読んでいるうちに行ったつもりになれるかもしれない、プチ旅行の紀行文コラム「行ったつもりシリーズ」。
今回は埼玉県の飯能市・日高市をサイクリング。前半は、初秋に見ごろを迎える曼珠沙華が500万本も咲く「巾着田」を目指す。
飯能市のホットスポットといえば
暑かった夏も過ぎ、秋らしい空気になってきた。日本列島を台風が通過し、一気に涼しくなったこの日、秋の風情を求めて埼玉県南西部の飯能市・日高市へ。自宅から約40km走って、まずはここ数年、飯能市でもっともホットなスポット「ムーミンバレーパーク」へ。
フィンランドの絵本で、日本ではアニメでもお馴染みのムーミン。2019年3月にオープンした「ムーミンバレーパーク」は物語の舞台であるムーミン谷をイメージしたテーマパークで、メディアなどでもたびたび取り上げられている。
その「ムーミンバレーパーク」と、北欧のライフスタイルを体験できる「メッツァビレッジ」の2つのエリアを合わせて「メッツァ(フィンランド語で森)」という施設になっていて、宮沢湖という小さなダム湖の周りに造られている。「ムーミンバレーパーク」はワンデーパス3000円(大人前売り)と1日かけて遊ぶようなところなので、入口をチラ見しただけで立ち去ったが。後から調べたところ「メッツァビレッジ」のみなら無料(体験施設などは有料)で入れたようだ。
古代朝鮮の王族を祀る高麗神社
次は北へ5kmほど走り、日高市の高麗神社(こまじんじゃ)へ。その名の通り、朝鮮半島にゆかりのある神社で、案内板によると、古代、朝鮮半島北部にあった国家、高句麗の王族・高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)を祀っている。
高句麗は668年に唐・新羅の連合軍に滅ぼされたが、高句麗の貴族や僧侶などが日本に逃れ、主に東国に住んだという。そのうち1799人が716年に武蔵国のこの地に移され、高麗郡を設置し、高麗王若光を郡司に任命。若光は武蔵野の開発に力を尽くし、この地で没したという。
郡民はその霊を祀って高麗明神とあがめ、現在に至るまで若光の子孫の高麗家が神社を守っているという。社殿の裏には、江戸時代前半ごろに建てられた高麗家の住宅が保存されており、国の指定重要文化財となっている。
神社はいっけん日本の他の神社と変わらない雰囲気だが、どこか朝鮮半島の文化を感じさせる。周辺の案内板もハングル文字が併記されていたりするので、韓国からの観光客も多いのかもしれない。
巾着のかたちをした曼珠沙華の名所
神社を出て南西へ2㎞ほど進み、曼珠沙華で有名な巾着田に向かう。県道に出ると、車がまったく動かないほどの渋滞。この日は平日だったけど、多くの観光客が訪れているようだ。駐車場もいっぱいだったが、幸い自転車は園内に入ることができた。
巾着田とはちょっと変わった名前だが、高麗川がグネグネと蛇行している様子が近くにある日和田山から眺めると巾着のようなかたちに見えることからその名がついたそうだ。地図で見ると「Ω(オメガ)」を逆さまにしたようなかたちで、これほど曲がりくねった川は自然に、または人工的に流れを真っすぐに変えられそうだが、そうはなっていないようだ。以前、花の時期じゃない時に来たときは巾着のかたちに沿って自転車で一周できたが、この日は人が多くては入れなかった。
この巾着田が曼珠沙華の名所となったのは、いわば偶然の産物だそうだ。昭和40年代に当時の日高町が藪や竹林に覆われた巾着田を整地したところ、9月になって一斉に曼珠沙華が咲くようになったとのこと。河川の増水等で流れてきた球根が根付いたと考えられているという。過去2年はコロナ禍で人の密集を防ぐため、花の株を切り取っていたとのことだが、今年は巾着田曼珠沙華まつりが再開され、出店なども出ている。
曼珠沙華は彼岸花とも呼ばれるように、9月下旬の秋のお彼岸ごろが見ごろ。この日は公園の入り口に五分先との看板が出ていたが、真っ赤に咲き誇るさまはすでに見ごたえ十分だった。
曼珠沙華×古民家のコラボも
高麗川沿いの一部エリアは曼珠沙華まつりの時期だけ入場料500円が必要で、その中は言い尽くされているけど赤い絨毯のように曼珠沙華が一面を埋め尽くしている。とはいえ、外からもそれなりに楽しめる。年によっては10月半ばまで咲いているし、春は桜や菜の花、夏はガクアジサイ、秋は他にもコスモスやソバの花も見られるという。電車でも西部池袋線・高麗駅から徒歩15分ほどでアクセスできる。
巾着田の向かいにかなり立派な古民家があるので、ちょっとだけ見学。ここは高麗郷古民家(旧新井家住宅)といって、江戸末期~明治時代前半に建てられた主屋を中心に客殿や納屋などが建っていて、ここも国の登録有形文化財となっている。ひとつひとつの部屋も広くて、かなりの有力者の屋敷だったのだろう。
次回は飯能・日高へのサイクリングの後編。鉄腕アトム像やもうひとつのムーミン谷を訪ねる。
(光石 達哉)