「我武者羅應援團」團長武藤貴宏②仮入団はしてみたが…高校では応援団から逃げ出した

我武者羅應援團 武藤貴宏

誰もが学生時代を思い出すほどアツイ我武者羅應援團(提供:我武者羅應援團)

あなたをガムシャラに応援します。

そう言われて、嬉しくない人はいない。

 

「我武者羅應援團」とは、その名の通り、人々を“ガムシャラ”に応援することを生業としている團だ。

“気合と笑いと涙”が一体となったその独自の応援に触れると何か一生懸命やってみたくなる。

そんな「我武者羅應援團」を結成したのが、團長・武藤貴宏だ。

さぞ、「応援を広めたい」とか応援という言葉にこだわっていると思いきや、團の最終的な目標は『この世から応援という言葉をなくすこと』だとか。

その真意に迫るべく、團長の生き様をひもとく。

 

第2回は團長、武藤貴宏が應援團にたどり着くまでの道程について。

高校時代、一時入部も2週間で逃げ出した⁉

逃げ癖を克服したきっかけとは?

 

「自分を信じろ!! フレーフレーあなた!!」

  

 

 

 

 

おとなしくても応援したい!

引っ込み思案でおとなしい、周りの目が気になり自信を持てない、マッシュルームカットのかわいらしい男の子。

まさか、この男の子が團長の幼少期だとは誰も信じられないだろう。

おとなしい性格だったが、なぜか自分とは対照的な応援団が好きで、テレビで応援団のドキュメンタリーがあると食い入るように見ていたという。

 

そして運命の出会いは、埼玉県内の高校で始まった。

入学直後、「雷が落ちたような衝撃」を受けたものが、全身のエネルギーを振り絞り、「フレー、フレー」と叫ぶ応援団の姿だった。

あっという間に魅了され、意気揚々と応援団の扉を叩いた。

 

 

憧れの応援団も2週間で失踪

我武者羅應援團 武藤貴宏 先輩

左から「主将」伊澤直人、「團長」武藤貴宏(中央=提供:我武者羅應援團)

そこにいたのは、12人のこわもての先輩達のみ。

新入生は450人もいたが、応援団には誰も入らなかったのだ。

2週間の仮入部期間、1人基礎練習を教えてもらう横で、本気の声出しをしてくる先輩方の気合が半端ではなかった。

 

「あんなに声を出して声が出なくなったらどうしよう」

「こんなに怖そうな先輩、俺一人で支えていけるわけがない」

 

結果はお察しの通り、仮入部止まりで、武藤は逃げ出したのだった。

 

唯一の新入部員を先輩方が逃がすわけもなく、休み時間ごとに武藤のもとに来るようになった。

武藤は、休み時間ごとに教室から逃げ、先輩方の使う階段、食堂をも避けるようになった。

必死の逃亡の末、武藤への勧誘は収まっていった。

 

 

自分が逃げたかどうか 自分だけは知っている

 

 

 

2年生の秋の全校集会で、応援団の先輩方全員が下級生に向かって頭を下げていた。

 

「このままだと俺たちの代で伝統の応援団が終わってしまう」

 

その思いを聞いた武藤は一度は自分が戻ることを考えるも、

「1年の時逃げたこと先輩に怒られるんじゃないか」

「何熱くなってんだと周りの友人に笑われるんじゃないか」

 

またもや一歩を踏み出せなかった武藤は、応援団に戻るチャンスを失い、結局誰も入らなかった応援団は37年の歴史に幕を閉じたのだった。 

 

人生最大の後悔を胸に 米国へ

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マイクで語りかける武藤貴宏 團長(提供:我武者羅應援團)

応援団がつぶれてしまったのは自分のせいだと、後悔する毎日。

一番やりたいことから逃げた武藤は、逃げ癖がつき、何をするのも怖くなっていた。

そんな自分をどうにか変えたいと、一歩踏み出した先は米国の大学だった。

一歩大き過ぎない!?

 

まるっきり違う環境に身を投じることで、自分は変われる。

そう考えた武藤が直面したのは、言葉の壁という厳しい現実だった。

授業に出ても内容が分からない、宿題の範囲がどこかさえも分からない。

 

授業の前に先生にその日の授業範囲を聞きに行き、授業が終わったら先生に宿題の場所を尋ねる、その繰り返しだった。

意思疎通ができないため、なかなか友達もできず、夢に見た学生生活とはほど遠い孤独な日々を送った。

 

 

目の前の山から逃げるな

 

 

 

何度も心が折れそうになりながらも、武藤はなんとか大学を卒業して日本に帰国した。

あんなにつらかったけれど、あんなにきつかったけれど、やりきった!その自信を身につけていた。

 

帰国後、不登校の子供などに登山やロッククライミングなど過酷な試練をチャレンジさせる「アウトドア・インストラクター」として新しいスタートを切った。

全力で指導に当たる中、必死にガムシャラに目の前の山に食らいつく子どもたちの姿を目の当たりにする。

次第に「これが生きるということなんだ」と思うようになると同時に、1つの疑問が湧いた。

 

「自分は本気で“ガムシャラに”生きていると言えるのだろうか」

 

ずっと心に引っかかっていたのは、高校時代に逃げ出した自分の姿だった。

 

登る前に逃げてしまった「応援団」という人生の山、もう一度挑戦してみようか。

(つづく=五島由紀子 mimiyori編集部)

 

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