「我武者羅應援團」團長武藤貴宏③應援團立ち上げ! 100人勧誘して99人に断られる

我武者羅應援團 武藤貴宏 結成

我武者羅應援團には夕焼けがよく似合う(提供:我武者羅應援團)

あなたをガムシャラに応援します。

そう言われて、嬉しくない人はいない。

 

「我武者羅應援團」とは、その名の通り、人々を“ガムシャラ”に応援することを生業としている團だ。

“気合と笑いと涙”が一体となったその独自の応援に触れると何か一生懸命やってみたくなる。

そんな「我武者羅應援團」を結成したのが、團長・武藤貴宏だ。

さぞ、「応援を広めたい」とか応援という言葉にこだわっていると思いきや、團の最終的な目標は『この世から応援という言葉をなくすこと』だとか。

その真意に迫るべく、團長の生き様をひもとく。

 

第3回は團長、武藤貴宏が「我武者羅應援團」を立ち上げるまで。

メンバー探しに四苦八苦、公園では不審がられて〇〇で練習⁉

 

「自分を信じろ!! フレーフレーあなた!!」

 

 

 

 

 

断られ続けても信じた1%の可能性

我武者羅應援團 武藤貴宏 メンバー探し 可能性

武藤貴宏 團長(提供:我武者羅應援團)

自分は本気でガムシャラに生きていると言えるのだろうか。

武藤がその思いに至ったことで、「我武者羅應援團」の物語は始まる。

 

「応援団で生きていこう」と腹をくくったは良いが、そもそも仲間がいないから、団とは言えない。

まずは、メンバー探しだ!

だが、名もなき応援団、将来も見通せず、収入なんて考えられない状況からのスタートに、足を踏み入れてくれるものは簡単には見つかるはずもない。

 

知っている男友達に片っ端から電話したが、片っ端から断られた。

だが武藤は、どれだけ断られても、めげなかった。

男友達が全滅したため、女友達に「誰か興味ありそうな男の友だちを紹介してくれ」と頼み、100人に会ってやっと1人見つける、という地道な作業を続けた。

 

 

桜木花道とルフィ好きを探して

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応援されると元気がわいてくる(提供:我武者羅應援團)

 

 

 

誰でも良いわけではない。

武藤が人選で重視したポイントは、次の2問だった。

 

第1問:「魁!男塾、スラムダンク、ワンピースは好きか?」

第2問:いわゆる応援団の映像を見せて「どう思う?」

 

これらの2問をクリアした人に初めて「応援団をやりたいんだけど」と相談を持ち掛け、ようやく集まったのが6人のメンバー。

2007年2月22日、華々しいとは言えないが、何とか船出にこぎつけた。

 

 

子供連れのママは「見ちゃいけません」

我武者羅應援團 不審

「主将」伊澤直人による応援(提供:我武者羅應援團)

練習を開始したが、ここにも問題は山積みだった。

何と誰も応援のやり方が分からないのだ。

團長がいるじゃないかと思いきや、高校の応援団は2週間で辞めているため、何も覚えていない。

 

というわけで毎日、応援団の動画サイトを見てはマネして練習することを繰り返した。

場所は公園やカラオケボックス。最初は公園に集まったが、子どもを連れたお母さんたちに不審な目で見られたからだ。

 

応援団と言えば、格好も大事。とはいえ、最初はお金もなく、中学や高校時代のツンツルテンな学生服を引っ張り出して着ていた。

 

 

演舞会前 牛丼店で独り男泣き

我武者羅應援團 武藤貴宏 涙

新型コロナウイルス感染拡大前の応援(提供:我武者羅應援團)

 

 

 

そうして迎えた記念すべき初めての応援は2007年4月、ライブハウスで自主公演した演舞会だった。

團長の熱い思いが形となって、初めて人々に見てもらえた瞬間。演舞会前夜、武藤は牛丼店で独り、涙していた。

 

「うれしいとか悲しいとかじゃなくて、仲間と一緒に毎日必死になれることへの感謝の気持ちでした」

 

そこにまた運命の赤い糸が。

招待した知人の1人から、「今度マラソン大会があるから来てよ」と初めて出動要請を受けたのだ。

 

 

第1回出動はマラソン大会 ランナーの目に涙

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應援團は背中もカッコいい(提供:我武者羅應援團)

マラソン大会での応援は大好評で、何より参加者に喜んでもらえたことが嬉しかった。

どうやって応援したら伝わるか。

 

「名前を呼んだらいいんじゃないか」

「ハイタッチしてみようか」

「何キロ地点がいちばんキツそうだから、あそこで応援しよう」

 

さまざま考えていた時に初めて、

「応援って型通りにやる必要はないんだなってことに気づいたんです。『そのTシャツ、似合ってるよ!』って言うだけで、子どもはめちゃくちゃ一生懸命走るんです。」

 

市民ランナーの中には応援されて泣く人もいた。

「我武者羅應援團」の存在意義が認められた日だった。 

 

「応援」がアートから一生をかけた仕事に

そうして縁がつながり、「うちにも来てよ」と呼んでもらい、活動する日々。

改めて応援の面白さに気づき、自分たちを表現するアートとして応援に熱中していた。

 

半年以上経たある日、ある企業からギャランティー付きの出動要請を受けた。

「え?お金もらえるの!」

 

「お金をいただくからには、より高いレベルのものを出そう、どうやったら依頼主が喜ぶのかもっと突き詰めよう」

 

自然とプロの応援団になっていったのだった。

(つづく=五島由紀子 mimiyori編集部)

 

 

 

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