【行ったつもりシリーズ】小仏峠、そして3時代の甲州街道に思いをはせる

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旧甲州街道への分岐に入ってすぐ現れる小仏関跡。今は石碑や案内板があるだけ(撮影:光石達哉)
再び全国的に感染者が増え、東京から他県への不要不急の移動自粛が求められるなど、まだまだ自由に旅行するのは難しい日々が続いている。そんな中、過去にサイクリングで訪れたちょっとマイナーだけど個人的なお気に入りスポットを紹介して、旅の参考にしてもらおうという企画。今回は高尾山の北側を越える小仏峠周辺の旅へ。
 
 
 

旧甲州街道の小仏関跡

前回は大垂水峠を登り、高尾山口まで戻ったところまで紹介したが、今回はその続き。国道20号・甲州街道をさらに八王子方面に少し戻り、西浅川というY字路の交差点を左斜め後ろ方向へ曲がる。

ここから先は旧甲州街道になる。先ほどの国道20号と比べると道幅も狭く、沿道のお店なども少なくなる。入ってすぐ右手に小仏関跡という江戸時代に通行人のチェックをしていた関所跡があり、ここが旧街道筋だったことを忍ばせる。とはいえ、復元された建物などはなく今はただの空き地のようだ。

春先は梅でいっぱい木下沢梅林

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峠の中腹に広がる木下沢梅林。3月半ばごろは山を覆うように紅白の梅の花が咲く(撮影:光石達哉)

さらに進んでJR中央本線の線路の下をくぐり、すぐの丁字路を右折。ちょっとだけ坂を上ると木下沢梅林がある。春先にはたくさんの梅が山肌に沿うように咲いていて、見物客も多い。毎年、梅まつりも開催されているようだが、今年はコロナの影響で中止になった。

渋滞の名所、小仏トンネル

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上空を中央道と圏央道のジャンクションが走る。この辺りに渋滞の名所、小仏トンネルがある(撮影:光石達哉)

 

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途中、JR中央本線と並行して進む。タイミングが合えばトンネルを出入りする電車の姿も見られる(撮影:光石達哉)

先ほどの丁字路まで戻って今度は左方向に行くと、徐々に上りも険しくなっていく。左手にJR中央本線の小仏トンネル、右手の頭上には中央高速の小仏トンネルが山中に吸い込まれているように口を開けている。

この先は本格的な山道

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小仏峠の約1km手前で山道に。ロードバイクで行けるのはここまで(撮影:光石達哉)

最初のY字路から5kmほど進んだところで、舗装路が終わる。ロードバイクやクルマで行けるのはここまでで、本来の小仏峠はここから未舗装の山道を1kmほど進んだところにある。ちなみにこの登山道の入り口が標高約360mで、峠が標高約550mあるそうだ。峠を越えると神奈川県の相模湖方面へ抜けて、現在の甲州街道と合流して山梨県へと至る。

甲州街道の歴史 古い道ほど険しく標高が高い

さて、以前紹介した檜原村の時坂峠も甲州古道と呼ばれていたが、このいろいろな甲州への道の関係が気になったのでちょっと調べてみた。

一番古いのがもちろん甲州古道で、古甲州道、甲州中道などという呼称もあるようだ。中世、つまり江戸時代以前の戦国時代ごろまではこの道が甲斐・山梨県に抜けるメインのルートだったという。浅間尾根と呼ばれる山の稜線を通るので、かなり険しい山道だったのだろう。

江戸時代になると五街道のひとつとして甲州街道が整備され、小仏峠を通るルートへと変更された。甲州古道の浅間尾根から直線距離で約15km南に離れているので、かなり大きな変更だ。

そして明治時代になって、さらに約2㎞南、高尾山を挟んで南側の大垂水峠を越える現在の甲州街道のルートへと変更されたとのことだ。

部分的ながら自転車でこの3時代に渡る甲州街道を走って感じたのは、時代が古くなるほど道は険しくて、標高も高いということだ。つまり一番新しい大垂水峠が一番勾配が緩くて、峠自体の標高も低いのに、古い時代はさらに厳しい峠をもちろん徒歩で越えて甲州へと抜けていたわけだ。

今、自転車ながらも自分の脚の力で峠を登ることで、当時の人たちの苦労をちょっとだけ肌で感じられるのは興味深いものだ。
(光石 達哉)