柔術のASJJF主催大会「ART.1」が2021年12月26日、東京・新宿のGENスポーツパレスで行われ、五輪柔道男子66キロ級連覇の内柴正人(アラバンカ柔術アカデミー)がアダルト茶帯ライト級に出場。第1試合で瀬谷俊彦(トラスト柔術アカデミー)に5分31秒、三角締めで敗れた。
17年秋に柔術を始めて以来負けなしだったが、20年11月に熟練者クラスの茶帯に昇段。今回が初黒星となった。
まさかのタップ
その瞬間、会場がどよめいた。下から腕を取られていた内柴は三角締めに耐えていたが、まさかのタップ。審判が勝者・瀬谷の腕を掲げると、大きく息を吐きだした。
17年秋に柔術を始めて以来初めての黒星だ。
「今まで負けてないだけ。いつか負けるんです。ナーバスにはなっていないですよ、しょうがない」
試合後、内柴は汗をふきながら口を開いた。
仕事をしながら柔術
17年秋、神奈川県のアラバンカ柔術アカデミー・山田重孝氏のもとで柔術を始めた。
18年は1年間、キルギス共和国で柔道代表の総監督を務めて柔術から一時離れ、19年1月に地元にUターン就職して熊本・八代市に移住した。
そこから1年間は仕事を覚えることに注力していたところ、柔道時代の先輩・小見川道大の後押しを受けて20年10月の格闘技大会「QUINTET」に初出場。柔術を再開し、職場の片隅にマットを敷いた〝熊本アラバンカ道場〟でコツコツと練習したほか、仕事の合間を縫って九州各地の柔術ジムへ稽古に出掛けた。
20年7月には、QUINTET2度目の参戦で団体優勝。柔術では、同年秋に熟練者が持つ茶帯にスピード昇段すると、対戦する相手のレベルも格段に上がった。
21年は九州開催の格闘技大会のエキシビションマッチに招待されるなど複数の試合に出場する中、12月に行われたASJJF九州国際選手権(佐賀県)では茶帯ライト級で優勝。併催された柔術着を着用しないグラップリングの「ノーギ」の同選手権では茶帯ライト級優勝も、同無差別級決勝では敗れていた。
仕事をしながら練習時間をつくり、技を磨く。その難しさを感じながら、試合をする喜びは何物にも代えがたい。コツコツと練習する中で、そばで学びたいという若者も現れ、日々一緒にトレーニングできるようになった。
クリスマス返上で練習
今大会出場直前、連休を取って熊本から上京。クリスマス返上で先輩・小見川の道場、そしてこの日セコンドについた山田師範のアラバンカで最終調整を行った。
出場に際し、下記のようにコメントを寄せていた。
「今年最後の試合をしてきます。一度は柔道から離れなければならなくなった僕が、こうして試合に呼ばれて準備する。仕事をしながら、いつまでも変わらず働きながら呼ばれれば試合に出る。これに引退というものがあるのか分からないけれど。3日間、仕事を休んで店を空けてる不安。いろいろあるけど、何かにつながるであろう今日の試合に行って来ます」
「準備」の詰め
敗因については、「準備」の重要性を改めて痛感したという。
熊本から上京後、所属のアラバンカへ練習に出向いたが、師匠の山田氏が所用で不在。この日も試合前の練習相手がおらず、ウオーミングアップもままならなかった。熊本には弟子兼練習パートナーがおり、「連れてくれば良かった」と後悔した。
対する瀬谷側は大会前、師匠が愛知からなんと熊本まで行ってしまうほどの熱の入れよう。〝チーム戦〟の準備が明暗を分けたのかもしれない。
右腕を持たれた三角締めは対戦相手の瀬谷も認めるようにキッチリ決まってはいなかったが、早めにタップした。
「負けてしまってすみません。(タップは)我慢する形になってしまったら、我慢したくなくなった、というところです。オリンピックチャンピオンという肩書はありますが、この競技では素人なので、もっと緻密に素人ながらつくりたかったです」
「今の選手は(試合をしていて)面白かったですよ。もうちょっとやりたかったな。いやあ…柔術に負けました」
対戦した瀬谷は勝利に興奮気味。持ち味である三角締めで勝利を収めたが、試合後は内柴のもとを訪れ、ずっと正座を崩さなかった。「持たれた時のグリップの強さがもう…これは切れないと思って」と、組んだ時の迫力は尋常ではなかったという。
初黒星に、師匠の山田氏は「これからもっと強くなるきっかけになる」と激励した。内柴は「呼んでくれるところがあれば」と、今後も柔術の試合に出場する方針だ。
試合後は落ち着いてコメントしていたが、自身のTwitterで「負けるのは悔しく無い。 嘘です クソ悔しいです」とつぶやいた。
「仕事をしながらなので少しずつですが、また頑張ります」
敗れたことで、向上心にさらに火がつきそうだ。
(丸井 乙生)
#MasatoUchishiba