行ったつもりになれる自転車紀行文連載「行ったつもりシリーズ」。
今回は群馬県にある世界遺産・富岡製糸場とその周辺をサイクリング。スマホアプリで集められるデジタルスタンプラリーにも挑戦しながら、秋の上州路を走ってきた。第2弾はいよいよメインの富岡製糸場の中へと入っていく。
明治~昭和の115年間 生糸を紡ぐ
世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺跡群」に登録されている4つの構成資産をめぐり、それらを含む24カ所のデジタルスタンプラリー(世界遺産4カ所、日本遺産2カ所、ぐんま絹遺産16カ所)にも挑戦している今回の自転車旅。
前回は、群馬県藤岡市にある「高山社跡」(世界遺産)まで訪れ、7つのスタンプを集めた。時刻は14時前でちょっと日も傾いてきたので、途中のスタンプスポットをスルーして約20km走り、15時過ぎに富岡製糸場のそばに到着した。
富岡製糸場の正門のすぐ近くに、「旧韮塚製糸場」(ぐんま絹遺産)がある。ここは韮塚直次郎という人が、富岡製糸場をモデルに建てた民間の製糸場だが、明治9~12年の3年間しか操業していなかったそうだ。
建物はその後、学校や味噌蔵・醤油蔵、長屋などと役割を変えていたが、ほぼそのままのかたちで現在まで残っていたらしい。ここで、富岡製糸場の入場券(大人1000円)も売っている。
明治期の建物がそのままに
さて、いよいよ「富岡製糸場」(世界遺産)へ。
さすがに観光客も多く、正門前の通りにはお土産屋や飲食店も並んでいる。写真などでよく見る明治風の赤レンガの建物は東置繭所と呼ばれる繭などの倉庫や作業場で、その奥にも西繭置所と呼ばれるほぼ同じ建物がある。
中は博物館のようになっていて、絹製品などを売るお土産屋も入っている。
昭和に入り、日本の絹産業は安価な他国製品や化学繊維の台頭で徐々に衰退していったのだが、ここ富岡製糸場は昭和62年、つまり平成に代わる直前まで115年間も製糸工場として操業していた。
建物も明治初期に作られたものが、ほとんど残されているという。
シルクと自転車の意外な共通点
富岡製糸場はもともと明治5年に官営の製糸場として操業開始したが、明治26年に三井に払い下げられ、明治35年に原合名会社、昭和13年に片倉工業(片倉製糸紡績)と民間企業の手を渡り歩いた。昭和時代の会社案内や制服も展示されていたのが、個人的に興味深かった。
ん!? 片倉? 絹? シルク?
ふと、「片倉シルク」という自転車があったような、と記憶が呼び覚まされ、後日調べてみたら、やはり片倉工業は自転車も作っていた。
片倉工業は、東京都福生市にあった多摩製糸所を昭和18年に航空機部品を作る軍需工場に転換した。
さらに戦後に事業転換を行い、昭和30年に片倉自転車株式会社として分離独立。製糸場を由来とするシルクをブランド名にした。
いわゆるママチャリというか一般向けの自転車も作っていたようだが、乗り手の身体に合わせたカスタムメイドのスポーツ車は性能が高く、1964年(昭和39年)東京五輪で日本代表チームが使用するほどだった。
しかし、次第に安価な輸入自転車に押され、片倉は平成元年に自転車事業から撤退。その後、三和自転車工業がシルクブランドを引き継いだが、ここも平成9年に事業撤退。現在は片倉自転車の技術者だった方が、絹自転車製作所というハンドメイド自転車の工房を経営している。
ちなみに、さいたま新都心駅前にコクーンシティという商業施設があるが、ここは片倉工業の製糸工場の跡地に作られたのでコクーン(繭)の名がついている。
コロナ禍でここ2年は中止になっているが、このコクーンシティの周りでは毎年秋に「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」という本場ツールの出場選手らが集まるレースが開催されている。
というわけで富岡という土地とはほぼ関係ないが、製糸業と自転車は多少なりとも繋がっていたのだ。
工女たちの宿舎も現存
話を富岡製糸場に戻すと、置繭所の南隣には繰糸所(そうしじょ)がある。繭から生糸をとる自動繰糸機がずらっと並んでいてなかなか壮観だ。
これらは昭和40年代以降に設置された日産製の機械で。操業停止時まで使われていたものがそのまま残されている。
富岡製糸場は、計画時からポール・ブリュナというお雇いフランス人が指導にあたっていた。
敷地内にはブリュナの住居であった首長館、他のフランス人技術者・教師のための住居、民間払い下げ後に工場長などの幹部が住んでいた社宅、工女たちの寄宿舎などがあり、当時の建物の雰囲気を残している。
いよいよ景品交換
急ぎ足で一回りしたつもりが、すでに16時半近くになり、日も暮れかけてきた。富岡製糸場を出て自転車にまたがり、数100m離れた上州富岡駅前にある「富岡倉庫」(ぐんま絹遺産)へ。
ここは明治33年創業の富岡倉庫株式会社が繭などを保存していた倉庫で、現在はそのひとつが「群馬県立世界遺産センター・セカイト」という観光案内所のようになっている。中は新しいが、ガイドの女性によると2020年春にオープンしたばかりで、耐震補強工事は国立競技場を設計した建築家・隈研吾さんが手掛けているという。
ここが、集めたデジタルスタンプの交換場所でもある。スタンプは全部で24カ所あるが、実は6個集めれば景品と交換できるので、7個以上集めてもあまり意味はない。
…と言いいつつ、すでに10個以上集めているけど。
ちなみに、景品は高山長五郎の伝記マンガ、繭玉、クリアファイルなどで、ちょっとしたお土産にもなる。
工女たちのお墓参りに
近くのお寺、海源寺と龍光寺には「富岡製糸場工女等の墓」(ぐんま絹遺産)がある。製糸工場の工女といえば、映画「ああ野麦峠」のような過酷な労働環境というイメージがあるけれど、あの内容は長野県の岡谷・諏訪あたりの民間工場の話だという説もあるとか。
一方、官営の富岡製糸場は労働時間の管理や福利厚生もしっかりしていて、当時としては世界的にも先進的で模範となる工場だったらしい。
それでも病気などで亡くなった工女たちは、この2つのお寺で眠っているそうだ。
自転車でラリー達成は2日間必要かも
というわけで、田島弥平旧宅から富岡製糸場周辺までを自転車で周ったこの日は、ちょうど半分となる12個のスタンプをゲット。
2日がかりになるとは思ったが、残りのエリアは各スタンプの位置も離れていて山も多いので、本当は1日目にあと3~5個ぐらいはゲットしたかったところだ。
もちろん景品はもうもらったので、これ以上集めるのは自己満足でしかないけれど、ここまで来たらできる限り集めようと思う。
本来なら近くの温泉にでも泊まって2日目に突入したかったが、スケジュールの都合で別日に再挑戦だ。
(光石達哉)