空中遊泳した無名のロケットマン
無名だった「ロケットマン」が世界の目をくぎ付けにした。1984年ロサンゼルス大会では突然、謎の男性が空中遊泳しながら現れスタジアムに降り立った。
「ロケットマン」と呼ばれたこの男性は、ウィリアム・スーター氏。翼やプロペラを使わず、背中に装着したジェット噴射装置「ロケットベルト」を初めて駆使して空中を動き回れた飛行士だった。世界各国でデモンストレーションを行い、1960年代に米国で人気だったテレビドラマ「ロスト・イン・スペース」や1965年公開の映画「007 サンダーボール作戦」などスタント出演も多数こなしていたが、ロス五輪までその名を知る人は少なかった。
後年、スーター氏は英BBCの取材に対して「五輪での反響はすさまじかった。人生において、あれほど注目されたことはない」と振り返っている。
OLYMPIC CHANNEL公式=84年ロサンゼルス五輪ハイライトVTR
パーキンソン病と闘ったモハメド・アリ
聖火を灯したのはスポーツ界のレジェンドだった。1996年アトランタ大会の聖火最終ランナーは、ボクシングの元ヘビー級王者で、60年ローマ五輪金メダリストでもあるモハメド・アリが務めた。まったく予期せぬ人物の登場に、スタジアムは大きなどよめきに包まれた。
当時、54歳。現役時代に「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と称された独特のスタイルで数々の名勝負を演じたヒーローは、その代償に重いパーキンソン病を患っていた。震えが止まらない両手で聖火を灯した姿には、ボクサーとしての全盛期を知る人も、知らない人までもが感動した。病にも立ち向かう姿勢を世界に見せつけたアリは、五輪から20年後の2016年に天に召された。
OLYMPIC CHANNEL公式=96年アトランタ五輪開会式のモハメド・アリ登場VTR
坂本龍一&フレディ・マーキュリーの幻の共演
坂本龍一とフレディ・マーキュリーの“共演”は幻に終わった。1992年バルセロナ大会の開会式のマスゲームの音楽は、日本の音楽界をリードする坂本が手がけた。本番は会場で自らオーケストラを指揮。同大会を機に、坂本の活躍は日本にとどまらず、世界へと広がった。
同大会の公式テーマソングは「Barcelona(バルセロナ)」だった。英国のロックバンド「クイーン」のボーカル、フレディ・マーキュリーが作詞作曲からすべてを担当し、バルセロナ大会の開催が決まって以降、スペイン人のオペラ歌手モンセラート・カバリエとのデュエットで歌い続けた。しかし、92年7月25日に行われた開会式で歌ったのはスペイン人テノール歌手のホセ・カレーラスで、フレディの姿はなかった。本来であれば歌うはずだったフレディは前年11月に、HIV感染による合併症でこの世を去っていた。
OLYMPIC CHANNEL公式=92年バルセロナ五輪開会式VTR
日本の伝統芸能を世界にアピールした伊藤みどり
善光寺の鐘で始まった1998年長野大会の開会式では、92年アルベールビル大会フィギュアスケート銀メダリストの伊藤みどりが最後の点火を担当した。日本の伝統芸能「能」をイメージした衣装を身にまとい、ハスの花を頭につけて登場。かがり火をモチーフにした独特のデザインの聖火台に点火した姿は海外メディアにも注目された。
伊藤は、神様に近い気持ちで臨むよう指示されたといい、緊張で本番前は眠れない日々が続いていたとか。地上30メートルの高さに設置された聖火台に無事に火をつけ、「このまま天に昇ってしまうような気持ちになった」と笑っていた。
OLYMPIC CHANNEL公式=98年長野五輪開会式VTR
ミスター・ビーンの「レ」連打
英国王室のエリザベス女王が、映画「007」のジェームズ・ボンドとVTR共演したことで世界に衝撃を与えた2012年ロンドン大会。開会式の会場で音楽を担当していたオーケストラの1人に、コメディアンのミスター・ビーンが登場した。
名曲「炎のランナー」の演奏では、ひたすら「レ」の音だけをキーボードで連打。手持ち無沙汰になると、スマホで様子を撮影したり、腕時計を見たり、くしゃみをしたりして笑いを誘った。そのうち居眠りを始め、夢の中で「炎のランナー」の一員として走っている様子が映像で流された。「レ」を連打していたはずが、居眠りしているうちに「ラ」を連打。これがオーケストラ演奏を締めるオチとなった。
(mimiyori編集部)
OLYMPIC CHANNEL公式=2012年ロンドン五輪開会式VTR