【経営哲学】相模屋食料 鳥越淳司社長 妄想の中に未来がある②組織の価値は自分の価値ではない

豆腐

(写真:photoAC/HiC)※写真はイメージ 

これまで番組などで直接取材した経営者のかたの哲学についてまとめたコラム。

 

まったくの“豆腐素人”だった娘婿が、日本最大の豆腐メーカーを築き上げた。

『ザクとうふ』や『焼いておいしい絹厚揚げ』などで知られる豆腐製造会社「相模屋食料株式会社」の鳥越淳司社長は、元サラリーマン。02年に妻の父親が社長を務めていた同社に入社し、07年に社長に就任した。

以来、数々のヒット商品を生み出し、豆腐業界初の売上高100億円を達成。『マスカルポーネのようなナチュラルとうふ』が経済産業大臣賞を受賞するなど、妄想癖を武器に次々と斬新な商品を開発するアイデア性と経営手腕が注目されている。
 
 

TGCで豆腐がモデルとランウェイを歩く

『ザクとうふ』をヒットさせた相模屋は、豆乳の脂肪を分離する技術を使用し、濃厚な味がする『マスカルポーネのようなナチュラルとうふ』も商品化した。
「女性向けのおとうふ」として、市販のプリンのようにカップを片手に持って食べられるようにし、14年8月に発売開始。初年度5億円を売り上げた。

“場違い”なプロモーションで知名度を上げた。鳥越は、若い女性に絶大な人気を誇る「東京ガールズコレクション(TGC)」で、モデルが豆腐を持ってランウェイを歩くという演出を仕掛けた。これも、発端は妄想だった。

① 豆腐がスポットライトが浴びながら、モデルさんと一緒にランウェイに登場する。
② 豆腐が女の子たちにキャーキャー言われている。

F1層(20歳から34歳までの女性)に受ける豆腐は何か、と考えていたところ、F1層が集まる場所としてTGCに行き当たった。

「同性が同性にキャーキャー言う、と言う場所はあまりないと思うんですよ。でも、ガールズコレクションにはそれがある。テレビショッピング的な協賛企業の紹介もやっていますし、そこでやりたいな、と思いまして」

もちろん、初めは周囲に怪訝な顔をされたという。

ガンダムで人生訓を学ぶ

 

 

 

鳥越のガンダム熱は幼少時代からのものだった。子どもの頃は親にガンプラ(ガンダムのプラモデル)を買ってもらえず、自分で段ボールを切ってはプラモデルのように組み立て、仕上げにマジックで色を塗って作っていた。


アニメとは似ても似つかないヘタなものしかできなったというが、「今思えば、人生は“ない中で、どうするか”が大切だから、これでよかったんです」と話す。

批判するなら自分でやればいい

いわゆるサラリーマン家庭で育ち、自身も大学卒業後は雪印乳業に入社して営業担当になった。群馬県内のスーパー「フレッセイ」の当時バイヤーに会社の愚痴を漏らしていた時のこと。

「そんなに批判しているなら、自分でやりゃいいじゃん」

きつく言い返されて、シュンと落ち込むどころか「自分でやればいいんですね!」と妙に納得した。以降、得意先のスーパーを回りながらただ商品を売るだけでなく、「なぜ、これは売れ、これは売れないのか」「どのスーパーにどんな客が来るのか、お客さんは何を求めているのか」などと自然と研究するようになった。

「何色のPOPだと売り上げが伸びるのか」とまで考えるようになり、カラーコーディネーターの資格を取得しようと思ったこともある。

土下座で知った「自分が誇るものは何もない」

 

 

 

2000年、雪印乳業で集団食中毒事件が発生した。
当時、鳥越は群馬から福島・郡山への辞令をもらったばかりで群馬県内であいさつ回りをしていたが、謝罪行脚へと駆り出された。

社員は大阪に集められ、割り振られた行き先でひたすら謝罪。鳥越も土下座で謝罪した。
そのたびに「組織の価値に乗っかって、そこで比較的いい成績を挙げていただけ。自分が誇っていいものなど、何もなかった」と気づく。

財産狙いと警戒される

事件後も雪印製品を売るため、同社はさまざまな業界の商品とのコラボ企画を実施した。

鳥越は、スーパー「フレッセイ」のバイヤーの紹介で、地場の豆腐メーカーにアプローチすることになった。その豆腐メーカーは社長と3人娘が切り盛りしている家族経営で、中でも三女は「やたら元気なねーちゃん」だった。

この三女に鳥越は警戒され、後年になってから知るのだが、「この人、うちの財産を狙っているのでは」と思われていた。この三女こそが後に妻となる人であり、この地場豆腐メーカーこそが、自身が社長を務めることになる相模屋食料だった。

(③につづく=mimiyori編集部)

 

 

 

 

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