「我武者羅應援團」團長武藤貴宏④「人生丸ごとのストーリー」を応援する

我武者羅應援團 有森裕子

92年バルセロナ五輪女子マラソン銀メダリストの有森裕子(右から2番目)さんのことも応援した(提供:我武者羅應援團)

あなたをガムシャラに応援します。

そう言われて、嬉しくない人はいない。

 

「我武者羅應援團」とは、その名の通り、人々を“ガムシャラ”に応援することを生業としている團だ。

“気合と笑いと涙”が一体となったその独自の応援に触れると何か一生懸命やってみたくなる。

そんな「我武者羅應援團」を結成したのが、團長・武藤貴宏だ。

さぞ、「応援を広めたい」とか応援という言葉にこだわっていると思いきや、團の最終的な目標は『この世から応援という言葉をなくすこと』だとか。

その真意に迫るべく、團長の生き様をひもとく。

 

第4回は我武者羅應援團の応援スタイルができるまで。

野球では相手も道具も応援⁉

「人生丸ごとのストーリー」を応援する境地に至ったきっかけとは?

 

「自分を信じろ!! フレーフレーあなた!!」

 

 

応援対象はそこにいるすべての人たち

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新型コロナウイルス感染拡大前の応援イベントにて。左から「リーダー長」裕木壱啓、「主将」伊澤直人、武藤團長(提供:我武者羅應援團)

大学の応援団は、先輩から受け継がれた伝統をいかに守っていくかという伝統芸能のような世界だが、伝統も何もない「我武者羅應援團」はとにかく依頼者に合わせて、毎回新しいやり方を繰り出し、常識を打ち破っていった。

例えば、野球チームから「うちのチームを応援してください」と依頼された場合、「相手のチームの応援もさせてくれるんだったら、行きます」と答える。

 

「勝ち負けを応援するんじゃなくて、その人が精一杯生きることを応援したいんです。だから相手チームの人も応援するし、審判も応援するし、ウグイス嬢も、ボールボーイも応援する」のだ。

 

選手に踏まれるベースも応援対象となるというから、ベースものんきにしてはいられない。 

 

泣きの応援スタイル誕生

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武藤團長はエモーショナルに語りかける(提供:我武者羅應援團)

応援とは「褒めて、良い気持ちにさせること」

まだまだ新参者の彼らは、そう考え、埼玉県内の専門学校の入学式での応援に向かった。

学生たちは自分がなりたい職業に歩み始め、希望に満ち溢れていると思い込んでいたが、実際は異口同音に「不安だ」と話す学生たちの姿があった。

 

「自分たちも不安ばかり。一緒なんだと思った。同じ仲間なんだと」

 

そこで心情を吐露する応援スタイルにしたところ、学生・保護者の方が一様に涙したとか。

これを機に、現在の泣きの応援スタイルが確立したのだった。 

 

怖い先輩と再会 ガン見される恐怖の時間再び!?

活動を重ねる中で、思いがけない出会いもあった。

何と、高校の応援団の副団長を務めていた1学年上の先輩に“見つかった”のだ。

 

その先輩は活動を見たいと言い出し、イベント当日、前列でその先輩は武藤らの応援をガン見していた。

応援が終わった後、怒られるとばかり思っていたら「俺らがやっていたことは無駄じゃなかった」「ありがとう」と握手を求める先輩の目には涙が。

「自分のエゴで始めた我武者羅應援團が、一番怖かった先輩たちに受け入れてもらえて本当に嬉しかった」 

 

有森裕子さんを応援し 「人生まるごと」を応援するように

 

 

2017年、1992年バルセロナ五輪女子マラソン銀メダル、96年アトランタ同銅を獲得した有森裕子さんを応援する機会を得た。

96年アトランタでは順位が前回より下がる形となったが、当時有森さんは「自分で自分を褒めたい」とスポーツ史に刻まれる名言を残した。

 

武藤はこの言葉を聞いた時に、「順位が下がったのに、自分を褒めたいという言葉を聞いてショックだった。成果を出さないと人生は成功しないと思い込んでいた」とカルチャーショックを受けて以来、ずっと有森さんに関心を寄せていたという。

 

応援の内容は彼女の人生を振り返るもので、幼少時からの一つ一つの節目についてていねいにメッセージに乗せた。

武藤はこの経験から、「一瞬の負けだけを見たら悔しいこと。でも、その負けが人生を変えるきっかけとなるなら、一瞬の悔しさを排除する必要はない。人生まるごとのストーリーを応援したい」と思うようになった。

(つづく=五島由紀子 mimiyori編集部)

 

 

 

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