【行ったつもりシリーズ】都内しばりで新選組ゆかりの地をめぐるサイクリング(後編)

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後編の主役・近藤勇の胸像。なんとも険しい表情…(撮影:光石 達哉)

幕末の動乱の時代に活躍し、今なお人気のある新選組。今回は都内にある新選組ゆかりの地をサイクリングでめぐっていく。後編は、新選組局長・近藤勇の地元・調布市から、府中市と町田市を回っていく。

 

今年10月には土方歳三を描いた司馬遼太郎の小説「燃えよ剣」の映画が公開され、再び注目度が増している新選組。今回も東京都が発行している「新選組ゆかりの地を歩いてみませんか」というパンフレットをもとに、各スポットを訪れていく。

 

前回は副長の土方歳三を始め、多くの新選組隊士や支援者らの地元である日野市のスポットを回ってきたが、今回は局長・近藤勇の故郷・調布市にまず向かう。

 

 

近藤勇誕生の地へ

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調布市にある近藤勇生家跡。調布飛行場建設のため母屋などは壊され、現在は産湯の井戸が残るのみ。左の祠は、近藤神社(撮影:光石 達哉)

最初は調布飛行場の北側、野川公園入口のそばにある人見街道沿いの近藤勇生家跡へ。近藤勇はもともと宮川家という豪農の三男だったが、15歳から天然理心流を学び、その才能を見込まれて三代目宗家・近藤周助の養子となり、その後、四代目宗家を継いだ。

 

宮川家は約2120坪の広大な敷地だったが、母屋などは昭和18年に旧日本陸軍調布飛行場から飛び立つ戦闘機の妨げになるため取り壊されてしまったという。現在は勇が産湯に使ったとされる井戸が残されているだけで、その横には昭和元年に建てられたという小さな近藤神社がある。

 

近藤勇とご対面

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近藤勇の婿養子・勇五郎が開いた天然理心流の道場「撥雲館」が井戸の向かいにある。奥は近藤家の子孫の住宅となっている(撮影:光石 達哉)

人見街道を挟んだ向かいには、撥雲館(はつうんかん)と呼ばれる天然理心流の道場がある。勇の甥で娘婿でもある天然理心流五代目・近藤勇五郎が、明治9年に開いたものだ。その後、飛行場建設の際などに何度か移築されたが、現在は近藤家の敷地内にあり、昭和50年代まで剣術の稽古が続けられていたそうだ。

 

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生家跡から200mほど離れたところにある龍源寺は、近藤勇の墓所。門前に勇の胸像がある(撮影:光石 達哉)

近藤勇は鳥羽・伏見の戦いの後、関東に戻って官軍と戦うが、千葉・流山で投降し、板橋で処刑された。生家跡から200mほど東にある龍源寺に、近藤勇が眠る墓がある。門前の駐車場の左手には、いかつい風貌の胸像が据えられている。

 

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近藤勇の墓は右から2つ目、左は辞世の句の石碑(撮影:光石 達哉)

中に入り、本堂の左側から裏に回ると近藤家の墓が5つ並んでおり、そのうち右から2つ目が勇の墓だ。



五輪のコースにもなった!大國魂神社

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近藤勇の天然理心流四代目襲名披露試合が行われた府中の大國魂神社。「燃えよ剣」冒頭のくらやみ祭りのシーンの舞台でもある(撮影:光石 達哉)

次は約5kmの移動。甲州街道、旧甲州街道と繋いで、府中市の大國魂神社へ。大國魂神社といえば、最近では東京五輪の自転車ロードレースで選手たちが参道を走るシーンが印象的だった。大鳥居の手前にはそのモニュメントもある。ちなみに、ロードレースのスタート地点は近藤勇生家跡から近い武蔵野の森公園だった。

 

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今年7月の東京五輪・自転車ロードレースでは大國魂神社の参道もパレード走行のコースとなった。境内の外には、コースだったことを示すモニュメントも(撮影:光石 達哉)

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境内の中央にある随神門。パレード走行はここを右折して府中街道へと抜けていった(撮影:光石 達哉)

司馬遼太郎の「燃えよ剣」の冒頭は、大國魂神社の「くらやみ祭り」で土方歳三が闇にまみれて女性を襲うシーンから始まるが、初めて読んだときはどんな話やねん、と思った記憶がある。このくだりは、ほぼ司馬遼太郎のフィクションだろうが、近藤勇の天然理心流四代目襲名披露試合は大國魂神社の東広場(現在の東京競馬場付近)で行われたとされる。

 

絶品おやつで旅を締めくくる

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町田市の小島資料館。新選組の支援者だった小島鹿之助の広大な屋敷跡で、当時の書簡などが所蔵されているという。ここも毎月第1・第3日曜日のみの公開で、この日は閉館日(撮影:光石 達哉)

次は府中本町駅の方へ向かい、鎌倉街道を南下し、町田市小野路という町まで11~12kmほど走る。ここには新選組の支援者だった寄場名主・小島鹿之助の子孫が運営する小島資料館がある。小島鹿之助は天然理心流の門人で、近藤勇は小島家の屋敷で出稽古を行っていたという。さらに、日野の佐藤彦五郎と3人で義兄弟の契りを交わしている。

 

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小島家の向かいにある「小野路宿里山交流館」。江戸時代の宿場町の旅籠を再生した施設(撮影:光石 達哉)

すぐそばには、江戸時代に旅籠(はたご)だった旧家屋を再生した「小野路宿里山交流館」がある。このあたりは鎌倉時代から交通の要所で、江戸時代には6軒の旅籠がある宿場町だったそうだ。

 

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交流館の売店で買ったマフィンでおやつタイム(撮影:光石 達哉)

現在は食事処や売店などもあり、小さな道の駅のような施設として利用されている。ちなみにこの辺りはちょっとした丘陵地帯で、自転車だと入るにも出るにもしんどい坂を越えなければならない。

 

日野、調布、町田はそれぞれ10数kmほど離れているが、近藤勇、土方歳三らは甲州街道、鎌倉街道などで日常的に往来していたのだろう。当時は徒歩移動が主だったが、壮健な彼らなら2~3時間ぐらいで行き来していたかもしれない、と想像しながら自転車で走るのも興味深い。

 

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今回も「新選組ゆかりの地を歩いてみませんか」のパンフレットの掲載順に各地を回った(撮影:光石 達哉)

今回はパンフレットに掲載されているスポット4カ所を回ったが、都内、そして全国には他にも新撰組ゆかりの地はまだまだあるので機会があれば訪れてみたいと思う。

(光石 達哉)

 

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今回のルート:①近藤勇生家跡-②近藤勇墓(龍源寺)-③大國魂神社-④小島資料館(撮影:光石 達哉)

 

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