優等生ではなく“ひよっこ”だった
個性的で派手な選手の多かった90年代のヤクルトにあって、宮本慎也は“優等生”に見られやすい。プロ3年目の1997年に遊撃手のレギュラーをつかみ、チームの日本一に貢献。好守に加え、バントや右打ちといったチームバッティングも、そつなくこなしていたように見えた。ところが、宮本は自身のイメージを真っ向から否定する。大阪・PL学園高、同志社大、社会人野球の名門・プリンスホテルを経てのプロ入りは野球エリートそのものだが、監督・野村克也の前では“ひよっこ”に過ぎなかったことを宮本は本書で明かしている。
努力に即効性はない
ドラフト2位という上位指名だったにもかかわらず、入団発表の日に「長男は大成しない」と斬り捨てられ、野村の理詰め問答に返事ができなければ、他の選手と同じようにこっぴどく怒られた。監督時代に褒められた経験はほとんどなく、褒められるどころか年数を重ねるにつれて非難の方が増えていった。それでも野村について行けたのは、指導を受ければ野球がうまくなるという実感があったから。入団当初の言葉も忘れられなかった。
「ストンと腑に落ちた言葉は『努力に即効性はない』でした」
引退後に野球談議
当初は「守備の人」だった宮本が打撃も開花させ、2012年には41歳5カ月の史上最年長、大学と社会人を経験したプロ野球選手としては、古田敦也以来2人目となる通算2000本安打を達成した。
翌13年シーズン限りで現役引退。この節目に、宮本は恩師・野村を都内の自宅に訪ね、初めてゆっくりとした時間を過ごしながら2人で野球談議に花を咲かせたという。
管理職の苦悩を自問自答
18年には小川淳司監督の参謀役としてヤクルトのヘッドコーチに就任。低迷していたチームの再建を託されたが、結果を残せず19年末に辞任した。
自分は選手に厳しすぎたのではないか。
自分と同じ40、50代の野村であれば、どう指導していただろうか。
もし野村が健在であれば、今の自分に何と声をかけるのか。管理職の悩みを知った今年50歳の宮本が、本書で自問自答している。
(mimiyori編集部)