【オールスポーツ】サッカー=クラブワールドカップ リバプール ハンパないスター軍団とは

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世界的スターFWのモハメド・サラー(写真:ロイター/アフロ)
サッカーのFIFAクラブワールドカップ2019(CWC)がカタールで行われている。
18日準決勝から登場の欧州王者・リバプール(イングランド)は、世界的スターのFWモハメド・サラーらを擁するスター軍団だ。各チームのお国柄から注目選手のプチ情報まで、幅広く紹介する。
 

イギリス、ロンドン、リバプール

クラブの本拠地リバプールは、もともと1207年にジョン王が建設した小さな港町だった。17世紀末から代表的商業都市に成長し、19世紀末にはロンドンに次ぐ大都市となった。かつては、日本でも英国の大都市として「イギリス、ロンドン、リバプール」というフレーズが慣用句化していた。海運にまつわる建設物が多い旧市街は丸ごと世界遺産に登録されている。

リバプールの名が世界中に知れ渡った理由の1つに、伝説のロックバンド「ビートルズ」の存在がある。メンバー4人の出身地であり、同地で出会ってバンドを結成した。

英国最大級の大聖堂があり、ジョン・レノンが亡くなった際は追悼ミサが行われ、幼少時にポールマッカートニーが聖歌隊オーディションに落ちた場所でもある。

2015年には市内に4人の新たな銅像が建てられるなど、今もなお語り継がれる存在だ。ちなみに、ビートルズがリバプールで演奏した最後は来日した年の1964年、12月5日の公演だった。

不評だった「赤い鳥」は子供たちに大人気

リバプールFCの愛称は「The Reds(レッズ)」。1890年代まで青色のユニホームだったが、ライバルのエバートン(Everton)が赤からロイヤルブルーに変更したことを機に、リバプールが赤に変更した。

1896年9月1日、初めて赤シャツ、白色の短パンで試合に登場。以降、チームは「レッズ」と呼ばれるようになった。

マスコットも真っ赤な鳥「マイティー・レッド(Mighty RED)」。リバプールのエンブレムにある伝説の赤い鳥(Liver Bird)がモデルで、若年層、特に子供ファン獲得のため、2012年に初登場した。

試合だけでなく、子供を対象としたイベントに多数登場。「リバプールの1番のファン」と名乗っていて、公式ツイッターもある。誕生当初、オールドファンには「滑稽だ」と人気がなかったが、クラブの思惑通り、子供たちには人気を博している。

指揮官はプレミアリーグ史上2人目のドイツ人

ユルゲン・クロップ監督はドイツ・シュトゥットガルト出身で、監督としてはプレミアリーグ史上2人目のドイツ人となった。

父親はテニスの指導者だったが、幼少時代からサッカーに熱中した。191センチの大柄な体格に成長し現役時代は当初はFW、後年にDFに転向した。選手としては欧州において凡庸だったが、01年には現役引退と同時に就任した監督業で手腕を発揮した。マインツ、そしてドルトムントを指揮し、10-11季には香川真司をトップ下に抜擢し、9季ぶりのリーグ制覇を果たした。

15年10月にリバプールの監督に就任すると、18-19季のUEFAチャンピオンズリーグで14年ぶりの優勝をもたらした。クロップ自身にとっても3度目のチャンピオンズリーグ決勝での初優勝という悲願の頂点に立った。

ハンパない……多すぎるスーパー10代

19年CWCには、スーパー10代が5人メンバー入りした。中でも、16歳でプレミアデビュー最年少記録 を飾ったFWハーヴェイ・エリオットに注目だ。古巣フラムでは、16歳30日でトップデビューを果たし、プレミアリーグのデビュー最年少記録を更新した。19年7月にフラムユースからリバプール加入。もちろん年代別ユース代表の常連で、ちょんまげ風のヘアスタイルがトレードマークとなっている。

若気の至りか、19年10月にSNSでイングランド代表主将ハリー・ケーンを侮辱する不適切な動画を公開したとして、リバプールから2週間の出場停止と罰金の処分を受けた。言葉遣い講習を受けることも義務付けられた。  

ほかにも、U19オランダ代表のDFセップ・ファンデンベルフも、アヤックス、バイエルンが争奪戦を繰り広げた結果、リバプールが獲得した逸材だ。本人はリバプールから最初にオファーが届いた際「ふざけた冗談だと思った」という。17歳ながら、アカデミーではなく、トップチームで育成する契約を交わしている。

スターもハンパない……世界の宝たち

スーパー10代だけでなく、もちろん今輝いているスター選手もそろっている。

アフリカの至宝、セネガル生まれのFWサディオ・マネは16年にサウサンプトンからリバプールに移籍した際、移籍金はアフリカ人史上最高額となる推定3400ポンド(約50億円)にのぼった。

人口2万4000人ほどのセネガル・セディウ出身。貧困家庭に育ち、両親にはマネを通学させる収入がなかったため、幼少時代はおじと暮らした。ストリートサッカーに明け暮れる中、2002年ワールドカップ日韓大会に感銘を受けてプロサッカー選手になることを決意した。首都ダカールのアカデミーに入るため、両親とおじは農場の作物を売り払い、資金を捻出した。ボロボロにすり切れた靴でトライアルに挑んだ姿がフランスのスカウトの目に留まり、渡欧を果たした。

FWモハメド・サラーは18年ワールドカップでの活躍も記憶に新しい。移籍初年の17年度はシーズン38試合制の最多得点記録となる32ゴールを挙げ、得点王に輝いた。翌年後も22ゴールで2年連続得点王だ。同僚マネとともに「世界最高のウィング・デュオ」などと評される。

少年時代、7~8歳からストリートサッカーを始めた。当時は元ブラジル代表のロナウド、元フランス代表のジダン、元イタリア代表のトッティらが憧れの選手だった。14歳の時に自宅から片道4時間かかる首都カイロのクラブのアカデミーに週5日通うため、毎日学校を早退していた。午後2時から6時の練習に参加して、自宅に戻るのは深夜。「『サッカーで大物になる!』と信じていたからできた」という。(mimiyori編集部)