【雑学】なぜトイレは玄関の近くにある?

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(写真:photoAC/ラッキーエース)

外出自粛要請により自宅で過ごす時間が多くなった。
当然、自宅トイレを利用する回数も増えた。
玄関近くを行ったり来たりしながら、ふと考えた。
「どうして日本ではトイレが玄関の近くにあるのだろう」

今回は家には必ずある「トイレ」についてガチで調査。
この疑問に対する答え、武家屋敷の名残であると考えられている。

 

 

武家屋敷の“表トイレ”が残った

武家屋敷とは、武士が仕える主君から賜って住んだ屋敷のこと。書院造りが一般的であるとされる。
書院造りとは、室町中期に広まった住宅の建築様式で、建物内部を数室に分け、室内に畳を敷き詰め、建具として明障子(あかりしょうじ)やふすまなどを用いる。玄関近くの座敷には格式が高いしつらえ(床の間など)を設置し、入り口として玄関を設けた。
現在でも、日本の一般家屋における建築様式は、武家屋敷=書院造りの概念が引き継がれている。 武家屋敷には本来、「表」と呼ばれる客用スペース(客間)と、「奥」と呼ばれる家族スペースの2カ所にトイレが設置されていた。しかし、時代を追うごとに集合住宅が増え、トイレを2つも設けられなくなってきたことで、客間エリアにあったトイレだけを残すことになったと考えられる。

日本のトイレは「公共のもの」

江戸時代、多くの庶民が暮らした裏長屋は、長屋全体の入り口側に共同トイレがあった。
一方、欧州では昔から寝室そばにトイレがついている。
これは、日本では「トイレは公共のものである」という概念があり、欧州では家族に近い人しか使用できない空間であるという考えから。現代の欧米の住宅間取り図を見ても、トイレは玄関近くではなく、寝室のそばに作られているものが圧倒的に多い。

元来、トイレは屋外にあった

そもそも、日本にトイレはいつからあったのか。
縄文時代にはトイレという場所や部屋はなく、屋外に「トイレ地点」「トイレスポット」が設けられていたと考えられている。川岸に杭を打って板を渡し、その上で用を足す“水洗トイレ”だったことが推測される。
飛鳥時代になると、上流階級が川を建物内に引き込み用を足すようになった。この「川を建物内に引き入れた」ことが「厠(=川屋)」の語源であるとされている。

 

奈良に日本最古のトレイがある

遺跡が現存する最古のトイレは奈良の藤原京にあるという。長さ1.6m、幅50cm、深さ40cmほどの穴から「ちゅう木(糞べら=おしりをふいた木片)」が発掘され、土壌中からも寄生虫卵が検出されたことから、この穴はトイレの跡であると認定された。「土坑式トイレ」といわれるもので、4つの杭跡があり、杭に踏板を渡して用を足していたものと思われている。人為的につくられた便槽は、これが最古。以降、日本では「しゃがむ」スタイルが定着した。

トイレスリッパは平安時代からあった?

平安時代になると、上流階級は寝殿造りに居住した。トイレと呼べる設備は建物になく、住人は、大便用に「ひのはこ(樋箱)」、小便用に「おおつぼ(大壺)「しとづつ(尿筒)」と呼ばれる、現在のおまる、しびんにあたるものを使用した。この時代には木片だけでなく、すでにトイレットペーパーがあったとされる。

東京国立博物館所蔵の絵巻『餓鬼草紙』には、伺便餓鬼(しべんがき)という糞尿をくらう餓鬼が登場する。これには、平安京での人々の排便シーンが描かれている。用を足す人が高下駄を履いているのは、現代のトイレスリッパと同じように、足元や着物を汚さないためだったと考えられる。 

武士がトイレを室内に引き込んだ

鎌倉時代に入ると、おまる(樋箱と呼ばれていた)を部屋のつくりに取り込んだ「くみ取り式トイレ」が定着した。長年、し尿は捨てるものだったが、この時代に「役に立つもの」に変化した。鎌倉末期になるにつれ、肥料価値のあるし尿を確保するためにくみ取り式が普及していった。

そして室町時代に書院造りが現れ、トイレは住居の一部に組み込まれるようになった。武士の時代に突入し、いつ襲われるかもしれないという安全上の理由からであるといわれている。
(mimiyori編集部)