- Q.視覚障がいの走り幅跳び専門の高田千明選手は、どうやって跳躍フォームを覚えている?
- Q.走り高跳び専門の鈴木徹選手が行う跳躍練習は週2回まで。なぜ?
- Q.16年リオの走り幅跳びで銀メダルに輝いた山本篤選手が挑戦した冬季競技は?
- Q. 16年リオで銅メダルを獲得した重本沙絵選手が陸上転向前に熱中していたスポーツは?
- Q.東京大会で金メダルを目指す佐藤友祈選手は車いす「レーサー」を自身の何と表現する?
- Q.「日本最速のブレードランナー」といわれる井谷俊介選手。学生時代に夢見ていた職業は?
Q.視覚障がいの走り幅跳び専門の高田千明選手は、どうやって跳躍フォームを覚えている?
- ①コーチと会話を重ねることでフォームをイメージする
- ②パラパラ漫画のように1コマずつフォームを練習する
- ③他の選手が跳んでいる様子をコーチに言葉で実況中継してもらって覚える
②パラパラ漫画のように1コマずつフォームを練習する
全盲クラスの高田選手のコーチであり、コーラーでもある大森盛一さんはフォームを指導する際、アニメーションのように動きを1コマずつ切り取り、体を触りながら丁寧に教え、理想のフォームを体に覚え込ませてきた。難しい空中姿勢に、足を顔の横まで振り上げるよう、体を触って位置を示す。大森さんは、陸上男子短距離で五輪2大会(92年バルセロナ、96年アトランタ)に出場した経験がある。
Q.走り高跳び専門の鈴木徹選手が行う跳躍練習は週2回まで。なぜ?
- ①仕事との両立で時間がない
- ②ウエートトレーニングを重視している
- ③足に負担がかかる
③足に負担がかかる
反発の強い義足は力強い助走が得られる一方で、脚の切断面に大きな衝撃を与える。このため、跳躍の練習は連日することができない。鈴木選手は「日本初の義足ジャンパー」として知られ、06年にはアジア人初の2メートル超えを達成した。
Q.16年リオの走り幅跳びで銀メダルに輝いた山本篤選手が挑戦した冬季競技は?
- ①スノーボード
- ②バイアスロン
- ③アイスホッケー
①スノーボード
パラ陸上界のレジェンドである山本篤選手は、2018年の平昌(ピョンチャン)冬季パラにスノーボードの日本代表として出場した。スノーボードは義足になる前からやっていた趣味。リオ後の17年の全国大会で優勝して強化指定となり、翌18年にパラ夏冬出場を果たした。平昌では決勝トーナメント1回戦で敗退した。
Q. 16年リオで銅メダルを獲得した重本沙絵選手が陸上転向前に熱中していたスポーツは?
- ①野球
- ②ハンドボール
- ③バスケットボール
②ハンドボール
重本選手は、16年リオの400メートルで銅メダルに輝いた。先天的に右ひじから先が欠損しているが障がいの意識はなく、小中高、さらに日本体育大学に入学してからも全国大会に出場するほどハンドボールにのめり込んでいた。大学3年の時にパラ陸上の世界に誘われ、山本篤選手の世界選手権での活躍に刺激を受けて転向した。
Q.東京大会で金メダルを目指す佐藤友祈選手は車いす「レーサー」を自身の何と表現する?
- ①相棒
- ②翼
- ③体の一部
②翼
レーサーを「相棒」や「体の一部」と表す選手が多い中、佐藤選手は「翼」と表現する。23歳の時に脊髄炎を発症して両下肢が動かなくなってから、いかに競技用車いすが人生の糧となったかを物語っている。パラ初出場の16年リオは400メートルと1500メートルの2種目で銀メダルを獲得。21年に延びた東京で悲願の金メダルを狙う。
Q.「日本最速のブレードランナー」といわれる井谷俊介選手。学生時代に夢見ていた職業は?
- ①消防士
- ②カーレーサー
- ③お笑い芸人
②カーレーサー
三重県出身の井谷選手は幼少時代から鈴鹿サーキットに通い、プロのカーレーサーになることを夢見て大学入学後はカートレースに出場していた。だが、2016年にバイク事故で右脚を切断。18年からパラ陸上を本格的に始め、同年11月のアジアパラ100メートルではアジア記録を樹立して優勝した。スピードはカーレースではなく、短距離で追求する。
(mimiyori編集部)