【五輪金メダリスト連載】鈴木大地の代名詞「〇〇泳法」は「〇〇恋愛」の流行語を生んだ

三重県 伊勢神宮 日本国旗 日の丸

三重・伊勢神宮の日本国旗(写真:丸井 乙生)

 

21年4月で任期満了となる千葉県知事選を巡り、前スポーツ長官の鈴木大地氏(千葉県習志野市出身)が20年10月5日、自民党県連から出馬要請を受けた。1988年ソウル五輪の競泳金メダリストでもある同氏は当時、潜水したまま高速で進む「バサロ泳法」が代名詞。出馬するのか、しないのか。水面下で突き進み、機が熟したところで浮上するのか。その“泳ぎ”に再び注目が集まる。

 

 

 

ソウルで競泳ニッポン16年ぶりV

沈んでいた競泳ニッポンに光をもたらした。88年ソウル五輪の男子100メートル背泳ぎ。鈴木の五輪制覇は、競泳日本代表にとって実に16年ぶりの金メダルだった。当時21歳だった鈴木の最大の武器が、スタートから50メートルプールの半分以上をキックだけで潜り続ける「バサロ泳法」。現在は禁止されているが、70年代に米国人のジェシー・バサロが考案した泳法は、当時の世界記録保持者で鈴木のライバルだったバーコフ(米国)も得意としていた。

 

バサロの名手にバサロで勝った

実力ではバーコフが鈴木を上回っていた。午前中の予選レースではバーコフに1秒39の差をつけられた。そこで、決勝でライバルに打ち勝つために鈴木が企てた作戦は、潜水の距離を延ばすこと。潜水キックの回数を予選の21回から27回まで増やすこと、これまで25メートル地点で浮上していたのをバーコフと同等の30メートルまで延ばすことで、宿敵を慌てさせようと考えた。

作戦は吉と出る。決勝では先行するバーコフに肉薄して重圧をかけ続けた。ラスト15メートルで相手のスピードが鈍ったところを猛追。最後はポリャンスキー(ソ連)を含めた横一線のデッドヒートとなり、鈴木がタッチの差で逆転優勝を果たした。優勝タイムの55秒05は当時の日本新記録。03年に更新されるまで、15年間も日本勢の壁であり、目標であり続けた。

 

競泳界の常識を覆した

このソウル五輪では、鈴木の金メダルが競泳日本代表にとって唯一のメダル。表彰台の常連となった今では忘れられがちだが、当時はメダルが遠く、日本人が競泳で金メダルを獲得するのはほぼ不可能と考えられていた時代だった。しかし、鈴木が“常識”を打ち破ったことで選手や指導者の意識改革が進み、競泳界の情勢が一変する。4年後の92年バルセロナ大会では、女子200メートル平泳ぎで岩崎恭子、04年アテネ大会では男子平泳ぎ2種目で北島康介、女子800メートル自由形で柴田亜衣がそれぞれ金メダルに輝いた。

 

バサロで千葉県知事の座も狙う?

鈴木の活躍で、現在は死語となった「バサロ恋愛」という言葉が当時プチ流行した。イミダスの時事用語辞典によれば、「他人からはノーマークの恋愛。深く潜行して、誰にも気づかれずに恋愛をすること。水泳の潜水泳法から。突然、結婚しますと言われて周囲はあっけに取られる。おしどり夫婦の『バサロ離婚』もある」とある。92年の現役引退後は大学教授や日本水泳連盟会長を務め、15年からはスポーツ庁の初代長官に就任。水泳界、スポーツ界、そして流行語も牽引した鈴木が、次は地元の千葉県を率いることになるのだろうか。

(mimiyori編集部)