東京五輪の聖火リレーがどんなところを走るのか、事前に自転車で走ってみようというこの企画。だったのだが、東京都の聖火リレーは公道走行が中止(島しょ部をのぞく)となり、さらには五輪もすでに開幕し、日本選手の活躍で盛り上がりを見せている。とはいえ、幻となってしまった聖火リレーが、どんなところにコースが設定されていたのか引き続き見ていこうと思う。今回は開会式前日に予定されていた目黒区、渋谷区、港区のコースを走る。
前回は東京都13日目の中央区まで走り、残る聖火リレーの日程は2日間。今回走るのは五輪開会式前日の7月22日に予定されていた東京都14日目のコースで、実際に聖火が走ることはなかった道を自転車でたどっていく。もちろん、走行中は感染対策に注意を払い、他人との接触を最小限にしている。
目黒区総合庁舎からスタート!
第1区間のスタート地点は、「目黒区総合庁舎」。ここから駒沢通りに出て、南西へ向かう。
環七を越えた先で、左折して柿の木坂通りに入り、「めぐろ区民キャンパス」にゴールする約4kmのコースが予定されていた。
めぐろ区民キャンパスは、1991年に八王子市に移転した都立大学(現在の首都大学東京)の跡地で、図書館、体育館、公園などがある複合施設。ちなみに柿の木坂の柿にちなんで、パーシモンホールというホールもある。
1964年東京オリンピックの名残りを発見!
第2区間は渋谷区で、北東へ5kmほど移動。「文化村通り」のドン・キホーテ前あたりがスタート地点となっていた。ここから渋谷駅のガード下をくぐり、明治通りを左折。
さらに神宮前の交差点で右折して表参道に入り、表参道5丁目の交差点で一度Uターンする。
そのまま真っすぐ進んで原宿駅前を越え、五輪ハンドボール会場である国立代々木競技場・第一体育館を左に見て、右の代々木公園へ。
入口を入って右へ向かうと、小さなかわいらしい建物がある。これは1964年東京五輪で選手村のオランダ選手宿舎として使われていたもので、現在は「オリンピック記念宿舎」として展示されている。
歴史をさかのぼると、明治後期にこの周辺一帯に陸軍代々木練兵場が作られ、日本で初めて飛行機が飛んだのもここだったそうだ。太平洋戦争後は米軍の駐留軍家族の居留地ワシントンハイツとなったが、1961年に日本に返還され、五輪の選手村が作られた。その際、ワシントンハイツの住宅の多くが、選手村の宿舎として使われている。その後、選手村跡地は整備され、ワシントンハイツの住宅も壊され、1967年に代々木公園が開園。当時の名残りをわずかに残すのがこの「オリンピック記念宿舎」ということだ。
コースはまだ続き、公園を出て井の頭通りを西へ。大山の交差点で右折して「代々木大山公園」にゴール。約6.4kmのコースが予定されていた。
港区を抜けて渋谷を回る
次の第3区間は、港区。南東へ11kmちょっと移動して、品川駅東口にある「NTT品川TWINSビル」へ。
ここも大会スポンサーに関連する区間で、ビルの駐車場を数周するだけの短いコースだ。
第4区間は再び渋谷区で、約7km西へ向かう。この日は同じようなところを行ったり来たりしているが、「代官山駅入口交差点」がスタート地点だ。ここから南に向かい、鎗ヶ崎交差点を左折し、恵比寿駅のガード下をくぐる。
さらに渋谷橋交差点を左斜め前の道へ進み、六本木通り沿いの「日本コカ・コーラ本社」がゴールという約2.4kmのコースだった。
ゴールの芝公園を目指す!
続いてはこの日最後の第5区間で、約3km東へ移動して再び港区へ。「溜池山王駅付近ビル前」がスタート地点となっているが、13日目の千代田区のコースにも組み込まれていた日枝神社の大鳥居付近とほぼ同じ場所だ。
ここから北に向かい、赤坂見附の交差点を左折して、国道246号・青山通りへ。さらに赤坂郵便局の先で左折し、外苑東通りへ入る。今度は六本木交差点を右折して、六本木ヒルズ方面へ向かい、その周りを一周。
そこから環状三号線に出て、最後は港区立芝公園にゴールする約6.5kmの区間だった。当日はここで聖火リレーに代わる点火セレモニーが行われ、目黒区の聖火ランナーに予定されていた巨人の原辰徳監督らが登場した。
残る聖火リレーのコースは、五輪開会式当日の7月23日に行われる予定だった東京15日目のみ。なんとか五輪閉幕前に、最後まで紹介できそうだ。
(光石達哉)