【ビジネス】経営哲学=ココイチ創業者の変人伝説 変人こそが成功のカギ!③

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(写真:iStock)※写真はイメージ

これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。

 

日本一の変人経営者。「ココイチ」の愛称で知られる「カレーハウスCoCo壱番屋」を創業した宗次德二は、自身をこう端的に表現する。孤児院で育ち、養子になってからも極貧生活を送っていた少年が、今や世界1400店を超える企業のトップ経営者に躍り出るまでに、常に「変人であること」が逆境の扉をこじ開けるカギになった。

 

  

友人付き合い禁止

仕事の邪魔になるからと、社長時代に趣味はおろか友人を作ることも自分に禁じ、夜遊びは一切しなかった。大晦日から元旦にかけての数時間ですら社長室にこもり、1年の経営目標を立ててから、昼にようやく家族の元に帰ることが年末年始の恒例だった。「1年を仕事で終え、仕事で始めたかった」。

ココイチ店舗のオーナーらと回る程度のゴルフは「100を切らないようにしていた」。100を切るとのめり込んでしまい、ゴルフに時間、労力、お金を取られたくなかったからだという。 

自分のシャツは980円

独特な金銭観の持ち主でもある。「お金を自分のために使うのは恥ずかしくてできない」と語り、腕時計は7800円、シャツは980円のものを着用している。自宅は社員への接待用に少し大きなものを建てたが「それも恥ずかしいこと」と納得はしていない。

ココイチが急成長していた84年には税務官8人による大掛かりな税務調査(特別調査)が入り、1週間かけて自宅から会社まですべてを調べられたが、修正申告はほとんどなかった。その後も3度の特別調査と国税の査察を受けているが、結果は同じ。計4回の政務調査で唯一の申告が、福利厚生の見解の相違による数十万円の修正だった。 

53歳で社長返上

98年、会社の上場準備を機に、53歳という若さで妻の直美夫人に社長の座を譲って会長に就任する。02年には、会社の生え抜きである浜島俊哉に社長を任せ、あっさりと代表権を返上して顧問に退いた。

退任する1年前から後継ぎには浜島をと見込み、代表権のある副社長にして「その日を待っている」とだけ伝えた。半年後に浜島が社長就任の意思を固めたと知った時は「うれしかった」という。 

閉鎖店舗をハンマーでぶち壊す

会長就任後、当時の社長(直美夫人)が不採算店として福島県の店舗の閉店を決めた。宗次は「少なからずお客さんはいる。儲からないからやめるというのは…」と閉店に反対していた。

しかし、閉店はすでに決定済み。閉店当日、宗次はハンマーを持参して福島へ。最後の客を自ら見送り、「最後は自分の手で壊そう」と翌朝、カウンターの板をハンマーで壊して帰った。 

引退後は巨額を投じて社会貢献

自分にお金をかけない宗次は引退後、趣味でもあったクラシック音楽に情熱を注ぐ。07年3月、私財27億円を投じて名古屋市中心部にクラシック音楽専門のコンサートホール「宗次ホール」を建設。

NPO法人「イエロー・エンジェル」も立ち上げて寄付活動に注力し、若い音楽家の活動などを支援している。ヴァイオリニストで、モントリオール国際音楽コンクールで優勝した辻彩菜には、1840年製の高価なヴァイオリンをイエロー・エンジェルから貸与した。 

変人とは“常識”の逆をいくこと

現在は、現役時代よりも早い午前3時55分に起床。カレーを食べる機会はめっきり減り、早朝から作業着に身を包んで名古屋市のメーンストリートを掃除したり、花を植える作業をしている。これも「変人」と自称するゆえんだが、実は、「変人=常識の逆をやればうまくいく」ということを身をもって教えてくれている。



宗次德二(むねつぐ・とくじ) 1948年石川県生まれ。高校卒業後、不動産、住宅メーカー勤務などを経て74年に妻の直美氏と喫茶店「バッカス」を開業。78年に現愛知県清須市で「カレーハウス CoCo壱番屋」1号店をオープンする。82年法人改組し、壱番屋の社長に就任。98年に妻の直美氏に社長を譲り、会長に就任。2002年、500店達成を機に、生え抜きの浜島俊哉氏を社長に据えて創業者特別顧問となり、経営から退く。03年、NPO法人「イエロー・エンジェル」を設立し、理事長に就任。07年には名古屋市内に音楽ホール「宗次ホール」を造り、代表も務める。著書に『CoCo壱番屋 答えはすべてお客様の声にあり』『日本一の変人経営者』などがある。


 

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