これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。
外食産業が窮地に立たされている。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、日本各地では外出自粛要請により、各家庭が外食を控えている。
『紅虎餃子房』や『タイガー餃子会館』などで知られる際コーポレーションは、テイクアウト商品を充実させることで難局を乗り越えようとしている。創業者の中島武は、40歳を過ぎてから小さな中華料理店を外食のトップ企業に成長させた“元応援団団長”。自身にエールを送りながら、これまでも数々の困難を打破してきた。
紅虎餃子房でマグマ爆発
94年、東京・八王子に『紅虎餃子房』を出店した。
「俺が中華料理屋のオヤジで終わるのか? 冗談じゃない!」と悶々と抱えていたマグマのような思いと、拡大路線の決意を同店で一気に吐き出した。
コンセプトは、本場の中国人コックが作るダイナミックな中国庶民料理。中国の一般家庭で食べられている常菜が主体で、より大勢の人に気取らず食べてもらいたいと考えた。
名物は、10数種類の具材を詰めて焼き上げる「鉄鍋棒餃子」や「北京式げんこつ肉のすぶた」、「元祖にらまんじゅう」など。店のつくりは、中国の下町や路地裏の店に入ったような雰囲気を出しているが、地域や周辺客層を考慮して各店舗ごとに変えている。
35坪で月商4500万円の大ブレーク
それまでの定番中華とは異なる「粋な中華」が、ありきたりの店に飽きていた消費者に強烈に支持される一方で、中国人のコックも積極採用し、中国人雇用にも貢献。オペレーションも徹底的に磨いた。
その集大成ともいえるのが、横浜スカイビルに出店した店舗。この店で、中島は初めて業務委託というスタイルを採った。
「ウチでやらないかと声がかかるんです。でも、投資が4000万円くらいかかる。それじゃ、割に合わない。ウチの店は1000万円くらいで出店して儲かっていたんですから。いったんは断ったんですが、今度は、あるオーナーが出資するので、運営をしてくれないかと持ちかけてきた。この店が、流行りました」
わずか35坪で月商4500万円。テレビや雑誌にも頻繁に取り上げられ、次々と出店依頼が舞い込んだ。紅
虎餃子房のヒットを機に、中島は飛ぶ鳥を落とす勢いで事業を拡大。中国料理にとどまらず、日本料理、イタリアン、フレンチ、アジア料理、麺・飯店など、国内外に300店を超える飲食店を経営するまでに成長した。
幼少期は超内気少年
料理長たちとのメニュー考案会議などでは容赦のない怒声を響かせることもある中島だが、幼少時代はとにかく内気な少年だった。
授業中に当てられて本を読むよう言われても、恥ずかしくてできなかった。姉も弟も社交的で、ともに生徒会長を務めていたが、中島だけは無縁。「おとなしいというか、友達とつるむのが苦手だった」と話す。
小学4年までは同じ状態が続いたが、野球を始めたことで性格が一変。チームプレーの野球では黙っていてはプレーもできないため、以降は自己主張するようになったという。
ただ、現在も本質は照れ屋で、「特に美しい女性を前にすると目を見て話すことができない」と笑う。
(③につづく=mimiyori編集部)