自転車初心者の編集部見習いコイケが、師匠に弟子入りして上達を目指す企画「若葉マーク脱出計画」。
新年を迎えたということで、今回は初詣サイクリング後編。
自転車初心者の編集部見習いコイケとともに多摩川サイクリングロード「たまリバー50キロ」を走って、交通安全の自転車お守りをゲットしにいく。
内陸の昭島市にクジラ?
寺社巡りが好きなコイケが自転車お守りが欲しいということで、いろいろ本人に調べてもらったところ、多摩川サイクリングロードの終点近くにある羽村市の「阿蘇神社」にあるという。
初詣がてら行ってみるついでに、多摩川サイクリングロードを一気に走ってみることにした。
前回は立川付近までリポートしたが、そこからしばらく走り、河口から約44km地点、昭島市にあるJR八高線の鉄橋がかかるところまで来た。
土手の上のサイクリングロード脇に錆びた列車の車輪が展示してある。
実はこの多摩川鉄橋では、太平洋戦争終戦からわずか9日後の昭和20年8月24日、豪雨の中で列車が正面衝突し、少なくとも105人が死亡する大事故があったという。
この車輪は、事故後に多摩川から引き上げられたそうだ。
同じ場所には、クジラについて解説している看板もある。
時は流れ昭和36年、この付近で全長約16mのクジラの化石が発見された。
約200万年前のものとされ、現在のクジラと異なることからアキシマクジラと呼ばれ、平成30年には「エスクリクティウス・アキシマエンシス」という正式な学名が付けられたという。
それにちなんで、この付近は「くじら運動公園」と呼ばれ、さらに昭島市には「昭島市民くじら祭」というお祭りや「くじらロード商店会」という商店街があったりと、クジラによる町おこしも盛んに行われているようだ。
50キロ完走‼ 終点で「玉川兄弟」とご対面
再び自転車にまたがり、土手の上と河川敷を行き来しながらさらに上流へ。
あっという間に多摩川サイクリングロードの終点のひとつである「羽村取水堰(はむらしゅすいせき)」に到着。
スタートで見た「たまリバー50キロ」の案内板が、ここにもあった。
まだ昼の12時前で、ほとんど休憩を取らずに走ってきたので、3時間半ほどでゴールできた。
さて、多摩川サイクリングロードの終点は対岸の「羽村郷土博物館・旧下田家住宅」という説もあるので、そっちにも行ってみる。
「対岸側を走るのは初めて」とウキウキしているコイケとともに、羽村堰下橋という細い橋を渡り、5~600mほど走ると、これといって目印のない行き止まりになっていた。
再び橋を渡って、羽村取水堰に戻る。
羽村取水堰とは、多摩川から玉川上水に水を引くために江戸時代初期の1653年に完成。
当時、玉川上水は四谷大木戸まで全長43kmあり、その水は江戸市民の生活用水として使われた。
取水堰のそばには、玉川兄弟の像もある。玉川上水・羽村取水堰の工事をわずか8カ月でやり遂げたこの庄右衛門・清右衛門の兄弟は、江戸幕府から「玉川」の姓と200石を賜わったという。
東京の阿蘇神社で初詣
さて、本来の目的は初詣だったので、目当ての阿蘇神社へ向けてもう一息、自転車を走らせる。
取水堰の先で再び多摩川の土手の上に出て、1kmちょっと走ると木製の鳥居が見えてくる。
このあたりは何度か来たことがあるけど、鳥居があるだけで社殿などないのかなと思っていたら、どうやら多摩川沿いに長く参道が伸びているようだ。
しかし、この参道は未舗装で自転車では入りにくいので、川沿いから外れて住宅街の中の路地をクネクネとたどる。
数100m走ると、東門の鳥居が見つかった。ここからだと社殿はすぐそこだ。
阿蘇神社は601年創建。
その後、平将門が社殿を造営し、小田原北条氏や徳川家康、家光なども支援したという武門との縁がある神社だそうだ。
最近では、多摩川サイクリングロードの終点に近いことから多くのサイクリストが訪れるようになり、自転車の交通安全お守りも置くようになったようだ。
自転車お守りをゲット! 締めは巨大ハンバーガー
社殿は大きくて立派だが、普段は宮司の方が常駐しているわけではないようで、この日も境内に人の気配はなかった。
賽銭箱の横にいろんな種類のお守りが並べて置いてあるが、どうやって買うのかなと思っていたら、賽銭箱にお金を入れてお守りをお預かりすることになっているらしい。
郊外でたまに見る野菜の無人販売所のようなシステムだ。
というわけで無事にお参りも済ませ、めでたく自転車お守りもゲットできた。
ちょうど時間はお昼過ぎということで、このあたりでランチのお店も探すことに。
ここからは福生の米空軍横田基地が近く、その周りにはアメリカンな感じのレストランも多い。
実はこの日はまだ12月下旬で、米軍基地周辺での感染拡大のニュースもなかったので、1軒のお店に入ってみる。
あまり初詣っぽくないけど、アメリカンサイズの大ぶりなハンバーガーに食らいついて、お腹も満足させることができた。
(光石 達哉)