表彰式の思い出は…
レースの風景は、昨年までと様変わりした部分がたくさんあった。選手たちはスタートラインに並ぶまでマスクを着用し、スタート直前にゴミ袋を持った大会スタッフがマスクを回収。レース中はマスクなしで戦うが、ゴール直後に再びマスクを着け、インタビューや表彰式もマスク姿で参加した。表彰台の上では盾やジャージの贈呈、関係者との握手などもなくなった。出場することですら狭き門であるツールでは、選手によってはツールの表彰台に上がるのは今年が一生に一度のチャンスだったかもしれない。その思い出がマスク姿の写真しかないというのは、ちょっとかわいそうな気もした。
各チームの選手・スタッフ、そして大会関係者は、まるで泡の中に包み込むようにという意味で「レースバブル」という表現で隔離され、メディアなど外部の人間との接触はソーシャルディスタンスをたもって最小限の機会に限定された。
シャンゼリゼ通りも”封鎖”
さらに大会中2度ある月曜日の休息日には、選手・スタッフが一斉にPCR検査を受けた。1チームから7日以内に2人以上の陽性者が出ると、チームごとツールを撤退しなければならないルールも課された。実際、1度目の一斉検査では4チームからスタッフ各1人の陽性が発覚。さらにクリスチャン・プリュドム大会ディレクターも無症状ながら、陽性となり、1週間レースの現場から遠ざかることになった。幸いにも、2度目の一斉検査では陽性者が出なかった。
各日のステージによっては、ゴール前など一部区間で観客の立ち入りが禁止された。最終日はパリ・シャンゼリゼ通りでゴールするのが恒例だが、この世界一の目抜き通りも封鎖され、警察官が一定間隔に立って観客の侵入を防ぎ、無観客の中でレースするというある種の異様な光景となった。
ロックダウンを経験したフランスの観客は
とはいえ、立ち入り制限のないエリアでは多くの観客が詰めかけた。そのほとんどがマスク姿だが、中にはマスクをしていなかったり、あごにずらしている人もいる。その観客たちが肩がぶつかるほどの距離で沿道に並び、上り坂など自転車のスピードが落ちる区間では選手のすぐそばまでやってきて大声で声援をぶつける例年ながらのシーンも見られた。また優勝した選手がゴールラインを駆け抜けた直後、スタッフやチームメイトと抱き合って優勝を喜ぶ場面もあり、ちょっとヒヤヒヤして見ていた。
同時に、フランス国内の状況も悪化していた。3月半ばから約2カ月間、外出を厳しく制限するロックダウンを行って感染者数を抑え込んでいたが、ロックダウン解除後その数は徐々に増え、ツール大会期間中に感染第2派がピークに達した。ツール閉幕前日の9月19日には、フランスの1日の新規感染者が1万3,498人と過去最多を記録することとなった。
スター選手はマスクで表彰台
それでも選手から陽性者が出たり、大会に関連するクラスターが発生したりすることもなく、ツールは無事にゴールのパリにたどり着くことができた。
レース自体も白熱の展開となった。コロナ禍での変速的なスケジュールで、調整に苦しんだ選手も見られ、昨年総合優勝のエガン・ベルナル(コロンビア)がリタイアする波乱もあった。その中で、元スキージャンパーと異色の経歴を持つプリモシュ・ログリッチと弱冠21歳のタデイ・ポガチャルのスロベニア人2人が最後まで僅差の争いを繰り広げ、最終日前日の個人タイムトライアルで逆転したポガチャルが第2次大戦後最年少の総合優勝に輝くとともに、東欧の小国に初のマイヨジョーヌを持ち帰る歴史的なレースとなった。もし、今年のレースが中止になっていたら、こうしたドラマは起きなかったのかと思うと、肝を冷やす思いだ。
コロナ禍におけるビッグイベントのロールモデルに
規制と緩和の綱引きの中で、なんとか成功のうちに閉幕したツール・ド・フランスは、今後日本や世界中で行われるビッグスポーツのロードモデルとなるかもしれない。
ツール・ド・フランス同様、公道を舞台とする箱根駅伝は、無観客で行うことが発表された。応援団など集団での応援は制限されるが、コース沿いの住民などの観戦を制限することは難しく、自粛を要請するかたちになるという。
そして来年夏には1年間延期となった東京オリンピック・パラリンピックが開催される。もちろん公道、スタジアム、屋内の競技場など競技の行われる環境は多岐に渡るが、垣根を越えて共有すべきノウハウは共有してほしい。願わくば、アスリートにとって4年に1度の晴れ舞台なので、表彰式ではマスクを外せるフォトセッションを作ってほしいなと思うところだ。(光石 達哉)