全国的に感染者が増え、東京から他県への不要不急の移動自粛が求められるなど、まだまだ自由に旅行するのは難しい日々が続いている。そんな中、過去にサイクリングで訪れたちょっとマイナーだけど個人的なお気に入りスポットを紹介して、旅の参考にしてもらおうという企画。今回は再び東京の端っこを探検ということで、八王子の和田峠へ。
羽生善治永世七冠の出身中学校
以前、東京と神奈川の県境のひとつである大垂水峠を紹介したが、今回も県境を越えずに東京のギリギリ端っこまで行ってみよう、ということで同じく八王子市内にある和田峠へ行ってみた。
和田峠は舗装されたクルマで越えられる県境としては、大垂水峠の一本北になる(小仏峠は未舗装で徒歩でしか越えられない)。ここへ至るには、八王子の中心街のちょっと西にある追分町の交差点を西に曲がり、陣馬街道に入る。7~8km走ると民家もまばらになり始め、山里っぽい風景になる。右側に現れる八王子市立恩方中学校には、同校卒業生である将棋の羽生善治永世七冠の国民栄誉賞受賞を祝う横断幕が。こんな山深いところの出身なんだなと妙に感心して、先へ進む。
童謡「夕焼け小焼け」の舞台
この辺りは童謡「夕焼け小焼け」の舞台。「夕やけ小やけふれあいの里」では田舎体験、アウトドア体験が楽しめる(撮影:光石達哉)
この辺りから、陣馬街道は北浅川に沿って緩やかに上り、さらに3kmちょっと行くと、「夕やけ小やけふれあいの里」に到着。童謡「夕焼け小焼け」の作詞家・中村雨紅はここから目と鼻の先のところにある宮尾神社の宮司の子として生まれたそうで、「夕焼け小焼けで日が暮れて~、山のお寺の鐘が鳴る~」の歌詞はこの土地の風景を歌ったものだという。神社には歌碑もあるとのことだったが入り口には杖があって、険しい道を徒歩で登らなければ行けないようなので断念。
「夕やけ小やけふれあいの里」を出てすぐのところに郵便局がある。まるで「赤毛のアン」が住んでいたような木造の洋風建築でとてもかわいらしいので、一見の価値ありだ。郵便局の先を左に曲がって、陣馬街道をさらに進む。3kmほど行くとバス停の終点とそば屋さんが。登山客はここでバスを降りて、登るようだ。
いよいよ勾配10%の激坂・和田峠へ
そば屋の先を右に曲がると、本格的な和田峠の始まりだ。東京近郊のサイクリストが最初に立ち向かう激坂のひとつで、左右はうっそうとした木々に囲まれて薄暗く、道幅はクルマが行き違えるかどうかギリギリの狭さ。ちょっと走るだけで勾配はすぐに10%前後までに跳ね上がり、坂が壁のようにそびえ立ってくる。
僕は10年ほど前に初めてこの峠に挑戦したが、心臓が口から飛び出そうなほどきつくて途中で断念して引き返した。2回目の挑戦はその先まで進めたものの、やはり途中リタイア。3回目の挑戦でようやく登頂したのだった。
その後はヒルクライムの練習として何度か訪れるようになったが、最近はさぼり気味でアプリに記録を残している過去4年は2回しか登っておらず、今回は3年ぶりの挑戦。角を曲がっても曲がっても続く激坂に、久しぶりに脚をつきそうになる。前日にペダルを交換したばかりで、まだ慣れてなくてヒザが痛いから、なんて自分に言い訳してやめようかとも思うけど、なんとか粘って頂上の峠の茶屋にゴール。上り口からのタイムは50分で、一番いいときで確か27分ぐらいで、3年前も35分で登っていたのでだいぶ力の衰えを感じる結果となった。
和田峠頂上の茶屋は、陣場山の登山口
梅雨明けして猛暑が厳しいこの日だったが、ここまで登ってくると陣馬高原の風の涼しさが心地よい。この茶屋があるところが陣馬山の登山口で、700mほど歩けば山頂に達する。大学生のころゼミ合宿で登った記憶がうっすらある。
峠の先にはゲートがあり、そこから先は神奈川県相模原市だ。ちなみに神奈川側も東京側よりほんのちょっとだけ楽だが、十分な激坂。でも、富士山が見える見晴台があったりしてなかなかいい道だ。
意外な八王子の住人
茶屋のベンチでひと休みしてから帰路へ。下り坂は自転車がひっくり返らないように注意しながら慎重に進む。ちょうど郵便局の角の手前まで来たところで、小さな影が3つほど自転車の前を横切った。野生の猿、しかも親子っぽい。その親子は茂みの中に入っていったが、さらにその先の民家の駐車場の屋根にも2、3匹の猿を発見。北浅川で水浴びでもして、涼んでいたのかな。東京の端っこで思わぬ住人とも遭遇した1日となった。 (光石 達哉)