【経営哲学】ピザーラ創業者 淺野秀則会長③何事も失敗を恐れずにやり続ける

ピザ ピザ窯 

(写真:igamania/photoAC) ※写真はイメージ

これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。

 

誰もが一度はお世話になったことがある宅配ピザ店「ピザーラ」。創業者・淺野秀則会長は1980年代によそいきの食事だったピザを各家庭で気軽に食べられるようにした先駆者だ。

イタリアンを大流行させたように、その生い立ちもオシャレ。100年超の紙器メーカー社長の3代目御曹司に生まれて慶應ボーイ、さらに大学時代から事業を起こすなど華麗な経歴を誇る……はずだったが、御曹司→貧乏→起業→大やけど→そしてまだまだ、という人生ジェットコースターを味わいながらピザーラを成功に導いた。

第3回は、淺野会長の素顔について。

 

 

 

 

週3回は社員と食事、ホームパーティーも盛大に!

現在、淺野会長率いる株式会社フォー・シーズは、ピザーラのほかにもさまざまな業態の飲食店を展開している。

ピザ&パスタ「TO THE HERBS」・グルメハンバーガー「クア・アイナ」、そして三ツ星フレンチ「ジョエル・ロブション」等、 和・洋・中、日常から非日常までどんな食シーンにも対応できる55の業態がある。

 

しかしどんなに会社が大きくなっても、社員との交流は欠かさない。

社員との食事会は週に3回も開き、残りの夜は社長仲間との交流に時間を費やす。

社員を自宅に呼んで、180人程でホームパーティーを開くことも。



ヨットの師匠は、キャスター・木村太郎

さらに趣味も豊富で、ゴルフ・ヨット・音楽だという淺野会長。

その全てで一流の腕前を持つ。

ゴルフは、元気だった父に勧められ高校時代にゴルフ部で極め、ヨットは大会にも協賛し子どもたちの育成も行っている。

キャスターの木村太郎をヨットの師と仰ぎ、ヨット仲間は大ヒットしたホラー映画「リング」の原作者・鈴木光司だというから、一般人の趣味とは一味違う。


芸名は「北炭健」!?竹内まりやはバンド仲間

 

 

 

そして淺野会長から切り離せないのが音楽だ。

ギターにピアノに作曲までこなすユーティリティプレーヤーで、かの有名な竹内まりやさんと、同じサークル・同じバンドにもいたことがあるほど。

さらに親戚には、吉田拓郎・泉谷しげる・なぎら健壱らを発掘したレコード会社「エレックレコード」の社長がいた。

そんな才能と運命が相まって、実はデビュー寸前までこぎつけ、芸名も決まっていたとか。

その名も「北炭健」

しかし、演歌みたいな名前だとお気に召さず、自分の能力の限界も感じ、デビューとはならなかった。

 

もしもデビューしていたら、この世にピザーラは生まれなかったかもしれない。


作曲からアルバムプロデュースまで!趣味も極める

その後事業で大成功を収めた淺野氏は、趣味も中途半端では終わらせなかった。

社員とのホームパーティーでギターの腕前を披露するのはもちろん、作曲・プロデュースを実際に手がけ、数種類のアルバムを販売したのだ。

ジャンルは、JAZZやボサノバ。

宣伝も惜しまず、行きつけの表参道のバー「トップノート」では、プロデュースしたCDアルバム「Buono!CRUISE」内の楽曲「LAST FOREVER」と同名のカクテルを販売。

CDをおまけにつけて1800円で、200枚売れたそう。

音楽家としての才能は健在だ。

 


「失敗した人は、チャレンジした勇気のある人」

人生のどん底の中のどん底を経験した男が、事業も趣味も成功させ、人生を謳歌できる理由。

それは失敗を恐れずにやり続けるという信念・粘り・しつこさ・根性を持っていたからだ。

「“絶対に自分はそうなるから見てろよ”っていう気持ちを最後まで捨てないこと。それが最後には行動になり、周りの人を動かし、助けてくれる人も出てきて、必ず結果につながっていくと思います」

 

声が小さいのがコンプレックスだった淺野氏は、事業家を目指すものとしてこのままではダメだと、ボロマンションの屋上で発声練習を始めた。

「やるぞー! 俺はやるぞー」

警察に通報されるほどわめく裏には、“絶対に俺は成功するから見てろよ”という強い思いがあった。

(おわり=mimiyori編集部)

 

 

 

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