練習の時間を作るのが目標です。

  

普通に働くことがどんなに素晴らしいか

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柔道時代とはまた違う”先生”たちから仕事を教わる日々(写真:本人提供)

社会人2年目に入ろうとしています。スポーツ選手時代の生活に感謝をしつつ、当たり前に働くことは、トレーニングのように疲れないからいつまででもできる。

ただし、デスクワークは慣れていないので、やる時間があってもやり始めるまでに充電時間が必要。デスクワークを始めると、途中で席を離れると戻ってきた時にどこまでやったか分からなくなるから簡単に始められない。

いろんな修理は、物の原型が分からない場合は直せない。僕の店舗では立場上、事務作業も修理も僕以外の人はやらないし、やれないし、できない。だから、できない作業は「はじめまして」でも、やらなきゃ直らないし、できないことは覚えなきゃならない。

今の仕事には、接客や商売すべてを教えてくれる先生、修理を教えてくれるベテラン先生、そして社長からいつもニコニコで本当に優しく習えています。いろんなことを学んでおります。

 

「これが社会人なのかな」と、今思っています。僕は昔から普通に働くことがどんなに素晴らしいかを知りたかったので、今は会社に必要な存在だと言ってもらえる立場にあることにも感謝して今を生きております。 

以上、内柴正人でした。

 

(この項おわり) 

 

 

うちしば・まさと

1978年6月17日、熊本県合志市出身。小3から柔道を始め、熊本・一宮中3年時に60キロ級で全国中学大会優勝。高3でインターハイ優勝。大学2年時の99年、嘉納治五郎杯東京国際大会では準決勝で野村忠宏を破って優勝。減量にも苦しんだことから03年に階級を66キロ級へ上げて2004年アテネ五輪は5試合すべて一本勝ちで金メダル獲得。08年北京は連覇した。10年秋引退表明。11年に教え子に乱暴したとして罪に問われ、上告するも棄却。17年9月出所。得意技は巴投げ。160センチ。18年に現在の夫人と再婚し、1男がいる。20年1月から現在の職場に勤務。

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