卒業生が母校のユニークな側面を語るコラム第5回は、本州最北端の青森県そのままの名前、県立青森高校について。
2020年で120周年を迎える旧制中学ナンバースクールで、地元の通称は「青高(せいこう)」。県内では進学面において“御三家“と呼ばれる。
有名どころでは小説家・太宰治、劇作家・寺山修司を輩出し、1966年ピューリッツァー賞を受賞した報道カメラマンも卒業生だ。
40代OGが語るため現況と時差はあるが、根底に流れる「自律自啓」の精神は時代を超えても変わらない。
校歌が1番しかないのにやたら長い
校歌「無限の象徴(しるし)」は1番しか存在しない。しかし、前奏が約40秒もあり、1番だけのわりに1曲で2分20秒以上かかる。
全国の長い校歌例としては、2017年夏の甲子園に初出場した藤枝明誠(静岡)も校歌は1番しかない。甲子園出場時の映像を確認すると、やはり2分40秒ほどかかる。
当時は「1番は日本一長い校歌では」と話題となったが、青森高校も負けてはいない。
校歌のアレンジが局所的に話題になったことがある。
青高は1900(明治33)年、青森県第三中学校として創立し、旧制中学を経て戦後、県立青森女子高と統合した。
その統合42回生が2016年、上はご長寿から下は19歳までが参加する同窓会総会において、出し物として校歌をゴスペル調にアレンジした。
男性が本厄を迎える42歳の年に、大人になった当該学年全体がもれなく幹事を請け負うという問答無用のパーティーは例年、青森市内のホテルで和やかに開催される。
この時は演目の開始とともに、会場はコンサートさながらに暗転。ゴスペルユニットはスポットライトを浴びながら玄人はだしの歌声を披露し、拍手喝采を浴びた。
歌ったメンバーもすごいが、黒幕には現役の放送作家がいた。
全員卒業生。芸達者だ。
ゴーイング・マイウェイの卒業生~太宰治、ウルトラマンの怪獣
一風変わった人材が多い。
政財界には地元の政治家や、時事通信社の初代代表取締役を務めた長谷川才次もいるが、文芸では代表作「人間失格」の小説家・太宰治が旧制中学時代を過ごした。
特撮業界にウルトラマンシリーズの怪獣をデザインした成田亨がおり、あのバルタン星人もカネゴンも青森県発かと思うと、胸が熱い。
再オープン2日目の本日、青森は晴天なり。
— 青森県立美術館 (@aomorikenbi) March 12, 2016
カネゴンが目印の「コレクション展I」目録は菊地敦己さんによるデザイン!
裏にはこっそり10周年ロゴも入ってます。
目録は常設展示室で配布中ですよー。 pic.twitter.com/oixY6FDMLx
(青森県立美術館公式Twitterより ※成田亨の作品は常設展)
演劇界では独特の世界観を持つ寺山修司、ベトナム戦争の写真「安全への逃避」で1966年ピューリッツァー賞を受賞した沢田教一も卒業生だ。
(ピューリッツァー賞公式サイトより)
音楽業界では、「SING LIKE TALKING」の佐藤竹善、藤田千章が長年透明感のある曲を紡ぎ、そしてブルースの女王・淡谷のり子は青高女(前述)を中退し、上京した。筆者はブルースより、テレビのものまね番組で下ネタを披露する清水アキラを辛口評価する係の人、という印象が強い。
いずれにしても「一念岩をも通す」、我が道を行くタイプが多いのだろう。
自律自啓~「困るのはお前ら自身だ」
いわゆる校訓を示す綱領は「自律自啓」「誠実勤勉」「和協責任」。
骨身にしみたのは「自律自啓」だ。
筆者の在学当時は、宿題を出された覚えはあまりなく、テストのたびに各教科の上位50人ほどの名前と点数を明記したプリントを配られた記憶がある。
今振り返るとシビアだ。
順位表で自分のレベルを確認し、あとは自家発電で意欲を燃やして勉強するしかなかった。
一方、当時の校則は緩かった。
女子の制服はジャンパースカート、くるみボタンのジャケットで古めかしいが、パーマをかけても何も言われなかった。
校内は上履きがなく土足(現在は上履きあり)、持ち込み禁止品について先生は「俺に見せるな。うまくやれ」とキッパリ。昼休みになると、男子は近所にあった焼きそば店「トリムラン」へ抜け出した。
90年代としてはかなり自由。
「お前らが志望校に行けなくたって、何かやらかしたって、俺はちっとも困らない。困るのはお前たち自身だ」
教師に明言された当時は「あら、冷たい」と思ったものだが、現実を言葉にしただけなのだから、ぐうの音も出ない。
自律自啓。
大人になるにつれ、それこそが生きるすべだと感じている。
(つづく=丸井 乙生)