【競馬ブログ】「気まぐれウマ放談」 強豪馬としのぎを削った個性派~スワーヴリチャード

f:id:mimiyori_media:20200825115021j:plain

引退したスワーヴリチャード。強豪ひしめく中距離戦線でG1レース2勝を挙げた(19年有馬記念、撮影・おかだ)

こんにちは!
競馬ページ担当の おかだ です!

このページでは、競馬観戦歴10数年の、まだまだ勉強することばかりのファンが、競馬にまつわるあらゆる話題を気ままに書いていきます。

今回はスワーヴリチャードを取り上げます。1月末、突然の引退発表に驚きました。

19年12月の有馬記念(G1)、ゴール後にオイシン・マーフィー騎手が下馬していたため、何らかの異常があったのではないかと思われていました。

数週間後、右後肢の飛節(ひせつ)と呼ばれる関節部分に腫れや痛みが生じたということで、2年連続のドバイ遠征も予定されていましたが、大事を取って引退となりました。

筆者は2歳時の重賞好走後に、3歳クラシックはスワーヴリチャードと決めて応援していました。

多くの強豪相手に立ち向かう姿が印象的で、成績が振るわなくても、惜しい競馬が続いても絶対に見捨てることのできなかった存在でした。宝塚記念、有馬記念のファン投票でも必ず選択していた1頭。最後のジャパンカップ(G1)勝利は、追いかけ続けて本当に良かったと思えた瞬間になりました。

G1は2勝。くしくも、同期のレイデオロ、アルアインと同じタイミングで種牡馬入りすることになりました。ライバルとしのぎを削った現役生活を振り返ります。

 

 

 

 

3歳クラシックは手が届かず

16年9月のデビュー戦は2着でしたが、2戦目となった同年10月の未勝利戦で初勝利。ここからクラシック3冠レースの登竜門とされるレースに続けて出走しました。

3戦目の東京スポーツ杯2歳ステークス(G3)で2着。続く共同通信杯(G3)を制し、クラシックの有力候補として名乗りを挙げました。

17年4月16日、中山競馬場で行われた3冠初戦の皐月賞(G1)。中団やや後方のインコースに控え、最後の直線に勝負を懸けましたが、結果は6着。比較的前の位置でレースを進めていた馬の脚色が鈍ることはありませんでした。優勝はアルアイン。同馬とは多くのレースで対戦がありました。

同年5月28日、日本ダービー(G1)。皐月賞は6着でしたが、前述の東スポ杯、共同通信杯で好走した舞台でもある東京競馬場、さらに皐月賞よりも距離が延びること(2000mから2400m)もプラスと考えられました。

皐月賞よりも前目のポジションでレースを進めました。インコースから外に進路を切り替えて迎えた最後の直線、逃げたマイスタイルを捉えようと懸命に脚を伸ばしましたが、先に抜け出したレイデオロをかわすことができず2着。

秋は3冠最後の菊花賞を回避して古馬との戦いに挑みました。得意の東京コースで行われたアルゼンチン共和国杯(G2)を完勝。勢いそのまま有馬記念に出走し、結果は4着。G1レース7勝を挙げたキタサンブラックがラストランを飾ったレース、さらに良績のなかった右回りコースで善戦しました。


皐月賞馬を撃破してG1制覇

4歳になって最初のレースは18年3月の金鯱賞(G2)。良績のある左回りコースの中京競馬場で行われたレース。単勝1番人気の支持に応えて勝利しました。

同年4月1日の大阪杯(G1)、舞台は初勝利を挙げた阪神競馬場。しかし、ここまで左回りコースでは2着以内を外していなかったのに対し、右回りでは初勝利の1勝のみ。良績のなかった右回りで、G1制覇最大のチャンスを迎えることになりました。

16頭中の15番枠からスタート。若干、後手を踏んで後方からのレースを余儀なくされました。淡々とした流れでレースが進む中、3コーナー手前あたりで一気に外からポジションを上げていきました。

最後の直線に入る手前で逃げ馬を捉えると、アルアイン、さらにはペルシアンナイトの追撃を振り切って、先頭でゴール。17年皐月賞の1、2着馬を後ろに従えて、見事なG1初制覇。1年前の雪辱を晴らす結果となりました。

レース途中で自ら勝負を仕掛けたミルコ・デムーロ騎手の判断、騎手のアクションに応えた馬の力、まさに人馬一体となってつかんだ勝利でした。


遠ざかる勝ち星

大阪杯を制した後、安田記念(G1)で3着。得意の左回りコースでもある東京競馬場で行われたレースでしたが、経験のなかった1600m戦に対応できませんでした。

夏を越して18年10月の天皇賞・秋(G1)。安田記念以来の実戦で、4カ月以上間隔が空いていました。スタートで大阪杯のように後手を踏んだでは済まされないような出遅れ。筆者はテレビで観戦。まさかの事態に最後までぼうぜんとしていました。

結果は10着。勝負どころでポジションも上げられないまま、最後の直線は全くレースに参加できていないかのような状況でした。良績のあった左回りではワーストの着順となってしまいました。

優勝はレイデオロ。同じ青帽子の4枠に入りながら対照的な競馬で、ダービーの借りを返すことはできませんでした。

続くジャパンカップは3着。天皇賞・秋よりも着順を上げることができたと言えば聞こえは良いですが、勝ったアーモンドアイと1秒近くの差をつけられていました。

5歳になって、19年初戦は中山記念(G2)で4着。そして、初の海外遠征となったドバイシーマクラシック(G1)では3着。善戦するものの、先頭でゴールする場面はありませんでした。気づけば大阪杯の勝利から1年が過ぎていました。


ようやくつかんだ勝利はG1

ドバイから帰国して迎えた19年6月の宝塚記念(G1)は、同年の年度代表馬リスグラシュー、同期の菊花賞馬キセキに次ぐ3着。最後の直線ではインコースで粘るアルアインをかわして3着に食い込みました。

休養を経て、前年スタートで出遅れて大敗した天皇賞・秋にぶっつけで挑みました。アーモンドアイをマークするような形でインコースを進んでいきましたが、結果は7着。先を行く馬たちのスピードが上回りました。

同年11月24日、ジャパンカップ。アーモンドアイ、リスグラシューは不在。3歳のG1馬も不在。スワーヴリチャードも含めて、勝利の味を忘れていたG1馬たちが主役となりました。18年天皇賞・秋以来、1年以上勝利のなかったレイデオロもいました。

レースは雨の影響が残り、重馬場で実施。内の5番枠からスタートし、先行する馬を見ながらインコースに控えました。隊列に大きな動きがないまま迎えた最後の直線、逃げたダイワキャグニーを捉えようと各馬懸命に追いかけます。

残り400mを過ぎて前にいた他の馬が少し外に進路を取ったところ、騎乗していたオイシン・マーフィー騎手は最内を突いて逃げた馬を捉えると、後続の追撃を振り切ってゴール。大阪杯の勝利から1年7ヵ月以上、ようやく挙げた勝ち星はG1レース2勝目となりました。

苦戦を続けていた馬たちとの争い制しての勝利。諦めずに走り続けてきたことで順番が回ってきたと思っています。強豪馬に跳ね返された時、惜しい競馬もありました。報われる瞬間は必ずあるのだと思い知らされた勝利でした。

結果的にラストランとなった有馬記念。レイデオロ、アルアインも一緒でした。レース中、マーフィー騎手が異変を感じ取り、最後の直線は無理に追うことはしませんでした。この判断によって大ケガを回避できたのかもしれません。無事に種牡馬生活に入れて良かったです。

左回りしか走らないと言われながら右回りのG1を勝利。もう勝てないかと思われながらジャパンカップを制覇。G1常連の個性派がターフを去ることは寂しいですが、父ハーツクライの後継種牡馬として、期待に応える子供たちを輩出してくれることを願うばかりです。本当にお疲れ様でした。

最後に、今週末15、16日に東京競馬場で行われる3歳限定の重賞は、スワーヴリチャードと大きなつながりがあります。15日に行われるクイーンカップ(G3)には妹ルナシオンが出走。16日は歴代優勝馬にも名を連ねる共同通信杯(G3)が行われます。いずれも春の3歳クラシックにつながる重要な一戦になるので注目したいです。

スワーヴリチャード 14年3月10日生まれ
父ハーツクライ 母ピラミマ
通算成績:19戦6勝(海外含む)
重賞勝ち鞍
17年 共同通信杯(G3)、アルゼンチン共和国杯(G2)
18年 金鯱賞(G2)、大阪杯(G1)
19年 ジャパンカップ(G1)




今回はここまで。
いよいよ2020年のG1開幕戦が近づいてきました。次回はフェブラリーステークスを取り上げます!



参考:馬名、成績など競走馬に関するデータはJRA公式サイト