読んでいるだけで「行ったつもり」になれる紀行文連載。
今回は群馬県にある世界遺産・富岡製糸場とその周辺をサイクリング。スマホアプリで集められるデジタルスタンプラリーにも挑戦しながら、秋の上州路を走ってきた。
完結編となる第4弾は2日目の後半、4番目の世界遺産の構成資産、下仁田町の岩船風穴へと向かう。
世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺跡群」に登録されている4つの構成資産をめぐり、それらを含む24カ所のデジタルスタンプラリー(世界遺産4カ所、日本遺産2カ所、ぐんま絹遺産16カ所)にも挑戦している今回の自転車旅。
4つの構成資産のうち、初日に田島弥平旧宅、高山社跡、富岡製糸場の3つを周ったので、今回はいよいよ最後のひとつ、荒船風穴を目指す。
デジタルスタンプは前回まで24個中17個ゲットし、残り7つだ。
スタンプスポットが行方不明…?
妙義神社に参拝した後、道の駅みょうぎを出発して県道51号に合流。杉ノ木峠という小さな峠を越えて富岡市から下仁田町へ入り、国道245号・下仁田街道にぶつかったら右へ。ここからは鏑川沿いに緩やかな上り坂が続く。国道沿いには、背の低い下仁田ネギの畑や名物のこんにゃく料理のお店が時折ときおり見える。
先ほどの曲がり角から4kmほどで右斜め前の道に入り、本宿という古い宿場町のような町並みを抜ける。妙義神社からは約16km、このあたりに「春秋館跡」(ぐんま絹遺産)というスタンプスポットがあるのだが、なかなか見つからない。
ウロウロしていると、黒いビニールに覆われた廃屋かと思ってしまった建物の入口に「春秋館跡」と貼られていた。
この春秋館は、これから訪れる岩船風穴を経営していた会社で、この建物は事務所・住宅・蚕室などとして使われていたそうだ。
今は中に入れないが、今後、見学できるように整備が行われるのかもしれない。
激坂が立ちはだかる!
ちょうどここで正午のチャイムが聞こえた。国道254号に戻り、再び西へ約6km。荒船風穴へ向かう分かれ道の標識がある。
どちらの道でも行けるようだが、直進するルートは15.6km、左に向かうルートは3.1kmで平日のみ通行可とある。この日は土曜日だったが、その先の標識を見ると自転車なら休日でも通行可のようだ。
荒船風穴は標高800mぐらいの山の中にあると聞いているが、現在地は標高500mほど。約3kmで300m上がるのだから平均勾配10%ぐらい。なんとか登れそうな坂だ。急がば回れという言葉もあるけど、ここは約3kmの近道ルートにチャレンジしてみる。
近道ルートは道幅が狭く、クルマがすれ違うのは難しそうだが、世界遺産に続く道だけあって舗装はきれいで走りやすい。勾配も最初のうちは8%ぐらいだ。
しかし、残り1.5kmの標識を過ぎると15%越えの激坂が立ちふさがる。ついに耐え切れず、自転車を降りてしまった。少し休憩してから再びこぎ出したが、もう気持ちが折れてしまい、結局1kmほど押して歩いてしまった。やはり「急がば回れ」だったかな。
残り300mぐらいのところに駐車場があり、自転車を停めて歩くが、この300mもかなりの坂だ。春秋館跡から約8km、ようやく荒船風穴の入口に到着した時は、もうすでに午後2時近くになっていた。
僕の格好を見て、ガイドのおじさんが「自転車ならここまで乗ってきてもいいよ」と言ってくれたが、もう無理、勘弁してくださいよ。ちなみに、見学料は大人500円だ。
天然の冷蔵庫発見
世界遺産「荒船風穴」は、いわば天然の冷蔵庫。明治38年から昭和18年まで、蚕種(蚕の卵)を低温貯蔵していたそうだ。
普段は春にふ化する蚕だが、低温貯蔵してから常温に戻すことで年に何度もふ化させることが可能になり、その結果、繭をたくさん作れ、生糸の増産につながった。大正2年には同様の風穴が全国に270基以上あったそうだが、その中でも荒船風穴が最大規模だったという。
この「岩船風穴」、養蚕技術の改善・普及に努めた「田島弥平旧宅」と「高山社跡」、国内機械製糸場の先駆けとなった「富岡製糸場」をはじめとする絹産業の発展のおかげで日本の生糸生産量は世界の80%を占めるようになり、お金持ちだけでなく庶民でも絹製品を着ることができるようになったとのことだ。
さて、天然の冷蔵庫とはどういう仕組みかというと、ここは山の北向きの斜面で、さらに崩落した岩が積み重なっている地形となっている。冬場の雪や雨が岩の間に浸み込んで氷柱などの氷となり、日当たりが悪いので春から夏にかけてそれが少しずつ溶け、岩の隙間から冷風が吹き出すという。
夏場は周りの気温が30度ぐらいになっても、0度前後の冷風が出ているそうだ。この日も場所によっては周りより冷たい空気が吹き出ているところがあった。
しかし、昭和になって日本の絹産業が衰退し、また電気の冷蔵庫が徐々に普及したことで、岩船風穴はその役目を終えた。当時は馬で蚕種を運んでいたそうだが、こんな山奥まで運ぶのはやはり大変だっただろう。
入口に戻ると、ロードバイクが2台とまっていた。ここまで来たサイクリストがいたようだ。どちらのルートで来たか気になるけど、15kmの遠回りルートも一度標高1100mぐらいまで登ってから降りてくるようで、どっちみち大変そうだ。
こんにゃく料理を食べるはずが
駐車場に戻って自転車にまたがり、ブレーキを握りしめながら激坂を下る。国道に戻ると、今度は東へ。途中でこんにゃく料理屋でも寄ろうかと思ったけれど、時間がないので先を急ぐ。
続いては、荒船風穴から約15km、国道沿いに立つ下仁田町歴史館へ。ここに収蔵されている「春秋館文書」がぐんま絹遺産に登録されている。
春秋館文書とは、荒船風穴の運営会社である春秋社の帳簿や営業案内などの書類。青いファイルに入れられて本棚いっぱいに収められているが、一部はガラスケース内に展示されている。歴史館の中には当時の荒船風穴を再現した模型や、こんにゃくの歴史の解説などもあった。
次はさらに国道沿いに約1.5km南東へ進み、下仁田の中心部の方へ。中心部と言ってもこじんまりした町だが、下仁田駅近くに次のスタンプスポット「旧上野鉄道関連施設 下仁田倉庫」(ぐんま絹遺産)がある。かつては繭を保管していたという赤レンガのおしゃな建物で、現在は古道具屋が入っているそうだ。
下仁田駅は上信電鉄の終電で、始発の高崎から富岡を通ってここまで来ている。かつては上野鉄道という名称で、生糸や繭、蚕種を運び、絹産業の物流を支えていた。
さて、時計はもう午後4時で、太陽も山の向こうに沈もうとしている。スタンプは残り3個で、それぞれ場所も離れているが、もう少しだけ頑張ってみる。南西方向に進み、南牧川に沿って緩やかな上り坂を進んでいく。南牧川はゴツゴツした岩の渓谷で、松尾芭蕉が「閑さや 岩にしみいる 蝉の声」の句を詠んだ景勝地だそうだが、写真も撮らずに走り続ける。
スタンプラリー全制覇なるか⁈
15kmほど走って、南牧村民俗資料館に到着。ここに展示されている「南牧の養蚕・繰糸・機織用具」がぐんま絹遺産に登録されているが、開館日は毎週金曜日のみで中を見学することはできなかった。すでに午後5時で、あたりはほぼ真っ暗になっている。
残るスタンプは、上野村の「旧黒澤家住宅」、神流町の「岩崎竹松翁の功徳碑」のぐんま絹遺産2カ所。しかし暗い中、山道をさらに数10km走らないといけないようで、あえなく断念。結局集めたデジタルスタンプは24個中22個だった。
ちなみに景品交換に必要なのは6個なので、ここまで頑張る必要はまったくなかったのだけどね。
いろいろ想定外のことがあって時間がかかってしまったが、思い通りにいかないことがあるのも旅の面白さ。
そして、群馬県南部に散らばる絹産業ゆかりの地をめぐって、百数十年前の人たちが自分たちの生活や国の発展のため、知恵を絞って汗をかいて頑張っていたんだなということが、自分の脚で走って自分の目で見たことで、より実感できた気がした。
(光石 達哉)