【経営哲学】紅虎餃子房(際コーポレーション)中島武代表取締役社長 外食産業の鬼才 「押忍」で難局を乗り越えろ③

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mimiyori編集部の近所にもある紅虎餃子房。いつもお世話になっています。(撮影:丸井 乙生) 

これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。

 

外食産業が窮地に立たされている。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、日本各地では外出自粛要請により、各家庭が外食を控えている。

『紅虎餃子房』や『タイガー餃子会館』などで知られる際コーポレーションは、テイクアウト商品を充実させることで難局を乗り越えようとしている。創業者の中島武は、40歳を過ぎてから小さな中華料理店を外食のトップ企業に成長させた“元応援団団長”。自身にエールを送りながら、これまでも数々の困難を打破してきた。
 

 

 

 

 

噓から出たまこと

「強い男子に」という母親の願いもあって、高校は中島が“男くさい”というイメージを抱いていた拓殖大学付属高校に進学した。

当時、他校とのケンカなどは日常茶飯事。ある時、ケンカに備えて中島を含めた30人が集結していると、情報をキャッチした警察官が「おまえら、何しとるんだ」と駆けつけてきた。仲間の1人がとっさに「応援団の練習です」と答えたため、全員で1列に整列して「フレー、フレー」とそれらしいことを始めて難を逃れた。

 



実は、同高に応援団はなかったが、この一件をきっかけに1年の仲間30人でつくることになった。

学校も認めたため、「応援部」が設立される。初代応援団のメンバー全員が1年生だったため、先生が2、3年生にも声をかけた。おまけに「五分刈りだ」と髪型を強制され、ふざけ半分で始めた1年生にとってはすべてがありがた迷惑だった。

拓大にも連絡が入ったのか、ある日、羽織袴で木刀を下げた“ホンモノ”の応援団が校門に立っていた。

おちゃらけでは済まなくなり、ハードな練習が繰り返されるようになった。中島は大学の練習にも誘われ、断り切れずに拓大にも通った。拓大進学後も、応援団に入部した。

泣き虫を変えた「押忍」の世界

 

 

 

大学の応援団は「高校時代と違ってプロの世界だった」と振り返る。団旗の下に集まった先輩たちは、いずれも日に焼けて「応援のプロ」に見えた。

上級生とは気軽に会話することが許されず、何を言われても「オッス」で返答する。

拓大の応援団といえば歴史ある有名な応援団の1つであり、中島も誇りを持てたが、時には理不尽なルールに閉口することあった。

「こんな時代錯誤なことばっかりやっていてはダメですよ」と先輩に口答えしたことがある。

「するとね、いい先輩で、『おまえ、いいこと言うよな。おまえたちの代になったらそれをやればいい』って諭されるんです。うまく煙に巻かれました」

おまえたちの代、になった4年生の時、中島は応援団団長に指名された。

理不尽なことも多かったが、社会で勇ましく生きていくための力は身についた。際コーポ―レーションの本社内には、「押忍」と自らがしたためた条幅が提示されている。

オタクとして極めよ

 

 

 

“応援団長気質”からなのか、06年から月1回のペースで「中島塾」を開講し、飲食店で独立を目指す若者にレクチャーをしてきた。

「明らかに失敗するものは、球を投げる前に十分わかる。だから、自分のプランを客観的に厳しくチェックする機会を持つこと。独立する前に、絶対にこのプロセスを忘れてはいけません」

巣立っていった若手経営者らは中島を「大御所」と呼んだりするが、中島は現代の若手経営者を「賢明だから、自分の世界観で上質感のある店をきちんと作っていこうとしている。金儲けに走って張ったりをかまして集客しようとする飲食企業と違って、若い経営者たちは堅実だから心配ない」と見ている。

その上で、中島が勧めるのは“オタク”になること。

「オタク文化はすばらしい。上っ面な業態ではなく、豚でも鶏でも魚でも、オタクとして極めればよい。鯖料理の専門店なら、日本中の鯖を取り扱って、季節ごとに1番おいしい鯖を出すとか。そして、鯖に寄生するアニサキスは冷凍で殺虫できるが、うちの店は冷凍せずにこのように手作業で除去していると説明すれば、それだけで集客できると思う」

外食産業ではベンチマークと称して繁盛店を模倣する方法が続いているが、模倣である限り、極めることはあり得ない。だが極めれば、個人店であっても、局地戦なら大手飲食企業に対抗できる。これは大手や有名店に対する有力なパターンであると中島は考えている。
(おわり=mimiyori編集部)

 

 

 



中島武(なかじま・たけし) 1948年1月27日、福岡県生まれ。90年、際コーポレーション株式会社設立。第4回企業家賞、新外食市場創造賞受賞。03年、ベンチャー・オブ・ザ・イヤー受賞。05年、京都「柚子屋旅館」開業。“和のオーベルジュ”として、旅館業に進出。直営店舗経営のほか、飲食店・旅館のコンサルティング、プロデュースも積極的に行っている。趣味はヴィンテージカ―と着物。特技は書道とイラスト。

 

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