全国各地にはいわゆる有力校による「御三家」が存在する。
青森県内で御三家といえば青森高校、弘前高校、八戸高校の3校。
ここでは筆者の母校である弘前高校を僭越(せんえつ)ながら紹介させていただきたい。
前編は 、まずはイントロデュースから。
3校を含め、青森県の中で最も長い歴史を持つ学校こそが弘前高校。
ギリシャのパルテノン神殿よろしく、小高い丘の上にあることから、「弘前のアクロポリス」と先生たちは呼んでいる。もちろん、そう呼んでいるのは世界史と倫理の先生くらいなものなのだが。
御三家が繰り広げる三つ巴の戦い
弘前高校、青森高校、八戸高校の3校は進学実績でしのぎを削っている。
旧帝大、一橋、東工大、早慶に絞った進学者数でいうと、2021年度入試では八戸高校が東大6名を含む62名、弘前高校が東大2名を含む55名、青森高校が東大1名を含む42名と、八戸高校、弘前高校がややリードする展開となっている。
青森高校をA高校、八戸高校をH高校として、模試の成績を進路指導の時間にああだこうだしゃべるのがお約束。
しかし、弘前高校が他の2校と比べてリードしている点が国公立医学部医学科への合格者数だ。
弘前大学医学部入試は〝ホーム球場〟
というのも、青森県唯一の国立大学である弘前大学のお膝元に位置しているため。こちらも2021年度入試のデータであるが、国公立医学部医学科への進学実績は、弘前高校が弘前大14名を含む18名、青森高校が弘前大11名を含む13名、八戸高校が弘前大10名のみといった具合だ。
そこまであからさまな差はないが、教師陣はここぞとばかりに協調して強調するのだ。
AO入試で合格していく生徒が多いのももちろんのこと、弘前大学医学部の入試は弘前高校で行われることも合格者数が多い要因の一つかもしれない。
なじみ深い昇降口、教室、トイレにチャイムの音…。弘前高校生にとっては〝ホーム球場〟での試合になる。
もちろん、人によっては何かしらのトラウマを抱えている可能性もなくはないのだが。
ひろこう?ひろたか?たか?
これまで弘前高校生とつづってきたが、何とも呼びにくい。もちろん、弘前高校にも略称が存在するが、地方公立校ならではの厄介な問題が発生している。
地方で起こりがちな現象が、名付けてみれば「高校の地域名どうやっても被っちゃう問題」。
弘前には弘前高校を除いて、弘前中央高校、弘前南高校、弘前実業高校、弘前工業高校などの公立高校が存在する。
その中でも、弘前高校とよく間違われるのが弘前工業高校。どちらも「ひろこう」と略せてしまうのもさることながら、両校が500mほどしか離れていない位置関係にある点もややこしさを生み出している。
3年間やたら着続けるアレ
多くの弘前市民は弘前高校を「ひろたか」「たか」、弘前工業高校を「ひろこう」と呼んでいるが、弘前高校生は自分たちのことを「ひろこうせい」と呼ぶ節がある。
呼び方とは無関係だが、弘前高校の運動部の多くでは「弘前高校」の名前が入ったウインドブレーカーが制作され、高校3年間はサラリーマンのスーツばりに着回して弘前を闊歩するのである。
これぞ「ひろこうせい」。
ノリで入る部活が百科クラブ
高校生クイズに向けて日々鍛錬を積んでいる団体が、進学校ならどこにでも存在するだろう。弘前高校では「百科クラブ」という名前で現在は活動している。
弘前高校の高校生クイズでの戦績は、県内で突出している。1989年の第9回大会では富士山頂での決勝戦で敗退したものの、1997年の第17回大会では優勝を果たしている。
もちろん、青森県内で優勝実績を持つのは弘前高校だけだ。
こうした実績の甲斐あってか、弘前高校の百科クラブは加入人数が非常に多い。
大学のテニスサークルのように「とりあえず入っておこう」というマインドで選ばれる先が同校の「百科クラブ」なのだ。
筆者が在籍していた頃は、熱い乃木坂ブームゆえ、乃木坂に会うために高校生クイズ参加を志願して、運動部での活動そっちのけでクイズに励む男子学生も散見された。
そして、なぜかそうした生徒に限って本大会進出を遂げたりするものだ。
1人はさめば みんな知り合い
1989年、富士山頂における決勝戦まで弘前高校は勝ち進んだが、チームリーダーが体調不良で下山し、リーダー不在で優勝を逃した。
弘前高校の生徒なら一度は聞いたことがある逸話だろう。なぜこの令和の時代まで語り継がれるのか。
青森おなじみの〝誰かの知り合いは自分の知り合い〟という法則によるのだろう。
そのチームリーダーは筆者の高校時代、隣の教室で物理を教えていたし、何といってもわが母はそのチームリーダーは高3時のクラスメート。さらには、筆者が高2だった時に担任していただいた先生は、こちらもわが母と高1時のクラスメート。これが弘前。
(mimiyori編集部・いいの)